人事の歴史
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警察予備隊創設当時の内閣総理大臣吉田茂には旧陸軍に対する反発があり、警察予備隊創設に当たって、国会で「警察予備隊創設の目的は、国内の治安維持のためである。軍隊にあらず」と答弁している。一方で、吉田茂と知己である辰巳栄一元陸軍中将が、吉田の軍事顧問として影で警察予備隊幹部人選に関与している。警察予備隊の総隊総監(のちの保安庁第1幕僚長、防衛庁陸上幕僚長に相当する)の人選にあたって、服部卓四郎元陸軍大佐を推す声がGHQからもあったが、吉田や辰巳の反対もあり旧内務官僚であった林敬三が充てられた。林は総隊総監・第1幕僚長として4年、統合幕僚会議議長としてさらに10年の計14年の長きに渡り自衛隊の制服組トップをつとめた。各自衛隊は発足の経緯から、いずれも初代幕僚長に旧内務省や旧逓信省といった官僚出身者を迎えたが、海自・空自が初代のみで終わったのに反し、陸自は戦中派出身の陸上幕僚長19名の内、内務官僚出身者が5名もおり、陸自が「内務軍閥」と言われる元となった。しかし、下記のように続々と帝国陸軍の元現役将校たちが大量に復権し警察予備隊および保安隊の中核となっていき、現在の陸上自衛隊が作られていくことになる。 1950年8月の警察予備隊創設当初は陸軍士官学校・陸軍航空士官学校出身(士官候補生)の元現役将校の入隊は認められず、幹部は警察を含む内務省等の文官や、陸軍予備士官学校等出身(甲種幹部候補生等)の元予備役将校からなった。発足以後、矢継ぎ早にアメリカ陸軍からさまざまな兵器の供与を受けたが、もとより軍事知識に乏しい文官出身者や短期間の下級将校教育しか受けていない元予備役陸軍将校では部隊の指揮統率や兵器に関する教育は不可能であった。そのため指揮系統をより強固なものとすべく、翌1951年(昭和26年)6月には陸士・陸航士第58期卒の元現役陸軍将校であったうちの245名が第1期幹部候補生として入隊したが、58期生は陸軍少尉任官が終戦直前であったために実務経験が乏しく、期待されたほどの効果はなかった。このことから、帝国陸軍において高度かつ長期間の軍事教育を受け実戦経験も豊富な陸軍中佐以下の佐官級元現役陸軍将校まで募集が拡大され、同年10月1日には竹下正彦元陸軍中佐(陸士第42期。のち第4師団長、陸上自衛隊幹部学校長)、衣笠駿雄元陸軍少佐(陸士第48期。第1空挺団初代団長を経たのち第8代陸上幕僚長、第6代統合幕僚会議議長)や曲壽郎元陸軍少佐(陸士第50期。のち第10代陸上幕僚長)などの405名の元佐官が、12月5日には407名の元尉官が採用され警察予備隊に合流した。 当時は陸軍大佐の入隊は認められなかったが、1952年(昭和27年)7月14日、保安庁保安隊への組織改編を前に、軍事的専門性をより高めるために陸士と陸軍大学校または陸軍砲工学校高等科を卒業し、陸軍省や参謀本部の中枢において日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)の指導的立場にあった者を中心とする元陸軍大佐10名と元海軍大佐1名の入隊が認められた。その11名の内訳は杉山茂(陸士第36期。のち第2代陸上幕僚長)・杉田一次(陸士第37期。のち第3代陸上幕僚長)・岸本重一(陸士第34期。のち幹部学校長)・松谷誠(陸士第35期。のち北部方面総監)・井本熊男(陸士第37期。のち幹部学校長)・新宮陽太(陸士第38期。のち幹部学校長)・高山信武(陸士第39期。のち陸上幕僚副長)・細田煕(陸士第39期。のち東部方面総監)・吉橋戒三(陸士第39期。のち幹部学校長)・松田武(陸士第39期。陸上幕僚監部第4部長を経て1956年に空自に転官、のち第4代航空幕僚長)・桜義雄(海兵第52期。のち北部方面副総監兼札幌駐屯地司令)となる。同年同月には天野良英元陸軍中佐(陸士第43期。のち第5代陸上幕僚長、第3代統合幕僚会議議長)・吉江誠一元陸軍中佐(陸士第43期。のち第6代陸上幕僚長)が、さらに1955年(昭和30年)10月には陸軍中野学校に関係し情報戦や心理戦を担当していた藤原岩市元陸軍中佐(陸士第43期。調査学校長を経たのち第1師団長)などが合流している。 元軍人の警察予備隊(保安隊・陸上自衛隊)入隊に際して、その階級は旧軍時代の最終階級に相当するものが与えられている。例として元大佐である杉山や杉田は入隊と同時に大佐相当の1等警察正となり、翌1953年(昭和28年)に少将相当の保安監補、さらに1954年(昭和29年)7月の陸上自衛隊発足時に陸将に昇任し、何れも数年後に陸上幕僚長に就任している。 1957年(昭和32年)に、初の防衛大学校(旧保安大学校)出身の隊員が入隊して以降、順次防衛大学校出身の幹部自衛官が増加していった。1986年(昭和61年)3月に中村守雄陸将(陸軍航空士官学校第61期)が退官したことにより、陸上自衛隊における旧陸軍出身者は皆無となった。陸海空自衛隊最後の旧軍出身者は翌1987年(昭和62年)12月に退官した、空自の森繁弘統幕議長(航士第60期)である。なお、旧陸軍軍人は陸上自衛隊(警察予備隊・保安隊)だけでなく、旧陸軍航空部隊出身者を中心に航空自衛隊にも多数入隊しており、航空幕僚長就任者を旧軍の出身別に分けると陸軍11名・海軍5名と旧陸軍出身者が過半数を占め旧海軍出身者を上回っている。 近年は災害派遣、海外派遣など活動範囲を広げ、国内外で注目を集めている。また、自衛隊そのものの活動ではないが、カンボジアにおいて、元陸自隊員の立ち上げたJMASが地雷不発弾処理を行い、成果を挙げている。 アメリカ陸軍の陸軍最先任上級曹長(Sergeant Major of the Army)制度や海上自衛隊の先任伍長制度を参考に、2006年(平成18年)4月1日には、陸上幕僚監部に「陸上自衛隊最先任上級曹長」を置いて、准陸尉・陸曹階級の能力活用にも取り組んでいる(曹士の能力活用)。
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