略歴・概説
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「雷鳥 (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・概説」の解説
NHKのど自慢(新湊市大会)へ出場し、トップバッターでプッチモニ「BABY! 恋にKNOCK OUT!」を歌唱して特別賞を受賞。 富山県で姉弟リポーターとして活躍していたが、プロの芸人を目指し2009年上京。ワタナベコメディスクールへ11期生として入学、2010年9月より卒業してワタナベエンターテインメント所属となる。同スクール在学中に現在のコンビを結成した。 コンビ名の由来はスクール恩師である岩崎夏海の助言によるもので、最終決定は同期の占い師。 スクールでのお笑いの指導は岩崎夏海・桑原貞雄・ヤマザキモータース・伊勢浩二・安井順平・杉崎真宏から受け、ダンスはまちゃあき(現エグスプロージョン)から指導された。 ワタナベコメディスクールへ入学した前期の半年間はスクールライブにも出られず、出られてもショートネタのコーナーで笑いも獲れず辛酸を舐める日々が続いた。しかし後期に入り、お姉ちゃんがネタの途中で水着になるというパッケージで大躍進。ライブを重ねる毎に順位を上げ、スクール最後の卒業ライブでは僅か1票差で準優勝。ゆういちは「卒業ライブで優勝してシンデレラストーリーになるまでを計算していたのに」と中目黒駅横のそば屋で悔し泣きした。 スポーツ祭東京(第68回国民体育大会)で『2013ふるさと47応援団・富山県応援団長』を務めた。 定番の振りに、あいさつの時の雷鳥が飛ぶ時のようなポーズがある。ネタによっては段ボール製の獅子舞が登場するものもある。なお、雷鳥のポーズは事務所の先輩・ゴルゴ松本(TIM)が考案した。 2015年3月14日の北陸新幹線の富山・金沢開業を機に、コンビの活動拠点を地元・富山に置きつつ富山と東京の両方で往復しながら活動を続けていく旨を発表。 富山県の「とやまのライチョウサポート隊」として立山山麓のライチョウの保護活動に携わっている。コンビ名に由来するライチョウへの感謝の気持ちを込め、活動している。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:27 UTC 版)
福岡県北九州市出身。北九州市立湯川中学校、福岡県立小倉南高等学校卒業、専門学校東京アナウンス学院芸能バラエティ科出身。 専門学校東京アナウンス学院在学中は、現サンミュージック所属ザ・パーフェクトのピンボケたろうとのコンビ、虹色ひまわりを結成しており、2008年のM-1グランプリやサマーソニックにも出場している。 コンビ解散してからは、一人コントを中心として展開している。ライブでは「太田プロJr.ライブ」「フレッシュオールスターズ」「5556ライブ」などに出演。 またサイクロンZとビギン!ナウ芳賀とのユニットサイクロンズでは、歌ネタ王決定戦2015で準決勝進出を果たした。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/02 18:13 UTC 版)
2005年1月に、同じ足立区出身の細見将憲とのコンビ『足立区立』を結成し、活動。足立区の様々な所から拾ったネタで活動。細見が2009年7月31日に大川興業を退社したことにより、足立区立は解散。以後は小此木が足立区立の名を残し、ピン芸人『足立区立OKO』となる。 ピン芸人となってからも、引き続き足立区ネタで活動。足立区のイメージアップのために活動する『ヨハネ・パウロ竹ノ塚2世』というキャラクターで、足立区を「東京23区内でモストデンジャラス」として他の区と比較などをしながら、足立区内でおかしいなと思った建物、商品、データなどを主にめくり芸で紹介している。 2012年4月 大川興業を退社。元グリーンランドの杉木大樹(現在はYouTuberのおまめサンシローとして活動)とのコンビ「アオテンベース」を結成するが、その後再びピン芸人に戻る。
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略歴・概説
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「パルフェ (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・概説」の解説
あんいーぶん解散後ピン芸人として活動していた中村涼子と、「ダイナマイトキャッツ」解散後間もなかった岩間よいこの、ワタナベコメディスクール5期生出身の二人により2009年8月頃結成。パルフェとしての初ライブ出演は、同年9月1日のライブ『ガールズガーデンフェスティバル2009』(東京都中野区・Studio twl)だった。 あんいーぶん解散、ダイナマイトキャッツ結成とそれぞれ活動名義が変わってからは一度ワタナベエンターテインメント所属を外れてフリー扱いとなっているが、ワタナベエンターテインメントのオーディションライブ「STEP! STEP! STEP!」などに出演して再所属を目指していた。 R-1ぐらんぷり2010では、岩間は準決勝まで、中村は3回戦までそれぞれ進出。 2010年1月から、めっちぇん、すっとんきょとの3組でのトークライブを、東京都中野区の「Y's PaPa」で行っていた。 2011年1月26日の「ミスアルプストークライブ 鯖折」を最後に解散を発表。 コンビでのネタは主にコントで、子供、スーパーヒロイン、魔女など様々なキャラクターに扮してのものなどがある。
