オウム真理教事件とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 04:52 UTC 版)
「上九一色村」の記事における「オウム真理教事件とその後」の解説
1989年(平成元年)から村に進出したオウム真理教は、開拓農民が手放した元国有地の富士ヶ嶺地区の各所に、サティアンと呼ばれる多数の出家信者が居住する施設を建設し、サリン製造などオウム真理教事件を起こした犯罪の拠点となった。さらに村民の住宅から、オウム真理教が仕掛けたと思われる盗聴器が多数発見された。 1995年(平成7年)3月20日、東京都の営団地下鉄(現東京メトロ)の通勤電車を対象にした地下鉄サリン事件が発生し、2日後の3月22日、サティアンに警視庁の強制捜査が行なわれ、同年5月16日に開祖である麻原彰晃が逮捕されるに至り、サティアンはことごとく取り壊され、翌1996年(平成8年)10月31日限りで最後まで村に残っていた信者らが、教団の破産管財人の退去勧告に基づき、教団が決めた退去期限を迎えると共に退去、7年ぶりに教団の撤退が実現した(捜査対象として残っていた、第7サティアンの「サリンプラント」を除く)。 この大捜査では、数百名に及ぶ警察官(自衛隊から貸し出しを受けた迷彩服様の化学防護衣着用の警視庁・山梨県警捜査員)が派遣され、多くのマスコミ取材班も現地に張り付いた。毒ガスの使用も懸念されたため、陸上自衛隊の化学防護隊も出動し、村は一時期混乱状態に陥った。連日に及ぶ報道の結果『オウムの村』として、上九一色村の認知度は一挙に日本各地に知れ渡った。 その後、負のイメージからの回復のため、1997年(平成9年)にテーマパーク「富士ガリバー王国」を誘致して運営していたが、実質的な経営を行っていた新潟中央銀行が1999年に経営破綻。この影響で金融整理管財人が預金保険機構となり、さらに競売に掛けられるも買い手はなく資産管理会社の整理回収機構に債権譲渡された事より、2001年(平成13年)10月28日を以て閉鎖された。
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