廃車された、または寄贈された車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:16 UTC 版)
「桜谷軽便鉄道」の記事における「廃車された、または寄贈された車両」の解説
2017年8月までに、電車1両、客車3両、機関車6両(電気機関車2両、ガソリン機関車3両、バッテリー機関車1両)、気動車1両、その他の車両5両の計16両が廃車または寄贈された。 電車 デハ6(寄贈)1999年10月製造、2011年3月寄贈、総出力116W(58W×2基)。モデルは花巻電鉄軌道線用「馬面電車」。茶色の電車。 両運転台車であったが、進行方向側運転台を撤去した上で寄贈された。 客車 101号客車(寄贈)1998年10月製造、2009年9月寄贈。茶色の客車。 桜谷初の旅客用車両。 201号客車(初代 廃車)モデルは沼尻鉄道の車両。茶色の客車。 デッキつきの客車で子供に人気が高かったものの老朽化や定員数の問題などで廃車された。台車はホト71に流用。 機関車 デキ3(電気機関車)2006年8月製造、2017年8月廃車、総出力270W。モデルは銚子電鉄デキ3。緑色の機関車である。 電気機関車であるが、出張運転のためにバッテリー走行も可能。誕生当初は集電にオリジナルモデルと同じようにビューゲルを採用し、集電も良好だった。しかし、トロリーポール集電や分銅型パンタグラフにあわせて架線や建築限界を調整すると離線しやすく、ビューゲルに合わせるとパンタグラフが離線するというジレンマを起こし、結局デキ3も分銅型パンタグラフに換装し補助機関車として活躍していた。 DD11 9(電気式ガソリン機関車、寄贈)2010年8月製造、2012年2月寄贈、総出力540W。モデルは国鉄DD11形。赤い機関車。 長編成を牽引するために製造され、桜谷軽便鉄道の機関車の中で最大のサイズを誇り、運転室に2名が乗車できた。前方ボンネットにガソリン発電機、後方のボンネットに抵抗器を搭載していた。現在は他社線に譲渡されている。 B5ガソリン機関車(寄贈)2002年5月製造、2005年2月寄贈、総出力200W(100W×2基)。茶色の機関車。 5号電気機関車から一部部品を流用し製造された電気式ガソリン機関車。勾配のある南山線用に作られた機関車のため、桜谷軽便鉄道として電気ブレーキを初採用。 4号ガソリン機関車(寄贈)1998年10月製造、2005年2月寄贈。茶色の機関車。 5号電気機関車(廃車)1999年5月製造、廃車時期不明、総出力200W(100W×2基)。茶色の凸型機関車。 B5ガソリン機関車・モハ1408に部品流用。 1号バッテリー機関車(廃車)1996年11月製造、廃車時期不明、総出力20W。茶色の機関車。 桜谷軽便鉄道最初の動力車。 B5ガソリン機関車 デキ3電気機関車 気動車 キハ3(ガソリン動車 改造)2003年2月製造、2013年11月改造しキハ3としては廃車、総出力232W。モデルは尾小屋鉄道キハ3。赤いガソリンカーである。 南山線初の自走車両。体験運転や免許試験などで多く活躍した。しかし、2012年7月にトラブルが発生して以降は運用されず、モーターの一部や制御器部分が外されるなど、事実上の休車となっていた。 キハ3電気式ガソリンカー その他の車両 61号人車(廃車)2009年2月製造、2014年6月までに廃車。 下部軌道(現こども人車軌道)に走っていた人車(車号無し 初代)の老朽化に伴う置き換えで新造された客車で、いつでも自由に動かせた。 人車(車号なし初代 廃車)1998年6月製造、2009年2月までに廃車。 10号鉱車(寄贈)1996年7月製造、2008年6月寄贈。 3号バッテリー動車(寄贈)1997年12月製造、2000年1月寄贈、総出力116W(58W×2基)。路面電車がモチーフの茶色の車両。 車両の一部をデハ6へ流用。 20号鉱車(廃車)1997年7月製造、廃車時期不明。 61号人車
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