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略歴・概説
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「セクシーチョコレート」の記事における「略歴・概説」の解説
ワタナベコメディスクール21期生(2014年10月入学、2015年9月卒業)出身。同スクール卒業後にワタナベエンターテインメント所属となる。二人はワタナベコメディスクールで出会い、元々アメリカ好きでアメリカ人女性と組みたいと思っていたデンジャーDが入学初日から話しかけ、REINAに強く持ち掛けてコンビを結成した。 ネタはREINAの語学力を活かした漫才、コントを演じている。政治ネタを盛り込むこともあり、ネタは2人で作っている。 なお、この「セクシーチョコレート」というコンビ名は、アルコ&ピースの平子祐希がかつて組んでいたコンビ名と全く同じであるが、平子自身も現在のセクシーチョコレートの存在を知っており、REINAは自分たちのコンビを“2代目”と称している。 2016年9月にコンビを解散。
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略歴・概説
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名称は『春夏秋冬』のうち「秋」をなくして「笑」にすることで「あき(飽き)のない笑い」を目指すというコンセプトから命名された。これは公式ブログのタイトルにもなっている。現在の3人組ユニットとなってからは主にライブ活動を行っており、ワタナベ系芸人による「崖っぷちプロジェクトライブ」(GPPライブ)で優勝したことにより晴れてワタナベエンターテインメント入りを果たすこととなった。
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略歴・概説
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ネタは主に漫才を行っており、2016年のM-1グランプリでは準々決勝に進出した。 本田は2000年位からのポエトリーリーディングブームの中で詩人として活動をしていたが、「笑いのある詩の方がより伝わる」と感じたことからお笑いへの関心を強め、フリーランスでR-1ぐらんぷりにも出場していた。2013年に歌人の枡野浩一とのコンビ・詩人歌人を結成し、SME NEET Projectに所属する。 2014年にうえはまだを解散した植田が、ピン芸人を経て詩人歌人に加入し、トリオ「詩人歌人と植田マコト」として活動。枡野が文筆業専念により脱退後、新たに本田と2015年6月21日にコンビ「すっきりソング」を結成。 2018年4月、本田がTwitter上で解散(「消滅」と表現)したことを表明。解散後、植田は元庵。のエイテツ(英哲)と「はぐれ超人」を結成。本田はピン芸人「本田しずまる」の名でSMA HEET Projectに所属し、FM甲府「てっぺん!」のパーソナリティなどを務めている。
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略歴・概説
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かつてはコンビを組んでの活動もしていたが、これまでに2度のコンビ解散を経験している。2006年頃までお笑いコンビ「リンダ」として活動。。 韓国への留学経験があり、韓国語が話せる。K-POPにも精通し、テレビ東京『バカソウル』にはK-POPユニット『とくこ時代』のメインボーカルとして出演した。 物真似は、12歳の頃の美空ひばりの物真似をしたのをきっかけに、本格的に演じるようになったという。ネタは、自宅から駅まで自転車で移動中の約30分間の間に出来ることが多いという。 1980年代のアイドルにも精通しており、80年代アイドルの物真似などを多く行う。西田ひかるの物真似の時は、西田の曲『きっと愛がある』の替え歌を歌いながら、「アイドルあるある」のネタを披露するもの、などがある。なお、西田ひかるの物真似は高校生時代からやっていた、という。 2015年5月26日放送の日本テレビ「今夜くらべてみました」で7月に結婚することを発表。同年10月27日に男児である第一子を出産。 第1回女芸人No.1決定戦 THE W(2017年)では、準決勝まで進出。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 08:31 UTC 版)
