四日市萬古焼
四日市萬古焼 |
よっかいちばんこやき |
陶磁器 |
急須、茶器、花器、酒器、室内置物 |
約260年前、江戸時代中期の大商人に沼波弄山という人物がいました。茶の湯に詳しく陶芸を趣味にしていた弄山が、自分の作品が永遠に伝わるように願いを込め、「萬古不易(ばんこふえき)」の印を押したのが、萬古焼の名の由来です。こうして生まれた萬古焼は、弄山の死とともに一時中断してしまいましたが、江戸時代後期になって、再び焼かれるようになりました。現代の四日市萬古焼は、そのときの技法を研究して明治時代の初めに焼かれたものがもとになっています。四日市萬古焼は、各時代の流れに沿った特色ある陶磁器を生産し続けています。 |
三重県 |
昭和54年1月12日 |
お茶を愛する人々に古くから親しまれている萬古焼の急須は、お茶の味わいを高めるだけでなく、使い込むほどに落ちついた独特の艶が現れます。 |
萬古焼
(四日市万古焼 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 23:27 UTC 版)
萬古焼(ばんこやき[1]、万古焼)は、陶磁器・焼き物の一つで、葉長石(ペタライト)を使用して耐熱性に優れた特徴を持つ。陶器と磁器の間の性質を持つ半磁器(炻器)に分類される。三重県四日市市を中心に、土鍋などが生産されている[1]。
- ^ a b c d e f 「土鍋 底突く危機/萬古焼 リチウム特需で原料不足に」『東京新聞』夕刊2023年9月7日1面
- ^ 四日市の指定・登録文化財:四日市萬古焼
- ^ a b “四日市の日本一 土鍋の生産量” (PDF). 四日市市 (2012年10月). 2018年8月21日閲覧。
- ^ “リチウムイオン電池需要拡大、窯業に打撃 粘土価格10倍”. 日本経済新聞 (2023年6月9日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “萬古焼とは”. ばんこの里会館. 萬古陶磁器振興協同組合連合会. 2021年5月10日閲覧。
- ^ a b c 西垣・松島(1974):156ページ
- ^ “桑名萬古焼”. 事典 日本の地域ブランド・名産品(コトバンク所収). 2018年9月2日閲覧。
- ^ a b c 鹿嶋(2007):341ページ
- ^ 四日市市 編(2000):600ページ
- ^ 「日本の輸出品への影響」『東京朝日新聞』昭和5年6月25日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p9 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 鹿嶋(2007):341 - 342ページ
- ^ “伊勢志摩サミットで使用された代表的な食器類”. 日本国外務省. 2016年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月29日閲覧。
- ^ 内田鋼一「萬古焼 ユニークな歴史◇三重・四日市の伝統工芸品 時代に合わせ嗜好に沿う◇」『日本経済新聞』朝刊2018年9月27日(文化面)2018年9月28日閲覧
四日市萬古焼
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四日市萬古焼は山中忠左衛門の尽力によって興り、阿倉川や末広に最初の窯が建った。 もともと阿倉川では、唯福寺の住職田端教正が陶工を招き、文政12年(1829年)に信楽焼風の雑器を作る窯を開いた(海蔵庵窯)。隣村末永の庄屋であった山中忠左衛門は、海蔵庵窯で焼き物の手ほどきを受け、憧れる有節萬古を研究するため、嘉永6年(1853年)に自邸内に窯を開いた。 明治時代には山中忠左衛門らによって洋皿やコーヒーカップ等の洋食器の研究や地域住民への製作指導、海外輸出も行われるようになった。陶土として使っていた四日市の土は赤土であり、輸出向けの白地の食器を作ることが困難であったため、日本各地から陶土・陶石を移入して対応した。昭和に入る頃には日本国内から萬古焼の陶土に適した土がなくなってしまったが、1936年(昭和11年)に開催された国産振興四日市大博覧会を通して朝鮮に適した陶土があることが分かり、取引の具体化が始まった。 第二次世界大戦前、生産額の60%は対米輸出が占めていた。対米輸出が途絶えた戦時期には、耐火煉瓦や、軍需優先で不足した金属製品の代用品の製造などを行った。1945年(昭和20年)6月18日の四日市空襲で、製造設備の8割と販売業者の施設のほとんどが焼失する大きな被害を受けた。 戦後、萬古焼の復興は速やかに進んだ。1959年(昭和34年)頃には高熱を加えても割れない陶土の開発に成功し、「割れない土鍋」として国内シェアを伸ばした。 輸出の最盛期であった1980年(昭和55年)には出荷額が202億円に上ったが、1998年(平成10年)には85億円まで落ち込んだ。一方国内向けの出荷額はほぼ横ばいを続けている。2016年(平成28年)5月26日から5月27日にかけて開催された第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)では、萬古焼の盃が首脳陣の乾杯の際に使用された。 四日市市内陶栄町には萬古神社が築かれ、森や山中の記念碑が建てられている。また5月第2週の土日には萬古祭りが開かれ、様々な陶器が売られている。 萬古焼の作品は桑名市博物館のほか、私立のパラミタミュージアム(三重県菰野町)、BANKO archive design museum(四日市市)などに所蔵・展示されている。
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