「大東亜戦争肯定論」論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 16:11 UTC 版)
「大東亜戦争肯定論」の記事における「「大東亜戦争肯定論」論争」の解説
昭和36年に上山春平が「大東亜戦争の思想史的意義」で太平洋戦争という呼称を占領下の所産と指摘し、戦中派として戦争の意味、意義を問うなど、占領権力による「太平洋戦争史観」しかなかったなかで、見直し史観が出されつつあった。昭和38年に林が大胆に「肯定論」を打ち出したことは驚きをもって受け止められ、昭和39年に上山は「再び大東亜戦争の意義について」で植民地再編成の戦争であると主張した。 昭和40年、林の「大東亜戦争肯定論」は、『中央公論』7月特大号で羽仁五郎の批判を受け、『中央公論』9月号の"特集・「大東亜戦争肯定論」批判"では、井上清、星野芳郎、吉田満、小田実らの批判を受けた。また、竹内好は、興亜と脱亜の両面から分析し、対中国戦争が侵略戦争であると主張した。
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