2005年(平成17年)1月、ジャック豆山と松本リンスのコンビ『バカラ』にキャプテン渡辺が加入し、トリオとなり『キラッキラーズ』と改名。 コント中心に活動。日常の風景を演じた後、動きがスローモーションになり音楽がかかる「ドラマチックコント」という持ちネタがあった。キングオブコントでは2008は2回戦、2009では3回戦まで進出。 渡辺は田中慎之介(ハッピーエンド)、永島知洋(お先にどうぞ)、むねもっちの2人とユニット「スーパー5」としても活動していた。 2010年(平成22年)1月9日解散。3人はそれぞれ個人で活動。キャプテン渡辺は、解散直後に出場したR-1ぐらんぷり2010(1回戦出場日が解散翌日の1月10日)において準決勝進出。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 14:19 UTC 版)
二人は中学生時代からの同級生同士。二人とも創価大学に進学し、大学のお笑いサークルでお笑いコンビを組む。大学生時代から『学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!』(テレビ朝日)にて、学生芸人として「わらいのゼミナール」などの企画に二期生として不定期レギュラー出演していた。 しかし大学卒業後は普通に就職することになったため、一度コンビを解散。斉藤はCM制作会社に就職。城戸は小学校・中学校の非常勤教師として勤務、教師をやりながら芸人の活動もしていた。しかし斉藤はスタッフとしてCM撮影に臨むタレントの方を見るたびに夢を諦めきれなくなり、再びプロの芸人を目指すことになり1年足らずで会社を退職。城戸を誘って2014年に再結成し、プロデビューした。 コンビ名の由来は二人の外見からで、城戸がジャガイモ、斉藤がアーモンドに似ていることからこの二つを合わせてジャガモンドとした。 ネタは主に漫才。正統派漫才と言われている。ネタを始める前に、城戸が「幸あれ~!」という台詞を発するのが定番となっている。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 23:58 UTC 版)
かつては『遠藤リエ』の芸名で活動していたが、2009年末頃から『リエ』と改名。 ネタは、特技のアコーディオンを使った歌ネタが定番の一つとなっている。主なものに『いっぽんでもにんじん』(なぎら健壱)が元歌の、暗い内容を含んだネタなど。これまでには、効果音としてアコーディオンを演奏しながらの漫談も披露したこともあった。 塚田舞(サジタリ)、小町との3人でのトークライブ『アミーパーク3姉妹 ~舞と小町と時々リエ~』を行っている(構成はルネの岩田サトシ)2010年3月7日にはその番外編として『小町とリエの自由研究』を行った。 R-1ぐらんぷり2010では、3回戦まで進出。 M-1グランプリ2010では、同じ事務所所属の水町タカオとのコンビ「リエとアコーディオンと次男」で出場。なお、事務所ライブ「アミーパークライブF」にもこのコンビで出演したことがある。 2011年4月、引退。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 21:25 UTC 版)
二人共にNSC東京校8期生出身。シャバダバ結成前は、森内は実弟との兄弟コンビ『amtm』で活動していた(2003年12月解散)。 2004年にシャバダバ結成、当初は吉本興業(東京吉本)に所属。2007年9月にエキサイティング・トリガーへ移籍。 太っている森内が腹を手で持ち上げて揺らしながら登場するといった、つかみの振りがある。 2011年2月20日 森内の帰郷引退により解散を発表。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 23:45 UTC 版)
あらびき団のワンコーナーであった『キュートン甲子園』という素人参加のビデオ投稿企画に『ギュードン』というタイトルで集合した特別ユニット。それぞれ芸歴も事務所も共通点はない。 キン肉マンの作者である中井義則の息子なまたまごを中心にキン肉マンのオープニングテーマに合わせて踊るネタをもっている。 ヨドバシカメラのヨドバシビジョン代表者からブレイクしそうな芸人として2010年11月より東京秋葉原と大阪梅田にあるヨドバシビジョンにて時報の仕事を依頼されるが、ヨドバシビジョン前の通行人の誰もがギュードンに気付かないためブレイクはしないとの決断をくだされる。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/07 04:00 UTC 版)
長野市立北部中学校、長野県長野東高等学校卒業、専門学校東京アナウンス学院芸能バラエティ科出身。東京アナウンス学院在学中に、日本テレビ『エンタの神様』に出演。 ネタは、一人コントを中心として展開している。ライブでは『太田プロJr.ライブ』『JAMEお笑いハーベスト』など出演。 特技は「料理。百人一首の和歌を全て暗唱出来ること」と述べている。料理の中では「節約料理」が得意で、その料理は自分のブログで紹介している。テレビ朝日『『ぷっ』すま』の『オレコツ!オークション』において、その節約料理を披露、2011年2月1日放送では「たった220円で本格的なピザが作れるコツ」、2011年3月29日放送では「たった5分で美味しいラスクが作れるコツ」を紹介した。 また、幼少の頃より多くの神秘的体験をしたことから占いに強い関心を持ったことで、その後、手相・タロット占い・姓名判断・気学など占い鑑定を行い、占い師としても活動している。 2014年10月20日、「芸名を『ほしの ゆき』から『ホシノ ユキ』に変更した」と発表。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 09:02 UTC 版)
