アジア観とは? わかりやすく解説

アジア観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:44 UTC 版)

夏目漱石」の記事における「アジア観」の解説

1909年明治42年10月18日付の『東京朝日新聞』に掲載され随筆『満韓の文明』の記事において、漱石以下の通り記述している。 此の度旅行して感心したのは、日本人進取の気性富んで居て、貧乏世帯ながら分相応に何処迄も発展して行くと云う事実と之に伴う経営者気概であります。満韓を遊歴して見ると成程日本人頼母しい国民だと云う気が起ります。従つて何処へ行つても肩身広くつて心持が宜いです。之に反して支那人朝鮮人を見ると甚だ気の毒になります幸いにして日本人生れていて仕合せだと思いました。 — 満韓の文明 8日後の10月26日伊藤博文ハルビン駅暗殺された後、11月6日付の『満洲日日新聞』に掲載され随筆韓満所感(下)』の記事では、漱石以下の通り記述している。 歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人生れたと云ふ自覚得た事である。内地跼蹐きょくせき)してゐる間は、日本人憐れ国民世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞文明事業各方面活躍して大い優越者となつてゐる状態を目撃して日本人甚だ頼母しい人種だとの印象深く頭の中に刻みつけられた。同時に、余は支那人朝鮮人生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等眼前置いて勝者意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命寵児と云はねばならぬ。 — 韓満所感韓満所感』は2013年発掘され随筆であるが、比較文学者の平川祐弘は、「漱石植民地帝国英国張り合う気持ち強かったせいか、ストレートに日本植民地化事業肯定し在外邦人活動賀している。日韓併合疑義呈した石黒忠悳上田敏のような政治的関心示していない。正直に『余は幸にして日本人生れたと云ふ自覚得た』『余は支那人朝鮮人生れなくつて、まあ善かつたと思つた』と書いている。『まあ』に問題はあろうが、ともかくも日本帝国一員として発展賀したのだ」と評している。

※この「アジア観」の解説は、「夏目漱石」の解説の一部です。
「アジア観」を含む「夏目漱石」の記事については、「夏目漱石」の概要を参照ください。

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