オウム真理教事件
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オウム真理教事件(オウムしんりきょうじけん)は、1980年代末期から1990年代中期にかけてオウム真理教が起こした一連の事件の総称である。
注釈
- ^ 地下鉄サリン事件発生直後に入浴し溺死した人物。
- ^ 松本サリン事件で負傷した河野義行の妻。
- ^ 刑事訴訟としては12人。オウム被害者救済法としては13人。
- ^ アレフ発足以後の逮捕者を除く。
- ^ 実行犯の新実智光も負傷。
- ^ 裁判で認定された死者数のため、河野義行の妻はカウントしない。
- ^ 住民調査での数。裁判では144人。1997年12月に裁判迅速化のため4人に変更。
- ^ a b 逮捕時のもの。
- ^ 2018年7月6日東京拘置所にて執行。
- ^ 一審は無期懲役判決。2018年7月6日大阪拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月6日東京拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月26日名古屋拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月6日東京拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月26日東京拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月6日広島拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月6日大阪拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月26日東京拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月6日福岡拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月26日宮城刑務所にて執行。
- ^ 2018年7月26日東京拘置所にて執行。
- ^ 2018年7月26日名古屋拘置所にて執行。
- ^ 検察側の求刑は死刑。
- ^ 一審は懲役5年判決。
- ^ 捜索班の一員だった牛島寛昭巡査(警視庁本田警察署所属)の証言では、牛島巡査が以前、信者が以前2階と3階の間の外壁の空気穴をカバーで隠していたことを思い出し、牛島巡査以下数名の機動捜査隊員が自発的に第六サティアン内に入って麻原教祖の捜索に当たることになった。一方機動捜査隊回報には、4分駐所の名前の他に功労者として8名の氏名が記載されているが、この中には牛島氏の氏名は見当たらない。
- ^ 当初、護送は警視庁が保有していたV-107大型輸送ヘリコプターで行われる予定だったが、当日悪天候の為ヘリコプターが飛べず、警察車両での護送に変更されたとの噂があるが、これについては、確かに当日、降雨で天候がよくなかったが、確証情報は得られていない。
- ^ このように別の都道府県警察が合同で捜査を行う場合は警察庁広域重要指定事件に指定される場合が多いが、これらの事件は指定されていない。ただし指定の明確な定義は無い。
- ^ ただし、1996年12月に東京拘置所に拘置されていた3人の死刑確定囚に対し、同日死刑が執行された事例がある。
- ^ 特に1995年5月第3週は50時間を超え、その他の話題は青島幸男都知事(当時)に郵便爆弾などの2件のみで、4位以下が測定不能という状態になった。
出典
- ^ 『生きている不思議 死んでいく不思議』-某弁護士日記「死刑執行回避署名のお願い」
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- ^ “「上祐史浩」がひた隠し! 警察も知らない「麻原彰晃」の女性信者殺害”. デイリー新潮. 新潮社 (2018年7月19日). 2018年7月19日閲覧。
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- ^ 【オウム死刑執行】岡崎死刑囚ら残る6人も刑執行 四半世紀経て事件終結 - 産経ニュース 2018年7月26日
- ^ 「再審請求中は執行回避」傾向は変わるのか 13人中10人が請求 「引き延ばし」批判も 産経ニュース 2018.7.28 21:16
- ^ 真実と偽りが二極化する危うさ - 森達也 WEBRONZA - 朝日新聞社
- ^ 山際永三「論評/安田さんへの弾圧とオウム問題」 オウム裁判対策協議会
- ^ 『朝日年鑑 1996』 朝日新聞社 1996年 219頁 ISBN 4-02-220096-0
- ^ 引田惣弥 『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』 講談社 2004年 199頁 ISBN 978-4-06-212222-1
- ^ 【地下鉄サリン事件から20年】麻原彰晃の三女・アーチャリーが語る 聞き手:田原総一朗
- ^ ジャーナリスト 田原総一朗さん(80)(2/2ページ) 中外日報 2014年6月25日付
- ^ 井上順孝『情報時代のオウム真理教』 p.3-9
- ^ 島薗進 2001, p. 18.