松竹芸能の養成所で出会い、2003年結成。初舞台は松竹芸能の『ただいま養成中ライブ』。 かつては『チキン野郎』というコンビ名で活動していたが、2005年に『小学六年生』(小学館)で読者が芸人をプロデュースするという企画で新コンビ名を募集し、その中から『パワフルコンビーフ』が選ばれ、これに改名した。 これまでには、漫才、コント共に演じている。 2021年3月31日、解散を発表。兼重は松竹芸能に残り、コウタは退社しフリーとしてそれぞれピンで活動を継続する。
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略歴・概説
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「ニンゲン (お笑い)」の記事における「略歴・概説」の解説
2008年4月結成。NSC東京校8期生出身。 コント、ショートコントが多く、東海林の風貌を生かしたネタも多い。 2010年5月19日を以ってユタカが脱退し、以後はヨシオと東海林の二人で活動していくことを発表。同年5月24日放送の『お笑いさぁ〜ん』(日本テレビ)が、3人のニンゲンとして最後の活動となった。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 15:06 UTC 版)
2010年4月結成。ワタナベコメディスクールに11期生として在籍(2009年10月入学、2010年9月卒業)。この後、ワタナベエンターテインメント所属となる。 コント、漫才ともに演じており、松丸の体型を生かしたりいじったりするネタなどがある。松丸はビキニ姿でネタを演じることもよくあり、後姿を向けて尻を叩き「はさまれたいんだろ!」「かかってらっしゃい!」などとセリフを発することもある。リズムネタでは、2人のキャラクターを生かして“可愛い子のあるある”と“おデブのあるある”をネタにし、『東京ブギウギ』の替え歌に乗せて歌う「私あるある」のネタがある(『ワラリズム』で演じている)。 「リベロ」「ホルモン」のメンバーの芸名は、同じ事務所の先輩のTIM・ゴルゴ松本が名付けた。原はバレーボールをやっていたから「リベロ」で、松丸は最初、ホルモン好きの原が「(ホルモンが)松丸っぽい」と思ったことから「ホルモン松丸」という芸名案を考え出し、それを聞いたゴルゴが「松丸ホルモンの方がいい」ということで決まった。 2013年4月7日、コンビ名を「劇団シリフリ」から劇団を取って「シリフリ」に改名したことをブログで発表した。 2014年8月3日、初単独ライブ『挟まれたいやつ出ておいで ~尻ーズ1~』(東京・しもきた空間リバティ)を行った。 2014年11月12日放送のバチバチエレキテるZer0(ゼロテレビ)にて、コンビ解散を発表した。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 00:14 UTC 版)
2011年に中央線withyouを解散し、ピンで活動していたウェイウェイと、同じくピン芸人として活動していたまさえにより、2012年7月に結成。元々は二人ともピンで活動していた時にトークライブにて、賞レース出場のために組んだコンビであった。コンビ名の由来は、まさえが夏好きであること、結成した時期が夏だったことから、夏をイメージした名前を選んだ。2014年中に浅井企画所属となる。 ネタはコントが多いが、時々漫才も行うことがある。M-1グランプリにも出場している。 2016年4月28日、初のMCを務めるウェブ番組「『育ドル♡』〜中野坂上の陣〜」がAbemaTVにて放送開始。 2018年、第2回女芸人No.1決定戦 THE Wにて準決勝進出。
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略歴・概説
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「コーヒールンバ (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・概説」の解説
2010年、元ゾーズの平岡、元ニッシーマーシーの西原でコーヒールンバ結成。元々二人は松竹芸能東京養成所3期生同士で、ゾーズとニッシーマーシーはチキン野郎(現・パワフルコンビーフ)と共にこの3組によるユニット「6人マン」での活動もしており、親交があった。「次に組むなら平岡さんしかない」と思って、西原から誘った。最初に付けたコンビ名は「2人マン」だったが、結成したばかりの頃に先輩たちにあいさつ回りをしていた中で、アメリカザリガニに「コーヒー店で働いていたんやから、『コーヒールンバ』でやれ」と言われてすぐに改名した。 コント、漫才共に演じている。漫才では、ある一つの言葉(大政奉還など)を度忘れして、言葉を次々につながりで連想して行って度忘れしたという言葉を導き出すというネタを披露している。コントでは、「別れ話」のネタで平岡がピンクのワンピースが特徴のキャラ「平岡さち子」に扮し「そう、私は○○」という台詞を頻繁に発し、ステップを踏むなどしている。
