アジア諸国の欧化と政教分離の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「アジア諸国の欧化と政教分離の広がり」の解説
近代は、欧米において身分制社会を自由主義社会、すなわち能力や富の量によって階層化された社会につくりかえるために、ナショナリズムに基づく国民国家の形成が推し進められた時代であった。とりわけ19世紀は、その前後の世紀と比較すると、地球上に一つの世界ができたこと、言い換えれば「世界の一体化」が進み、ヨーロッパ文明からみて「極東」に位置する中国や日本までが強制的に単一の世界市場に組み込まれた点に際立った特徴をもっている。交通革命・輸送革命によって地球そのものも「小さく」なったが、「世界の一体化」は必ずしも「世界の均質化」をもたらしたのではなく、そこでは欧米への従属をともなう新たな多様性が形成された。非西洋世界はしばしば世界市場、キリスト教、西洋文明に対し抵抗を試みたが、そこでは支配する者とされる者、優勢な者と劣勢な者という関係が新たに生じた。非西洋の諸社会の多くは西洋支配を余儀なくされ、西洋支配を免れた場合でも西洋側が策定したルールに従うことが求められた。ただし、19世紀における西洋世界の構成原理そのものは多様性を要求していた。西洋世界は文化的にはキリスト教と古代ギリシア・ローマ文明の系譜を引く点で共通した要素を引き継いでいると同時に、他方では国民国家という多元的競争のシステムを内包しており、そこでは国家をひとつの単位とする個性の追求が求められたのであった。文化的・芸術的にはロマン主義、政治思想的にはナショナリズムというかたちで現れた国家単位の個性の追求は、西洋の圧力から身を守ろうとする非西洋国家にあっても利用可能なものだったため、西洋支配を免れるために西洋化・近代化を進めようとする動きがあらわれた。
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