地域較差
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:24 UTC 版)
被差別部落の数や部落問題の認知度については大きな地域較差がある。差別の対象となった賤民身分や被差別部落の呼称も地域により様々であり、一般に関西を中心とした西日本には、大規模な被差別部落が多く存在し、解放運動が盛んに行われる傾向が強い。 一方、関東地方では、残存した被差別部落が極めて少ない上に、1960年代以降の人口移動の継続的な増加 と、大規模な都市再開発が進められたため、1970年代半ばには、住民とその居住する地域の関連性が見出せなくなった。これにより、被差別部落も曖昧な「過去の概念」に変化し、自律的な被差別部落の解消が急速に生じた。 北陸地方や東北地方でも、残存した被差別部落はごく少数であったことから、明治時代中期には、既に被差別部落への意識は希薄なものとなっていた。このような状況から、戦後の学校教育で、部落問題を敢えて取り上げる必要性も無くなった。また、並行して「部落」という言葉は「被差別」の意味を失い、「一般的な集落」や「町内会」といった本来の語義に戻った。差別用語としての認識は全く無く、むしろ地域の仲の良さを象徴する言葉となっている。現在の東北出身者のほとんどは住む地域や職業による差別が存在すること自体知らず、理解に苦しむ者がほとんどである。 このように、東日本では1980年代初頭までに、被差別部落の解消が広い範囲で進展したため、解放運動も局所的かつ小規模なものに留まるようになった。なお、北海道や南西諸島には、この項でいう「被差別部落」は存在していない。(琉球における宮古・八重山に対する差別と、この項で述べるものとでは、その背景が異なっている。) 北陸地方で部落問題が深刻化しなかったのは、大多数が浄土真宗(一向宗)を信仰していたことが一因である。浄土真宗では武士、猟師、そして被差別民の「役務」・「家職」に伴う殺生は、忌避の外としていた。浄土真宗では自力で本願を遂げられると信じる「善人」よりむしろ「悪人」こそが、阿弥陀如来によって救われる存在であるという「悪人正機説」が唱えられた。ここでいう「悪人」とは自力で本願を遂げられないもの、煩悩や迷いがあり悟りを開けぬものものといった意味であるが、鎌倉時代の辞書『塵袋』によると当時の「悪人」という言葉には賤業と考えられていた猟師・商人の意味もあった。このような教義から浄土真宗は全国の被差別民の救済にも熱心にとりくみ、被差別民の大半が浄土真宗に帰依していくことになる。浄土真宗が殺生とどう向き合っていたのか例を挙げると越中(富山県)に残る「念仏行者心得か条」には「稼職に非ざる殺生を致し申す間敷事」(仕事ではない殺生はしないようにしましょう)と書かれている。代々の指導者は繰り返し生きるために必要な殺生の必要性を説いている。開祖親鸞は「海川に、網を引き、釣をして、世をわたるものも、野山に、猪を狩り、鳥を取りて、生命を継ぐともがらも、商いもし、田畠を作りて優る人も、たゞ同じことなり」と言っている。また本願寺中興の祖といわれる本願寺第8世の蓮如が越前(福井県)吉崎御坊を拠点としていた際に書いたと思われる手紙(御文)の一節に「ただあきなひをもし、奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬるわれらごときのいたづらものを、たすけんと誓ひまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり」とある。 浄土真宗への帰依が深い越中(富山)において被差別民にあたる職業を担っていた「藤内」は一般集落から隔離されること無く、各集落内に分拠していたため被差別部落そのものが形成されなかった。加えて、1980年代後半以降、これらの地域では急速な過疎化が進み、1990年代以降は被差別部落も含め消滅集落になる集落が珍しくなくなった。この状態で被差別部落の隔離が維持されることはなく、意識が低かったこともあって部落問題そのものが過去のものとなりつつある。そのため、北関東地方も含めたこれらの地域では、通常の学校教育では現代の部落問題に関して教えることはまずないことから、関西以西に進学する学生を対象に、部落問題についての禁忌、タブーといったものを特別に講義する事態になっている。 2019年9月に発覚した福井県高浜町における関西電力幹部らの金品受領・便宜供与問題の第三者委員会の報告書では1987年に高浜発電所において従業員間で同和地区出身者による差別事案が発生し、また1988年には関西電力協力会社の従業員が同和地区出身者に対し、差別発言をしたとして部落解放同盟高浜支部から問題提起がなされて以降、関西電力では主に原子力発電所関連の要職に就いている役職員に対し人権教育をするようになったとしている。また事件に関与した森山栄治が高浜町長をもしのぐ権威をもつに至る背景に部落解放同盟の存在があり、「森山さんは部落解放同盟の力を笠に着て、役場でも出世していきました」との共産党町議の言葉を引用した週刊新潮の記事や「人権団体を率いて、差別をなくす“糾弾活動”の名目で恐怖政治を敷き」と同じ町議の言葉を引用し、「女性教師が差別発言をしたとして森山らに糾弾され教員を辞めた」という話を紹介した週刊文春の報道に対し、部落解放同盟中央本部が執行委員長名で「部落は怖いものとする予断や偏見を利用し」「部落差別の助長拡大」をしていると批判コメントを発表する事態となった。 東北地方は、戦国時代などでも雪が多いため、戦いには不利で冬には食糧を生産することが困難なため、欲しがる武将もおらず、安定した場所であった。しかしその分、他の地方からの食べ物が入らないために冬を越すためには地域による助け合いが必要不可欠であり、部落差別をする余裕すらなかった。しかし反面で地域の助け合いを行わない・働かない者は排除されていた。地域的な差別こそないものの、家主が非協力的な態度であれば、周囲からも援助を得られなかった。そういった者は子供の世代が幼少期の苦労や成長しても煙たがられて仕事をもらえないため、他県に移住し、二度と故郷に帰ることは無かった。
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