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略歴・概説
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2007年、愛知大学在籍中より現事務所で活動開始 テレビ出演時はサングラスがトレードマークである 持ちネタは主にツボ漫談 2015年より学芸大学にてaman治療院を開業した。開院に際しては「笑いのツボを極めようとして8年たどり着いた先が健康に効くツボでした。」とのコメントを寄せた 治療院の名は事務所の先輩芸人天野ひろゆき(キャイ〜ン)からとられている 2013年にはテレビ番組の企画で天野ひろゆき(キャイ〜ン)にドッキリを仕掛け、天野の結婚できない理由を暴き出した その後、食事会をセッティングし、天野ひろゆきに現在の妻である荒井千里(フリーアナウンサー)を紹介した。
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略歴・概説
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加集と藤原は2005年、大阪の松竹芸能の養成所で知り合う。ただ、当時加集はピンで活動、藤原は別の人とのコンビで活動していた。藤原のコンビが解散した後のある日、加集、藤原とあと2人との4人の養成所仲間と飲みに行った時に、法外な料金を支払わされて悔しい思いをしたことから、共通する被害者意識というものが生まれて意気投合し、仲良くなっていったという。2008年1月に「百足」(むかで)と言うコンビ名でデビュー。しかし後に「百足は害虫でもあるし、その名前ではちょっとまずいんではないか」と松竹芸能側から難色を示され、2010年1月に現コンビ名「ゆんぼだんぷ」に改名。このコンビ名は当時仲の良かった先輩に名付けてもらい、当時標準体型だった藤原がユンボみたいで、当時から太っていた加集がダンプカーみたいだったことがコンビ名の由来。2015年始めに上京、所属も松竹芸能大阪から松竹芸能東京となる。 大阪に居た頃は漫才や、顔が大きくなるという奇術など余興も演じていたが、東京に拠点を移した年(2015年)の4月2日に出演した『博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜』(フジテレビ)で、霧吹きで水を吹きかけたお互いの腹を打ち付け合う「まるで鏡のような水面に雨の雫が一滴落ちる音」や、ヘアムースをお互いの腹に塗って打ち付け合う「一面真っ白な銀世界でフカフカの新雪の上に体ごと飛び込む音」という音ネタを演じ、この回の1位に選ばれ、以後こういった二人の太鼓腹を活かした「癒し音」と言われる音ネタを演じることが多くなっている。この他には、腹を筒で吸い込み鳴らす「スコットランドの自然の中で芳醇な香りのスコッチ・ウイスキーの樽の栓を開ける音」、アルミ板を使っての「1947年、アメリカに突然やって来たUFOが飛行する音」など10数曲がある。この一連のネタが出来たのは2014年の秋頃で、そのきっかけは、二人でサウナに入っている時に仕事が決まった一報を聞き、二人でハイタッチしようとしたら腹が当たって音が出たことからだったという。ネタは音を先に作り、タイトルは後から付ける。ネタ探しはホームセンターに行って色々な物を腹に当て、いい音が出るかどうか試し続けてネタを作っているという。二人とも身長が同じでへその位置も同じであることからネタがやりやすいという。 役割は、藤原がバチで、カシューナッツが太鼓だという。胃が空でないと良い音が出ないということで、出番前には何も食べず、また筋肉を付けないように電車内では座席に座るように心がけているという。体重が90kgを下回った時には“ゆんぼだんぷ退団”というルールを設けているという。なお、宴会芸については40を超えるネタを持っているという。 音ネタでは「音にこだわりが強いカリスマ音職人 大河内・鈴木」というキャラクターで登場することもある。 藤原も肥満体型になったことから2人とも自然と相撲に対する興味がわいているようであり、2人は2017年4月29日と30日に「ニコニコ超会議場所 2017」に出演した際の感想を相撲雑誌に寄せている。カシューナッツの方は、2017年7月場所前の時点でもアマチュア相撲の大会に出場しており競技生活を続けているため、相撲に対するコメントも競技者目線である。 2020年2月29日をもって松竹芸能を退社し、フリーとして活動することが発表された。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 06:18 UTC 版)
