北川
清流と共に生きる
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
北川は、その源を滋賀県と福井県との境をなす野坂山地の三十三間山付近に発し、三重岳、武奈岳にさえぎられた滋賀県今津町の山間部を天増川(あますがわ)という渓流河川で南流して、県境付近において左支川の寒風川(さむかぜがわ)を合わせ、流路を北西に転じます。上中町にて右支川鳥羽川を、さらに小浜市にて左支川遠敷川(おにゅうがわ)を合わせて日本海に注いでいます。北川は、流域面積214.7km2、幹川流路延長が30.3kmと、一級河川のなかでは小さい河川です。 |
小浜市中心を流れる北川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.北川の歴史 |
"北川は流路延長が短く、河床勾配が急な河川特性から、一級河川では非常に珍しい霞堤という治水手法が現在でも残っています。" |
北川は流路延長が短く、勾配も非常に急な河川であるため、大雨が降ると短時間のうちに急激に増水します。しかし、雨が降り止めば河川水位の減少速度が早いため、現在でも霞堤が残っています。
また、北川には急な河床勾配を緩和する目的もあって取水堰兼用の落差工が多く設置してあり、これを利用したかんがい用水取水によって、河川水の効率の良い循環利用が行われています。北川の特徴のひとつに、このような取水堰の多い事が挙げられます。しかし、反面においては、このような多くの落差工があることによって、流下阻害をもたらしています。
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2.地域の中の北川 |
"古くから現在まで北川沿いの鯖街道が物流の主要道となっており、北川流域と京都・奈良を深く強く結びつけています。このことは、鵜の瀬のお水送りと奈良東大寺二月堂のお水取りの神事が現在にまで伝承されている事からもうかがえます。" |
このいわれは次のようです。 「二月堂の創建者である実忠和尚(じっちゅうおしょう)が天平勝宝4年(752)、東大寺の修二会に全国津々浦々の神を招きましたが、若狭の遠敷明神だけが魚釣りに夢中になっていたため、遅れて駆けつけました。そのお詫びに、本尊に供える閼伽水(あかみず)を若狭から送りますと申し出ました。遠敷明神が二月堂近くの大岩の前で祈願したところ、たちまち岩が真っ二つに割れ、白黒二羽の鵜が飛び立ち、その跡から清水が湧き出ました」という由来から、若狭井と名付けられ、また鵜を放った場所を鵜の瀬と呼ぶようになりました。 奈良東大寺の二月堂で毎年3月12日の深夜に行われる「お水取り」には二月堂真下の若狭井で汲まれる香水が用いられますが、遠敷川の鵜の瀬が水源で、地下水脈を通じてつながっていると信じられています。
このように、北川流域では、名水・清水どころや、神事・伝説・伝承が大変多く残っています。 |
3.北川の自然環境 |
"北川の水質は全国一級109水系のうちで3番目に綺麗な川です。こうした事から清流にしか生息出来ない動植物が多く見られ、手つかずの自然の中、多種多様な生物が北川の恩恵を受けて生活しています。" |
また、底生動物は145種確認されました。そのうち、ゲンジボタルをはじめとする昆虫綱が107種と全体の約74%を占め、ついで甲殻綱が14種、マキガイ綱7種、ゴカイ綱5種でした。
鳥類は平成10年度水辺国勢調査によると、12目30科87種が確認されました。四季を通じてスズメ目がもっとも多く見られます。特定種の中のミサゴは出現頻度が高く、北川が良好な餌場になっているものと考えられます。絶滅危惧種のクマタカやハヤブサをはじめ、希少種のチョウサギやオシドリ、危惧種のカンムリカイツブリ、自然度の高い所に生息するカワセミも確認されました。 植物は平成12年度水辺国勢調査の夏季及び秋季調査によると、90科533種が確認されました。植物相としては、河川敷植生が主体ですが、山地に近いこともあって山地性の植物も含まれています。代表的な植生は、自然植生の抽水植物群落であるツルヨシ群落です。絶滅危惧種であるカワジシャ、危急種であるミクリやナガエミクリが確認されています。 このように、人間を含む動植物全てが、北川の恩恵を受けて生活しています。 |
4.北川の主な災害 |
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
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