廃車と譲渡とは? わかりやすく解説

廃車と譲渡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 18:48 UTC 版)

北条鉄道フラワ1985形気動車」の記事における「廃車と譲渡」の解説

フラワ2000形代替導入に伴い2000年に1985-2、2001年にフラワ1985-3、2009年にフラワ1985-1が廃車となり形式消滅した。 フラワ1985-1が最後まで在籍していたものの、老朽化によって週2日しか稼働できないという状況であった。そのため代替用に三木鉄道からフラワ2000形同形ミキ300形を1両購入し、フラワ1985-1をイベント用とする計画であった。しかし、2009年1月車両故障起こして使用不能となったまま同年3月31日付け除籍された。皮肉にもさよなら運転などは故障ということもあって行われなかった。 廃車後フラワ1985-2は紀州鉄道譲渡されキテツ1形 キテツ1となったが、フラワ1985-1も同社譲渡されキテツ2となった。フラワ1985-3については、個人売却されている(『鉄道ジャーナル2002年5月号より)。キテツ1は紀州鉄道2015年まで使用された後2017年3月有田川町鉄道公園無償譲渡され2020年にフラワ1985-2時代塗装復元された。

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廃車と譲渡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 02:12 UTC 版)

東急6000系電車 (初代)」の記事における「廃車と譲渡」の解説

1986年6月7日デハ6001・6002号が廃車された。その後他の車両順次廃車進行し1989年11月21日デハ6007・6008およびデハ6105~6108の計6両が廃車されたのをもって東急線からは全車廃車された。 VVVFインバータ制御実用試験車B編成車体は、ジョイフル本田茨城県下の店舗一般に売却された。2004年7月時点では、4両全てが県内倉庫会議室などとして利用されている。 一方C編成12両は4両が日立製作所、8両が弘南鉄道譲渡された。日立製作所の4両は同社水戸工場試験用通勤客車として使用された後に廃車された。 弘南鉄道では先頭車4両が1988年昭和63年)と1989年平成元年)の2回に分けて入線し、2両編成2本(6005-6006、6007-6008)の陣容となって大鰐線運用されたが、2006年平成18年10月31日快速列車廃止に伴い予備となった2008年平成20年3月6日にはさよなら運転実施したが、その後検査続けられ稼働状態が維持されていた。 2014年平成26年8月に2編成並べて最後撮影会が行われた。その後6005編成廃車となり、6006は解体処分、6005は津軽大沢駅大鰐線)の車庫倉庫として使用されている。残る6007編成も、車籍は残っているものの稼働できる状態にはなく、静態保存となっている。 中間車4両は津軽大沢駅平賀駅弘南線)の車庫倉庫として使用されている。

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廃車と譲渡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/28 14:30 UTC 版)

国鉄5700形蒸気機関車」の記事における「廃車と譲渡」の解説

廃車は、1928年から北海道の分について開始され1931年1933年1934年大部分廃車となり、1936年をもって国有鉄道からは形式消滅となった。これらのうち8両は下記のとおり払い下げられたが、樺太庁鉄道移管された2両については、1943年実施され南樺太内地化により、国有鉄道編入されたが、太平洋戦争敗戦後状況については不明である。他に5750の炭水車1931年夕張鉄道払い下げされ、水運車として使用されている。 5704(1931年) → 北海道拓殖鉄道山門炭鉱1940年譲渡) → 三池鉱山(貸渡) → 熊延鉄道(貸渡) → 廃車 5735(1933年) → 三好礦業日本炭礦) 5736(1934年) → 日本礦業日本炭礦) 5737(1932年) → 三好礦業日本炭礦) 5738(1933年) → 三好礦業日本炭礦) 5743(1938年) → 日産化学工業日本炭礦) → 1954年廃車 5756(1932年) → 樺太庁鉄道国有鉄道1943年) 5757(1932年) → 樺太庁鉄道国有鉄道1943年

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廃車と譲渡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 17:11 UTC 版)

国鉄3300形蒸気機関車」の記事における「廃車と譲渡」の解説

国有化後の本形式は、旧山陽鉄道のものは姫路から小路広島下関移り、旧九州鉄道のものは大里若松行橋、大分、熊本などに分散して配置され貨物列車牽引用や入換用として使用された。 廃車1918年大正7年)の33101922年大正11年)の3314から始まった1926年には、神戸鉄道局に4両、門司鉄道局に14両、建設局に4両の配置であった1927年昭和2年)から1932年昭和7年)にかけて、次の13両が民間払下げられている。下記のうち、佐久鉄道払下げられたものは、1934年昭和9年)の同鉄道国有化により再び国有鉄道となった佐久鉄道では3301 - 3303に番号揃えていたため、書類上は国有鉄道時代番号戻されたが、2両は佐久鉄道時代ナンバープレート外さないまま、再び払い下げられた。 3300(1927年) → 相模鉄道3300(1932年廃車) 3301(1927年) → 相模鉄道3301(1932年廃車) 3302(1927年) → 片上鉄道4(1951年廃車) 3303(1927年) → 佐久鉄道3303 → 国有鉄道3303 3306(1927年) → 相模鉄道3306(1932年廃車) 3308(1928年) → 片上鉄道5 → 鉄道車両工業5(1940年譲受33091927年) → 佐久鉄道3302 → 国有鉄道3309片上鉄道8(1936年譲受1953年廃車) 3311 → 明治鉱業平山鉱業所(1959年廃車) 3313(1927年) → 佐久鉄道3301 → 国有鉄道3313 → 片上鉄道9(1935年譲受1955年廃車) 3315(1932年) → 片上鉄道6(1951年廃車) 3316(1927年) → 王子製紙豊原工場 3317(1929年) → 横荘鉄道5(1950年廃車) 3319(1927年) → 相模鉄道3319(1932年廃車) 本形式最終的に国有鉄道から除籍されたのは、1950年昭和25年)の3323(建設局所属であった

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