両名は2005年4月にサンミュージックグループのプロジェクトGET運営のお笑いスクール「TOKYO☆笑BIZ」に2期生として入学し、そこでコンビ結成。卒業後にサンミュージック所属となる。同じサンミュージック所属コンビのぽ〜くちょっぷとはTOKYO☆笑BIZでの同期にあたる。 ネタはコントが多い。「卵の役者」、「巨乳男のゴルフレッスン」等の持ちネタがあった。 二人でのライブ出演は2011年5月15日の「お笑いプレーオフ」(新宿ゴールデン街劇場)が最後となった。同年5月19日には事務所の先輩の藤井ペイジ!(藤井宏和)(飛石連休)のトークライブ「ペイジワンR」の手伝いをしており、打ち上げをする居酒屋の店先で藤井の誘いに今井が「今日は今から深夜バイトなんですよ〜」と言葉を返したのが藤井との最後の会話になったという。藤井は自身のブログで、この後輩の突然の死を「ゴールデンのネタ番組にも初めて出演した所でまさにこれからという時だったのに、あまりにも早すぎる」と今井の死を悼んでいる。 2011年5月21日収録の「オンバト+」(同年6月18日放送)に出場予定だったが、今井の急逝により出場を辞退した。代わりに前説のブーブートレインが出場した。また22日には「わらふぢなるお×ワンツーギャンゴトークライブvol.3」を開催予定だったが、これも中止となっている。このトークライブは、元来はわらふぢなるおの単独のトークライブとして2回開催され、そこにワンツーギャンゴが加わったトークライブがさらに2回開催されていた。 カンニング竹山らサンミュージックの同僚たちは、毎年の今井の命日には欠かさず墓参りをしている。
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略歴・概説
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「REINA (タレント)」の記事における「略歴・概説」の解説
ワタナベコメディスクール21期生(2014年10月入学、2015年9月卒業)出身。同スクール卒業後にワタナベエンターテインメント所属となり、お笑いコンビセクシーチョコレートとしてデビュー。 2015年からベンチャー企業ワンドロップス株式会社の執行役員を務め、グローバル人材育成の仕事に携わっている。主にプログラム開発、人事、品質管理、英会話スクールの運営などを担当している。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 16:24 UTC 版)
東京NSC10期生。最初は「L・ジャクソン」というコンビで東京吉本に所属しており、当時の相方は現うるとらブギーズの佐々木崇博。その後オスカープロモーションに移籍、2010年10月より小林旭と「かんがるー」というコンビで活動していたが、2016年に解散してピンで活動をしている。 『あらびき団』(TBS)の特番『朝まであらびき団スペシャル あら-1グランプリ2017』(2017年12月29日放送)で優勝。『明石家地下王国』(TBS)で「地下芸人」100人という厳しい環境の中で、トリをつとめた。 2019年5月にオスカーのお笑い事業部撤退のためフリーに転身し、11月にタッチアップエンターテインメント(旧2TOUCH)への所属を発表。俳優中心の事務所でお笑い芸人としては初めての所属だったが、2021年3月にタレント部門が撤退し再びフリーになる。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:33 UTC 版)
デビュー前は、辻調理師専門学校でフランス料理など西洋料理を学び、卒業後はプロのシェフとしてホテルニューオータニなどのホテル、レストランで勤務。その後お笑いタレントに転身し、2003年9月より活動を開始。かつてはコンビ「フジタと大介」で活動、その後ピン芸人「フジタシンヤ」となり、2007年6月に小学校、中学校時代の同級生とコンビ「Par-Do」パードゥ)を結成。その後解散し再びピンとなり、フジタ帝国となる。ピン時代の一人コントでは、「となりのトトロ」、「スーパーマリオブラザーズ」の星(スーパースター)など、着ぐるみを着てのキャラクターで演じるものなどがあった。 2010年9月末 エヌフォースプロモーションを退社、10月に元「ジュモンれもん」の肥後DNA博暁とピン芸人「イノシマ全治6ヶ月」とトリオ「ドレミ倶楽部」を結成。 2012年3月末 トリオからイノシマ全治6ヶ月脱退、コンビになり漫才がネタの主体となる。 ラジオ、テレビ、舞台、お笑いライブ、インターネット、イベント等多方面で活躍している。 2013年2月21日、芸名を本名の『藤田晋也』に改名すると発表。 2013年4月より、買い物ナビサイト『@DIME』内にて週一回「ドレミ倶楽部・藤田晋也の5分で簡単おつまみレシピ」の連載を開始()。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 04:48 UTC 版)
ピン芸人だったカズレーザーと、2012年7月にぷち観音を解散した 安藤なつにより、2012年8月に結成。安藤はぷち観音解散の時点で、お笑いを引退しようと思っていたこともあったが、カズレーザーに「今ちょうど130kgの女性の相方を探していたんです」と言われて半ば強引に誘われ、安藤は「そう言われて嬉しかった」と話している。結成までには、ある日のライブで安藤に男性芸人が次々に体当たりしていく企画があり安藤が次々になぎ倒していく中でカズレーザーだけには投げ飛ばされ、その後楽屋に戻った時にカズレーザーに謝られるより先にいきなり「コンビ組みませんか?」と言われ、その時やその後も何度も断ったが、ずっとヘラヘラしたようなカズレーザーの態度に最後は根負けした、という経緯がある。