阿漕焼とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 工芸 > > 阿漕焼の意味・解説 

あこぎ‐やき【××漕焼】

読み方:あこぎやき

三重県津市から産する陶器万古(ばんこ)焼の分派である安東(あんとう)焼を、嘉永6年(1853)再興したのが始まり


阿漕焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 07:30 UTC 版)

阿漕焼(あこぎやき)は、三重県津市で焼かれる陶器。名の由来は地名の阿漕浦に因む。萬古焼の流れを汲み、200年余りの歴史がある。三重県指定伝統工芸品

歴史

阿漕焼の元祖は、萬古焼の祖 沼波弄山の弟子であった沼波瑞牙であるとされる[1][2]。瑞牙は藤堂藩の招聘によって当時の安東村にて窯場を開き、萬古焼を焼き始めた[1]。このため、当初は「安東焼」といわれたが[1][2]、10年程度で途絶えた[2]。嘉永年間(1848~54年)、津藩が陶芸家の倉田久八に再興を命じて復活する[2]。安東村観音寺から船頭町へ移転して「御納戸焼」とも呼ばれた[1]。明治時代に入ると、藤堂藩からの支援がなくなり、常用食器を制作するようになる[1]。この頃から阿漕浦に因んで「阿漕焼」と呼ばれるようになった[1]。1890年までに廃窯した[1]

一方で、船頭町の廃窯の頃、贄崎で土手阿漕が操業を開始し、「阿漕」の窯印が広く用いられるようになった[1]。しかし、土手阿漕も1897年頃に解散する[1]。その後、会社阿漕(1901 - 05年)、小島阿漕(1905 - 1909年)、上島阿漕(1907 - 1922年)、重富阿漕(1922 - 1926年)、福森阿漕(1931年 - )と、いくつもの窯が衰退と復興を繰り返した[1]

昭和になって、津市長堀川美哉は萬古焼職人の福森円二を招き、阿漕焼を再び盛り返そうと図った。当初は厳しい経営が続いていたが、戦後になって日用雑器から付加価値の高い茶器に対象を転換し、阿漕焼は再興を果たした。

器自体は萬古焼の流れを汲みながら、九谷焼のような絵付けを施すのが特徴。朱や緑、黄色、紫、紺青など艶やかな色彩を巧みに用いる。また、時代によって様々な形態が見られる。

主な作品

  • 窯変耳付瓢箪水指 - 福田長兵衛作
  • 茶碗
  • 花瓶
  • 茶入

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 阿漕焼”. www.bunka.pref.mie.lg.jp. 三重県環境生活部文化振興課歴史公文書班. 2025年1月7日閲覧。
  2. ^ a b c d <津一之商店物語> (30)興亡を繰り返した津の名産 阿漕焼:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2025年1月7日閲覧。



阿漕焼と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「阿漕焼」の関連用語

阿漕焼のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



阿漕焼のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの阿漕焼 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS