廃藩置県後の苗代川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:57 UTC 版)
1871年8月29日に廃藩置県が断行されたことにより、薩摩藩が廃され鹿児島県が置かれた。これにより薩摩藩の保護と統制を受けていた苗代川では藩主導で行われていた製陶事業は民間企業として行われることとなり、「薩摩製陶会社」が設立されたが、1873年(明治6年)に商法上の不利損失を起こしその後社長が逃亡したことにより、1877年(明治10年)には会社が解散した。1874年(明治7年)に薩摩製陶会社を退職した第12代沈壽官は新たに窯を起こし、陶工たちの受け皿となった。 また、廃藩置県の同年の戸籍法による壬申戸籍によってそれまで氏を与えられ士族相当の扱いを受けていた苗代川の村民の大半が平民に編入された。苗代川の住民ら364名は士籍編入届を鹿児島県に数度にわたり提出したものの財政負担の増大を恐れた明治政府によって拒絶された。その結果、苗代川の住民は日本式氏の獲得を経て苗代川の外へ移動していった。著名な苗代川出身の人物としてのちに外務大臣となった東郷茂徳がいるが、茂徳は陶工であった朴壽勝の長男であり、朴家も陶業で苗代川における地位を築いていたが、士族株を購入して東郷姓を取得して東郷茂徳と名乗るようになったという。 1884年(明治17年)には9ヶ村を管轄する戸長役場が苗代川村に置かれた。
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