カズレーザーは安藤を相方に選んだことについて「前のコンビ(ぷち観音)で売れなかったということは、太っている体型をいじりのネタにしても伸びしろが無い。だから太ったツッコミ役の方がいい」という考えがあったと言う。安藤は「カズは頭がいいので、結成したばかりの頃は付いて行くだけで必死だった」と話している。 芸に集中するためのルールとして恋愛禁止を掲げている。しかしドッキリにかけられたカズレーザーが瀧上伸一郎(流れ星)との交際を試みたことで破綻し、恋愛禁止は建前だと明かした。カズレーザーはバイセクシャルである。 2015年に漫才新人大賞、M-1グランプリなどで決勝進出を果たし、一気に知名度を上げた。 2016年10月から、ニッポン放送にて初のラジオ冠番組『新発見!有楽町合金』が放送開始。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 03:04 UTC 版)
「腐女子 (お笑い芸人)」の記事における「略歴・概説」の解説
自身を「本物の腐女子である腐女子芸人」と称し、フリップ芸を行う。 ネタは基本的に既存のアニメや芸能人などを腐女子の目線から見るという「腐ィルター」や、本人の創作で男性同士の恋愛を描く「腐女子の紙芝居」など、腐女子とボーイズラブをテーマにしたものが多い。現在はオードリー、アニメ『TIGER & BUNNY』、『つり球』、『宇宙兄弟』、『進撃の巨人』、ドラマ『相棒』、『半沢直樹、ゲーム『妖怪ウォッチ』、映画『ベイマックス』などのマニアックなボーイズラブ妄想をネタにすることが多く、本人が妄想しやすい作品、人物が移り変わるとネタのレパートリーとして追加されていく。 「腐ィルター」のネタでは冒頭に必ず「オードリーの若林正恭さんは攻め(ボーイズラブの世界での男役のこと)です!!」と叫んでからネタに入る。 極貧であることを公表しており、タレントやライブアイドルとしての収入よりもイラストレーターとしての収入が主である。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 08:11 UTC 版)
身長160cm、血液型はB型。 鹿児島県立大口高等学校卒業。 松竹芸能タレントスクール23期生(2013年4月入学、2014年3月卒業)出身(同期にはガール座、ジョリー惑星・⊿あべみな など)。 趣味はデパ地下巡り、物産店巡り、自宅に人を招いて手料理でもてなすこと、夜中に住宅街を歩き、家を見てその家の生活を想像すること。 特技はデパ地下の商品案内、料理、料理をおいしそうな感じを出して食べること、申し訳なさそうな表情を出すこと。身振り手振りだけで外国人とのスキンシップが出来る。デパ地下の洋菓子店で5年間アルバイトをしていた。 かつてバックパッカーで世界中を旅して歩き、ニュージーランドの牧場で働いていたことがある。笹塚でルームシェアもしていた。。 かつて「パッキンセーブ」という男女コンビ(この時の相方はかつて松竹芸能に所属していた元ピン芸人アーム祭主)で活動。このコンビの結成当初のコンビ名は「ネルソン」だったが、このコンビ名のままで活動することが難しいと感じ、2013年6月にパッキンセーブに改名。このコンビ名は、脇屋敷も滞在していたことがあるニュージーランドで展開するスーパーマーケットの名前から名付けた。パッキンセーブは2014年8月に解散。 2013年10月13日放送のフジテレビの番組『アバケン』でテレビ初出演。 2016年2月11日から、キンタロー。主宰の女芸人ユニット『SBK48』のメンバーとしても活動。 SBK48内のデブ選抜である松木坂46に参加している。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:59 UTC 版)
コンビ名は斎藤の前のコンビ名「ヌンチャクダンス」からヌンチャクを残して他人につけてもらったことによる。あばれはっちゃくに語呂が似てる為とも言われている。 2000年に、快児、ちむりん、パペットマペットとユニット『免疫魔神』を組んで公演を行っていた。2010年に当時のメンバーがそのまま再集結して復活公演(8月6日 - 8月8日、東京都新宿・タイニイアリス)を行い、この時に5年ぶりに二人揃っての出演となった。 解散後、竹内は声優の道を進むため事務所を声優のマネジメントを中心とするケッケコーポレーションに移籍。斎藤は桜塚やっくんの名義でトップコートに移籍。しかし紆余曲折があり2010年にトップコートから独立。そして声優としてのマネジメントを2011年8月からケッケ・コーポレーションに付託をし同事務所の預かりとなり再び2人は同じ事務所に所属する形となった。 それぞれ違う分野で活躍を見せていたが、2013年に斎藤が交通事故で、2022年に竹内が病気のため逝去した。
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略歴・概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 05:03 UTC 版)
