ゲシュタポの危機迫るとは? わかりやすく解説

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ゲシュタポの危機迫る

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:05 UTC 版)

杉原千畝」の記事における「ゲシュタポの危機迫る」の解説

大公使館の「現地採用者スパイ思え」というのは外交世界では常識だが、ドイツ系リトアニア人のヴォルフガング・グッチェがまさにそれであった。しかし、ドイツ愛国者ではあったが反ユダヤ主義者ではなかったグッチェは、千畝の仕事手伝い神学生モシェ・ズプニックとの別れ際に、次のような予言的な言葉を残した。「世界は『車輪』だ。今はヒトラーが上だが、いつか車輪回って下になるさ。希望を失うなよ」。もう一人現地採用雇員は、ボリスラフ・ルジツキという名前のポーランド人で、表の顔領事館忠実なボーイ給仕だったが、実はルドヴィク・フリンツェヴィチが指揮するポーランド地下抵抗組織「ヴィエジュバ」(ポーランド語で「」の意)が公使館情報仕入れるために送り込んだ諜報員だった。こうして、カウナス日本公使館の懐深く複数ポーランド情報組織入り込みゲシュタポスパイまで抱え込む複雑怪奇情報戦渦中に千畝がいた。杉原夫人も、領事館には数人スパイ出入りしていることに気づいており、わずかの気抜かり命取りであったカウナス領事館閉鎖されてから、千畝がプラハ、さらにケーニヒスベルク赴任するようになったのは、名目上の上司だった大鷹正次郎ラトビア大使から松岡外相への進言よるものである。大鷹進言概要は、カウナス領事館の千畝のみをそのままケーニヒスベルク移転させ、対ソ諜報活動従事させることは、ドイツ側納得得られないだけでなく、ソ連側からもドイツ抗議がないとはいえない。したがって同地に正式の総領事、または領事任命し、千畝をその下に置いて、対ソ関係事務担当させた方がよいと思われるというものである1941年昭和16年8月7日ドイツ国家保安本部のラインハルト・ハイドリヒは、外相リッベントロップに対して、「ドイツ帝国における日本人スパイについて」の報告書1941年8月7日付)を提出し、そこにはドイツの「軍事情報並々ならぬ関心示していた」として、「日本領事杉原」の名前が筆頭挙げられ、「ポーランド及び英国親し人物」として名指し非難されていた。北満鉄道買収交渉ハルビン時代からソ連マークされていた千畝は、またドイツ諜報機関最大標的一つでもあった。亡命ポーランド政府情報将校たちが、カウナス日本公使館の手引きにより在欧日本大公使館バチカン後援を受け、さらにスウェーデン経由してロンドンポーランド亡命政府情報を送る、全欧規模諜報網をドイツ国家保安局が知るところになり、それゆえ千畝はケーニヒスベルクからの即刻退去求められのである。 千畝を忌避したのは東プロイセン大管区長官エーリヒ・コッホである。のちに美術品略奪者ウクライナユダヤ人虐殺者として悪名を馳せるコッホは、大量ユダヤ人逃亡助けた千畝に当初から強い反感持っており、ケーニヒスベルク着任から一か月後にやっと千畝を引見した。ほどなくベルリン大使館から千畝の東プロイセン在勤コッホ忌避した旨を伝えられ、千畝は最後任地であるルーマニアブカレストに向かうことになる。同盟国さえ出し抜き名目上敵国である亡命ポーランド政府情報将校とさえ協力する非情な情報戦世界に千畝は生きていた。いわゆる杉原ビザ発給最初契機は、千畝が活用していたポーランド情報将校を安全地域逃すためのものであるが、それは、軍人家族など関係者含めて多くて当初600名分通過ビザ予定であり、ここまで日本の外務省参謀本部周知のことであった。しかし、想定外出来事発生した。そしてそれが、ナチス追われポーランドからの大量難民リトアニアへの流入カウナス日本領事館への殺到である。 リビコフスキの回想録『対ドイツ情報 組織活動によれば情報提供受けたポーランド情報将校の安全を確保するため、ビザ発給山脇正隆陸軍次官からストックホルム武官府の小野寺信大佐当時)に命令されたものと、リガ武官府の小野打寛(おのうち・ひろし)中佐から杉原への指示があった二通りのものがあったが、千畝は単に「ポーランド情報機関への見返りというだけのことなら、ビザ発給止めることもできた」のであるドイツ側は、カウナス領事館向かい側地階監視用の部屋整え、千畝らがバルト海沿岸都市メーメル(現・クライペダ)へ遠乗りしたときも尾行車がついた。また、ソ連秘密警察カウナス領事館監視し暗号電報解読腐心して一部それに成功している。 ポーランド参謀本部との協力関係はもちろん千畝の発案ではなく出発点は、ロシア革命以降ソ連コミンテルン共通の敵とする両国利害関係一致にあった最初本格的協力シベリア出兵時期であり、日本入手した暗号表をポーランド側提供し、この返礼として、ポーランド暗号専門家ワレフスキ大尉1919年大正8年)、日本暗号システム全面的改定行った当時赤軍配置移動次々と見破るポーランド参謀本部諜報能力驚異的であり、諜報部門では、ポーランド日本先生であったそれまで日本暗号システムは、ルイ14世時代ロシニョール作ったものと大差のない二重語置換式という比較的よく知られ方式を採っていた。1920年代に、タイプライターキーボード操作できる暗号ホイールセットした暗号機作り調整改良してパープル暗号」と呼ばれるものを導入した。しかし、欧米先進諸国暗号作成解読技術追いつけぬまま先の敗戦迎え第二次世界大戦中せっかく苦労して入手した情報が、東京伝達される過程で、連合国防諜網に捉えられる事例数多くあった。

※この「ゲシュタポの危機迫る」の解説は、「杉原千畝」の解説の一部です。
「ゲシュタポの危機迫る」を含む「杉原千畝」の記事については、「杉原千畝」の概要を参照ください。

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