フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとは? わかりやすく解説

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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 14:11 UTC 版)

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトドイツ語: Philipp Franz Balthasar von Siebold1796年2月17日 - 1866年10月18日)は、ドイツ医師博物学者出島の三学者の一人。


注釈

  1. ^ オランダ人と偽って日本に入国しており、「シーボルト」はオランダ語の発音に近い。また、出身であるヴュルツブルクはバイエルン・オーストリア語が使われており、「S」の有声化が少ない特徴があるため、出身地の発音としてもシーボルトが近い。
  2. ^ ヴュルツブルクはシーボルトの少年期から青年期にかけて帰属する国家が様々に変遷しており、1803年にバイエルン選帝侯領へ編入され、1805年にヴュルツブルク大公国の首都となった後、1814年からバイエルン王国に属するようになった。神聖ローマ帝国は1806年に滅亡した。
  3. ^ デリンガーは後にミュンヘン大学の教授や上級宮中顧問官になるなど、生理学者、比較解剖学者としてヨーロッパの学会に広く名を知られた人物だった。彼は医学だけでなく、自然科学全般に深い関心をもち、自宅に当時名高い多くの学者が集まり、様々な問題について議論をしていたといわれる。
  4. ^ シーボルトを教えた教授の中で特に賞賛されているのが、デゥトルポン教授(産科学)、テクストル教授(理論外科学)、そしてシェーンライン教授である。特にシェーンラインは特殊治療および臨床学担当の教授で、シーボルトは多大な影響を受けた。自然史研究(博物学)の方法論に沿った、観察、記述、比較を重んじ、ドイツで初めて聴診、打診、血液や顕微鏡による観察と科学的分析を導入した。
  5. ^ 「シーボルトとツッカリーニが日本から記載した分類群のレクトタイプと原資料」について執筆が進む[2]。2002年初に単子葉植物綱 (1) [3]。「SieboldとZuccariniが日本から記載した分類群レクトタイプと原資料」シリーズ。
  6. ^ 持ち帰った植物にはイタドリも含まれていたが旺盛な繁殖力から、後年にわたる外来種として問題視されることとなる。詳細はイタドリの記事を参照。
  7. ^ 妻となるヘレーネ・フォン・ガーゲルンは無爵位の貴族出身。戦前の日本であれば華族ではなく士族相当の階層。
  8. ^ シーボルトが集めた標本と博物画のデジタル化事業。植物の学名命名者がSieb. et Zucc.とあるのは、彼らが命名し現在も名前が使われている種である。アジサイなどヨーロッパの園芸界に広まったものもある
  9. ^ 別題:シーボルト文献研究会『日本博物志』、日本学会 (編輯)、東京:郁文堂 (発売)、1937年、NCID BA38976382。「シーボルト文献蒐録 第三回」限定出版・300部。付録として江崎悌三著「日本博物誌:解説」3頁。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 西南学院大学 国際文化論集 2011, pp. 155–228.
  2. ^ 秋山 忍、Thijsse G、Esser H.J、大場 秀章「Siebold and Zuccarini's type specimens and original materials from Japan, part 1. Gymnosperms(第1部:裸子植物)」『植物研究雑誌 J. Jpn. Bot.誌』第87巻第5号、ツムラ、阿見町 (茨城県)、2012年、326–353頁、ISSN 0022-2062OCLC 852294826 「SieboldとZuccariniが日本から記載した分類群レクトタイプと原資料」シリーズ。
  3. ^ 秋山 忍、Thijsse G、Esser H.J、大場 秀章「Siebold and Zuccarini's type specimens and original materials from Japan, Part 13. Angiosperms : Monocotyledoneae (1)(第13部)被子植物 単子葉植物綱(1))」『植物研究雑誌 J. Jpn. Bot.誌』第95巻第1号、2020年2月、9-33頁。 
  4. ^ 秦新二 2007.
  5. ^ a b 山東功 2013.
  6. ^ 澤田武太郎 1927, pp. 43–45.
  7. ^ 日本遠征関連逸話集 >> 7.確執! シーボルトとペリー”. 在NY日本総領事館. 2017年10月16日閲覧。
  8. ^ a b c d e 西南学院大学 国際文化論集 2012.
  9. ^ a b c d e f g h 西南学院大学 国際文化論集 2013, pp. 247–308.
  10. ^ 薬学史事典 & 2016年, pp. 177–178.
  11. ^ 山東功.
  12. ^ a b シーボルトとは”. コトバンク. 2020年3月6日閲覧。
  13. ^ ニュース:文化 > シーボルト長男、明治新政府の偽札防止に貢献」『産経新聞』、2009年10月5日。オリジナルの2009年10月7日時点におけるアーカイブ。
  14. ^ a b 岩田祐作. “本人の手記「シーボルト記念碑とたき・いね・たかへ」”. 2008年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月30日閲覧。
  15. ^ 岩田祐作 2008.
  16. ^ 宮崎克則『『シーボルト『NIPPON』の書誌学研究』花乱社、2017年 がある。


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