二人とも成蹊大学出身で大学時代の友人同士。卒業後、松竹芸能タレントスクールに20期生として入学(同期生にキンタロー。、エリザベータなど)、同年4月1日に座敷ボウラー結成。このコンビ名は二人とも学生時代から毎日ボウリングをしていたことなどから付けた。 座敷ボウラー時代は、「脅威のボーカル」と言われた和田の歌唱力と美声を活かした漫才や、金井の飄々とした演技などのコント、和田がほとんど声主体で笑わせるものなど様々なネタを披露。2012年に『お笑いネタ日記GP』でグランプリ獲得(同年10月3日発表)、同年12月には松竹芸能のライブ『2012年総決算! ゲラゲラチャンピオンシップ』にて優勝。この優勝特典として2013年3月14日に初単独ライブ『座敷ボウラー単独ライブ~兎にも角にも~』(新宿角座)を開催。お互いビジネスパートナーとしての存在であることを嫌がり、コンビ時代は二人で同居していたほどで、お互いの仲の良さを大切にして活動していた。 しかし2015年5月、和田が体調不良により療養専念のため休養。当初座敷ボウラーは活動休止とされていたが、その後同年8月には正式に解散を発表。 その後は金井のみ『座敷ボウラー金井』として、2016年3月までピンで活動。2016年4月、元ブギーマンの鳥飼詠太とコンビ「青年タイアップ」を結成。青年タイアップは約1年の活動の後、鳥飼の芸能界引退のため、2017年3月14日の事務所ライブ『関東ゲラゲラSILVER』出演を最後に解散。金井は再びピンでの活動に転じる。 2017年7月6日、同じ金井と和田の2人でコンビ名を「タイーク」として再結成し、再スタートすることを発表。 2020年11月30日を以ってタイークは解散したことを発表(2度目の解散)。和田は引退、金井は再びピン芸人となって活動を続ける
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略歴・概説
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「デルピエロ (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・概説」の解説
ワタナベコメディスクールに11期生として在籍(2009年10月入学、2010年9月卒業)し、コンビを結成。卒業後、ワタナベエンターテインメント所属となる。 ネタは、コント、ショートコントなど。その中には、石田の得意とする、ブレイクダンスなどのダンスを生かしたものなどがある。ブリッジとして、M.C.ハマーの曲『U Can't Touch This』に乗せて踊ったりポーズをした後に「Can't Touch This」の所で「デルピエロ!」と言っている。 その後山口が「デルピエロ山口」として、顔と体型の似たアンガールズ・田中卓志の物真似ネタでピン出演することも多くなっている。同じ事務所の先輩ということもあり物真似は田中本人から公認されており、共演を果たしたり、田中の代役として山根良顕とロケに行かされたりといった経験をしている。山口のネタには、他に阿部寛の物真似などがある。
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略歴・概説
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2011年中に、ピン芸人だったほりと、ジャパニウムを解散した宍倉によって、たぬきごはん結成。宍倉から声をかけて結成した(これ以前から宍倉はほりの才能を認めていて、コンビを解散した芸人仲間に、新しい相方としてほりを勧めていたことがあった)。 2016年のM-1グランプリで、準々決勝まで進出。 コント、漫才共に演じている。主に宍倉がボケ、ほりがツッコミで、かつてはネタの途中でマイクから離れて相方の宍倉と共にステージ隅に座り込み、宍倉を諭すような会話をする、といったようなネタのスタイルがあり、2015年からは、一部でボケとツッコミが逆転したようなネタも見せていたことがあった。その後同年からはほりが「西園寺綾雨」(さいおんじ あやめ、わがままな感じでものをあまり知らないというキャラクター)、宍倉がその執事と言うキャラクターに扮しての漫才も披露している。この中では、綾雨が宍倉にむちゃぶりでネタを振るという流れもある。西園寺綾雨と執事のキャラ設定のネタは、ほりが着物を着た時に先輩から「地主の娘と執事に見える」と言われたことがきっかけだった。なお、ほりはtwitterのアカウントを自分のものの他に、2017年4月から西園寺綾雨としてのアカウントのものも持っている。 なお「西園寺家」には、執事の宍倉の他に「ばあや」(長江もみ)も居るという設定になっている。2019年の女芸人No.1決定戦 THE Wには、綾雨とばあやのコンビ「西園寺家の物語」で出場した。 2020年頃からは、選挙立候補者風の設定の漫才(ほりが立候補者役、宍倉がその応援演説の役)を多く演じている。 ネタ作成については、やりたいこととその設定についてはほりが、ネタを工夫して加工するのは宍倉がそれぞれ担当している。 2017年3月4日、たぬきごはん初単独ライブ 「雲に佇み 虹を描く」(松竹芸能新宿角座)を開催した。 2018年10月より漫才協会に所属することとなり、同月浅草東洋館上席から同協会の定席興行にも出演するようになった。2020年度漫才新人大賞本選進出。
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