廃車と譲渡
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「北条鉄道フラワ1985形気動車」の記事における「廃車と譲渡」の解説
フラワ2000形の代替導入に伴い、2000年に1985-2、2001年にフラワ1985-3、2009年にフラワ1985-1が廃車となり形式消滅した。 フラワ1985-1が最後まで在籍していたものの、老朽化によって週2日しか稼働できないという状況であった。そのため代替用に三木鉄道からフラワ2000形と同形のミキ300形を1両購入し、フラワ1985-1をイベント用とする計画であった。しかし、2009年1月に車両故障を起こして使用不能となったまま同年3月31日付けで除籍された。皮肉にも、さよなら運転などは故障ということもあって行われなかった。 廃車後フラワ1985-2は紀州鉄道に譲渡されキテツ1形 キテツ1となったが、フラワ1985-1も同社に譲渡され、キテツ2となった。フラワ1985-3については、個人に売却されている(『鉄道ジャーナル』2002年5月号より)。キテツ1は紀州鉄道で2015年まで使用された後2017年3月に有田川町鉄道公園に無償譲渡され、2020年にフラワ1985-2時代の塗装に復元された。
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廃車と譲渡
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「東急6000系電車 (初代)」の記事における「廃車と譲渡」の解説
1986年6月7日にデハ6001・6002号が廃車された。その後他の車両も順次廃車が進行し、1989年11月21日にデハ6007・6008およびデハ6105~6108の計6両が廃車されたのをもって東急線からは全車が廃車された。 VVVFインバータ制御の実用試験車のB編成の車体は、ジョイフル本田の茨城県下の店舗で一般に売却された。2004年7月時点では、4両全てが県内で倉庫や会議室などとして利用されている。 一方、C編成12両は4両が日立製作所、8両が弘南鉄道に譲渡された。日立製作所の4両は同社水戸工場で試験用と通勤客車として使用された後に廃車された。 弘南鉄道では先頭車4両が1988年(昭和63年)と1989年(平成元年)の2回に分けて入線し、2両編成2本(6005-6006、6007-6008)の陣容となって大鰐線で運用されたが、2006年(平成18年)10月31日の快速列車廃止に伴い予備車となった。2008年(平成20年)3月6日にはさよなら運転を実施したが、その後も検査は続けられ稼働状態が維持されていた。 2014年(平成26年)8月に2編成を並べての最後の撮影会が行われた。その後6005編成は廃車となり、6006は解体処分、6005は津軽大沢駅(大鰐線)の車庫で倉庫として使用されている。残る6007編成も、車籍は残っているものの稼働できる状態にはなく、静態保存となっている。 中間車4両は津軽大沢駅と平賀駅(弘南線)の車庫で倉庫として使用されている。
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廃車と譲渡
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「国鉄5700形蒸気機関車」の記事における「廃車と譲渡」の解説
廃車は、1928年から北海道の分について開始され、1931年、1933年、1934年に大部分が廃車となり、1936年をもって、国有鉄道からは形式消滅となった。これらのうち8両は下記のとおり払い下げられたが、樺太庁鉄道に移管された2両については、1943年に実施された南樺太の内地化により、国有鉄道に編入されたが、太平洋戦争敗戦後の状況については不明である。他に5750の炭水車が1931年に夕張鉄道に払い下げされ、水運車として使用されている。 5704(1931年) → 北海道拓殖鉄道 → 山門炭鉱(1940年譲渡) → 三池鉱山(貸渡) → 熊延鉄道(貸渡) → 廃車 5735(1933年) → 三好礦業(日本炭礦) 5736(1934年) → 日本礦業(日本炭礦) 5737(1932年) → 三好礦業(日本炭礦) 5738(1933年) → 三好礦業(日本炭礦) 5743(1938年) → 日産化学工業(日本炭礦) → 1954年廃車 5756(1932年) → 樺太庁鉄道 → 国有鉄道(1943年) 5757(1932年) → 樺太庁鉄道 → 国有鉄道(1943年)
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廃車と譲渡
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「国鉄3300形蒸気機関車」の記事における「廃車と譲渡」の解説
国有化後の本形式は、旧山陽鉄道のものは姫路から梅小路、広島、下関に移り、旧九州鉄道のものは大里、若松、行橋、大分、熊本などに分散して配置され、貨物列車牽引用や入換用として使用された。 廃車は1918年(大正7年)の3310、1922年(大正11年)の3314から始まった。1926年には、神戸鉄道局に4両、門司鉄道局に14両、建設局に4両の配置であった。1927年(昭和2年)から1932年(昭和7年)にかけて、次の13両が民間に払下げられている。下記のうち、佐久鉄道に払下げられたものは、1934年(昭和9年)の同鉄道の国有化により再び国有鉄道籍となった。佐久鉄道では3301 - 3303に番号を揃えていたため、書類上は国有鉄道時代の番号に戻されたが、2両は佐久鉄道時代のナンバープレートを外さないまま、再び払い下げられた。 3300(1927年) → 相模鉄道3300(1932年廃車) 3301(1927年) → 相模鉄道3301(1932年廃車) 3302(1927年) → 片上鉄道4(1951年廃車) 3303(1927年) → 佐久鉄道3303 → 国有鉄道3303 3306(1927年) → 相模鉄道3306(1932年廃車) 3308(1928年) → 片上鉄道5 → 鉄道車両工業5(1940年譲受) 3309(1927年) → 佐久鉄道3302 → 国有鉄道3309 → 片上鉄道8(1936年譲受。1953年廃車) 3311 → 明治鉱業平山鉱業所(1959年廃車) 3313(1927年) → 佐久鉄道3301 → 国有鉄道3313 → 片上鉄道9(1935年譲受。1955年廃車) 3315(1932年) → 片上鉄道6(1951年廃車) 3316(1927年) → 王子製紙豊原工場 3317(1929年) → 横荘鉄道5(1950年廃車) 3319(1927年) → 相模鉄道3319(1932年廃車) 本形式が最終的に国有鉄道から除籍されたのは、1950年(昭和25年)の3323(建設局所属)であった。
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