- ^ オウム裁判対策協議会/集会予定および結果記録/1999年 オウム裁判対策協議会
- ^ 北田暁大ほか『現代ニッポン論壇事情』“検閲”読書会|外山恒一|note
オウム真理教事件
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1995年より、被告人であるオウム真理教教祖麻原彰晃(本名:松本智津夫)の国選弁護人として選任されるが、強制執行妨害の被疑事実で逮捕され(安田事件)、国選弁護人を解任される。その後、私選弁護人として選任され、主任弁護人を務める。2006年9月15日、最高裁判所は特別抗告を棄却し、原判決の死刑判決が確定した。
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オウム真理教事件
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オウム真理教が忌まわしい事件を起こしていた頃、幾つかのオウム事件を現場で取材。これが記者としてのスタートで有った。その後、『アメリカ兵士による少女暴行事件』等で揺れていた沖縄の基地問題担当となり、2年半 東京と沖縄を往復。沖縄取材は『NNNきょうの出来事』等で特集ニュースに結実。1997年夏から2年間に亘り、文部省を担当。社会問題としてクローズアップされていた教育改革・少年問題に取り組み、先駆け的な学校での長期取材を『NNNドキュメント99』に纏めた。更に国税庁担当。遊軍記者を歴任。『NNNニュースプラス1』等で担当分野の解説を数多く担当して来た。2001年3月よりキャスター室兼務となる。
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オウム真理教事件
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オウム真理教事件に対して破壊活動防止法適用が検討された際、マスコミや警察権力による事件の教団幹部以外の信者への人権侵害から信者を救済するため、各地で助言や勉強会を主宰。テレビ局のクルーとオウム真理教青山総本部へ乗り込み、上祐史浩にインタビューをした。 この時期の実体験や信者への取材から、「破防法と闘う法」「破防法に対抗する本」を執筆し、破壊活動防止法の危険性を指摘。
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オウム真理教事件
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1995年10月26日に予定されていた初公判が横山昭二弁護人の突然の解任で取り消しになった後、弁護士会より国選弁護人就任を依頼され、初めて松本智津夫に接見。松本は開口一番「あなたをお待ちしていました。あなたの名前は聞いていました」といったという。その後、月に5-10回の頻度で接見を続ける。 1995年暮れ、麻原は安田に向かい、「どうすれば、私の真実を明らかにできますか」と問うたのに対し、安田は「法廷でみんなが見ている前で、空中浮揚をやってはどうでしょうか」と提案する。「法廷でやってみせれば、僕たち弁護人も納得するし、検察官、裁判官は腰を抜かして逃げてくと思うよ」と話すと、麻原は、「やってみます」と言い、1996年4月の初公判に向けて、警視庁の留置場や東京拘置所中で、『空中浮揚』の修行を重ねていたという。また、「当時麻原の好物は検察発表により高級品のメロンと報道されていたが、麻原は「メロンなどここ2-3年口にしていない。本当の好物はバナナなのに」と話した。麻原は接見中に、「2003年に、アメリカが日本や世界に向けて最終の宗教戦争を引き起こす」と言い出したことがあり、「自分は時間と空間を超えることができる。2003年の広島に飛んだところ、焼け野原になっていた。通りがかりの人に聞くとアメリカが原爆を落としたと広島弁で話した。これは、予言ではない、現実に行って見聞してきたことだ」と安田に向かって話した。また、接見中に停電があり、真っ暗となった際に麻原は何も気づかずに話し続けたことから、目が見えないのは本当だと思ったという。
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オウム真理教事件
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1995年5月16日の松本逮捕の後、6月9日、弁護人不在の麻原と接見、麻原から選任され私選弁護人となる。尚、安田好弘によると、横山以外にずっと麻原に接見することが可能な弁護士がいたとの事である。当時はオウム真理教の幹部が連日連夜報道番組等に出演して芸能人のような扱いを受けており、横山も例に漏れず同様の扱いを受ける。 殊に横山は、その独特の雰囲気やしゃべり方から「横弁」の渾名がつくほどの人気を得た。しかし、日を経る毎に、債務整理で依頼者から受け取った金を、サラ金業者に支払わなかった着服等の疑惑が取り沙汰され、これに関することでもマスコミに追い回されることとなった。誇れる経歴もない弁護士であったため、その身体的特徴(歯や手指の欠損等)も含め徹底的に悪く報道された顕著な例である。 当初は「や、や、やめてくださ〜い」と当惑ながらも冷静で丁寧な対応をしていたが、やがてそのあまりのしつこさに怒った横山の「この〜、大馬鹿者が!」「バカモンっ!」や「もう~、やめてえっ!」に代表される一連の発言は、バラエティ番組やラジオでタモリ、志村けん、岡村隆史、坂崎幸之助、加藤茶などにモノマネされ、また、本人も出演することも多かった。
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オウム真理教事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 09:44 UTC 版)
1995年、突如発生した地下鉄サリン事件に見舞われ、警視庁は日本犯罪史上最悪のテロ事件に対応する使命を急遽担うこととなる。一般市民を狙った無差別毒ガステロという未曾有の大犯罪に対し、井上自身も突如、時の警視総監として警視庁の陣頭指揮を執る立場となった。 当時の主な警察側の対応は、消防と連携して現場へ救助隊を派遣、現場採取した毒物を科学捜査研究所で鑑定といった初動捜査が展開されたが、それ以前に警視総監命令で警視庁に特別対策本部を設置し、自ら陣頭指揮を執る。現場では当時の捜査第一課長・寺尾正大警視正を筆頭に山田正治理事官、一課数名管理官が緊急動員された。その後、上九一色村の教団施設の捜査、教団に拉致された被害者の救出が展開されていく。 このテロ事件を受け井上総監は一課長を通し現場の全面捜査指揮を担う。特にオウム真理教の第7サティアンのあった上九一色村での捜査は事件発生直後に行われ、山田理事官を現場指揮官に指名し、何百名もの捜査員を上九一色村に派遣した。この際、県警への根回しやマスコミ調整にも追われる。 遂には自衛隊にも緊急出動要請をとる刑事事件としては異例中の異例の事態となる。完全武装した自衛官や、捜査指揮をとる捜査一課理事官・山田警視も自衛隊から提供された迷彩の化学防護服に身を包み完全防備で捜査にあたるその現場は戦場、そのさまはもはやオウムとの戦争であった。 井上は同日記者会見で都内で毒ガスサリン事件ひいては無差別テロ発生と公開しオウム真理教が首謀者と全面的に発表。 これを期に検察、法曹界、マスコミも巻き込む一連のオウム騒動の幕開けとなった。
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