「大東亜戦争」を使用する立場
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「大東亜戦争」の記事における「「大東亜戦争」を使用する立場」の解説
「大東亜戦争」呼称を使用する立場や理由については以下のように様々である。 1953年(昭和28年)、参謀本部作戦課長の服部卓四郎が『大東亜戦争全史』を刊行、戦後初めて「大東亜戦争」を冠した著作である。 歴史認識 哲学者の上山春平は『中央公論』1961年1月号で発表した「大東亜戦争の思想的意味」において「太平洋戦争」は「占領軍によって付与された米国側の見方」とし、そのような考え方に慣れた日本人にショックを与えるため、大東亜戦争を用いたと述べた。 1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)にかけて林房雄が『大東亜戦争肯定論』を発表し、「大東亜戦争」は薩英戦争や馬関戦争、ペリー来航以来の西欧列強のアジア侵略に対抗して日本がアジア解放を目的とした「大東亜百年戦争」の集大成だったという立場から使用された。 上山春平は1964年に『大東亜戦争の意味』を刊行、「大東亜戦争」という呼称を「タブーとみなす心情のうちに、太平洋戦争史観を鵜のみにする反面、大東亜戦争史観には一顧だにあたえようとしないという二重の錯誤の根をみとめた」と当時「大東亜戦争」呼称をタブー視する風潮を批判し、「太平洋戦争」「抗日戦争」「帝国主義戦争」いずれも政治的イデオロギーであるにもかかわらず「大東亜戦争」のみ断罪するのはアンバランスであると批判した。 ドナルド・キーンも1964年、論文「日本の作家と大東亜戦争」を発表した。 竹内好は1964年の「日本のアジア観」で「日本の対外戦争のほとんど全部は、自衛のほかに東亜の安定を名目としておこなわれた。その最大、かつ最終のものが大東亜戦争だった」とし、「第二次世界大戦の一部」だけにつくされない、「日本人がアジアを主体的に考え、アジアの運命の打開を、自分のプログラムにのせて実行に移した」という「大東亜戦争固有の性格があった」とした。竹内は敗戦によって日本人はアジアを主体的に考え、アジアの一員としてアジアに責任を負う姿勢を失ったとも述べた。また、個人として、時には国家の命令にそむいてアジア解放運動に協力した日本人はビルマ、インドネシアだけでなく満州にもいたと指摘している。 三島由紀夫は、「大東亜戦争」と呼ぶのが適切であるとし、「大東亜戦争でいいぢやないか。歴史的事実なんだから。太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢやないか」という意見を述べた。 1977年(昭和52年)、元大本営参謀原四郎は「大東亜戦争」は日本の政府が正式に決定した名称であり、平和条約によってGHQ指令も失効したため、正式名称である「大東亜戦争」は「当然復活すべきもの」で、「歴史的に正確な表現」と述べた。 左派系とされる歴史家信夫清三郎も1983年、次善の策として「太平洋戦争」の語を「便宜的に」用いる家永や歴史学研究会らは「怠惰、怯懦」であると批判し、「大東亜戦争の使用が戦争の肯定支持を意味する」わけではないとし、「戦争の歴史的性質を最も的確に表現し、戦争の実体を最も広く蔽いうるもの」として「大東亜戦争」を用いるべきとし、さらに東南アジア、インドの独立運動に及ぼした日本の積極的な役割などを踏まえれば「大東亜新秩序(大東亜共栄圏)を目的とする戦争」という「歴史的意味」も含蓄していると述べた。 松本健一は「戦争の呼び名は歴史的であって、後の時代に、その呼び名を変える(たとえば太平洋戦争)ことによって、歴史的性格を変えてしまうことは、意味がない。歴史を否定するためにこそ、歴史の歴史的把握が必要」として「大東亜戦争」を用いた。 信夫や後藤乾一、三輪公忠らは、「大東亜戦争」の名の元に示された理念が建前であったにしても、その理念に自己のアイデンティティを求めた日本人が東南アジア各地に少なからず存在したと言うことをあげ、そうした人々を否定しないためにも「大東亜戦争」の語をあえて用いるとしていた。 1990年(平成2年)に中村粲『大東亜戦争への道』が刊行。 「大東亜戦争肯定論」の立場に立たない倉沢愛子は「大東亜戦争」の語を用いているが、この場合にはカギ括弧を付するなどしている。また松浦正隆は、大東亜戦争は当時の公式名称であり、またアジア主義との関連を強調するためにも「大東亜戦争」を使うべきとし、カギ括弧付きで使っている。 戦域の一致 「大東亜戦争」の「大東亜」はイデオロギー面とは無関係であり、戦争の範囲をあらわす名称であるという立場である。駐米大使や外務事務次官を務めた村田良平は『村田良平回想録』(ミネルヴァ書房、2008)で、「大東亜」の「大は英語に訳せばgreater,即ち東亜のみでは主として日中朝鮮モンゴルのみを指すことが多いので、より広義の東アジアを指す」ものであり、「中国大陸、ビルマまでの戦いなども考えれば、米国の強制した太平洋戦争の方がおかしい」と主張した。 評論家の村上兵衛は「東アジアで行われた大きな戦争」の意味で「大東亜戦争」を用いるべきであるとした。原四郎も戦争目的は「アジアの新秩序建設」ではなく、「大東亜において戦われる戦争」であるから「大東亜戦争」と呼ばれたのであり、GHQが禁止したのは「大東亜戦争をもって大東亜新秩序を建設する戦争と誤解したからである」と回想している。『失敗の本質』は、「戦場が太平洋地域にのみ限定されていなかったという意味で、」「大東亜戦争」の呼称を用いる、としている。 アメリカの歴史家ジョン・ステファンは『日本国ハワイ』(恒文社1984)で「第二次世界大戦」はあまりに広い範囲で、「太平洋戦争」は「あまりに狭すぎる」ので不適切であるとし、「いささか決まり悪いものの」やはり「大東亜戦争」という名称が「日本がインド洋や太平洋、東アジアおよび東南アジアで繰り広げようとした戦争を最も正確に表現している」と指摘している。 地域呼称として 『アジア太平洋戦争』(1995年・岩波書店)を著した岡部牧夫は、「大東亜」を地域名称であると読み替えてしまえば、「アジア・太平洋戦争」の提唱の趣旨と変わらなくなり、呼称問題における対立の根拠は失われるかも知れないとしている。また防衛研究所の庄治潤一郎はイデオロギー性を否定したうえでの「大東亜戦争」もしくは「アジア・太平洋戦争」が適切ではないかとしている。 斉藤孝は信夫の主張を批判した『「大東亜戦争」と「太平洋戦争」』において、「大」の語は自らを誇示しようとしている語であり、地域名称であるとするならば「東アジア」でもいいとし、「大東亜戦争」の語は「占領軍の指令がなくとも、本来日本国民自身が否定すべきもの」「タブーではなく、回避したい呼称」と主張した。
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