ホテルニューオータニとは? わかりやすく解説

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ホテルニューオータニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 04:27 UTC 版)

ホテルニューオータニ(Hotel New Otani)は、東京都千代田区紀尾井町にあるホテル


注釈

  1. ^ 当初は23階建ての設計であった[7]
  2. ^ 2014年(平成26年)に、全て撤去されたと思われていた竣工当時の初代モデルが、倉庫になっている非公開の部屋に現存することが判明した[8]。このユニットバスは、TOTOミュージアムで展示されている[9]
  3. ^ 9Fにセーシェル共和国名誉総領事館がある。

出典

  1. ^ 親会社等の決算に関するお知らせ』(プレスリリース)株式会社テーオーシー、2020年6月29日。 オリジナルの2020年12月3日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201203141836/https://www.toc.co.jp/toc/ir-new/assets/pdf/other/20200629-2.pdf 
  2. ^ “ホテルニューオータニグランシェフ 中島眞介さん”. 日本経済新聞. (2021年2月1日). オリジナルの2021年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210201080204/https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68701390R00C21A2EAC000/ 
  3. ^ a b c d e 富田昭次 (2014年10月24日). “ホテルニューオータニ開業50周年 開拓者として挑戦し続けてきた半世紀”. 週刊ホテルレストラン. オリジナルの2019年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191113122601/http://sci.hitsdb.net/pdf_lib/articles/141024-20-25.pdf 
  4. ^ “大成建設 山内隆司の 世界の風に吹かれて(17) 日本初の超高層ビル、ホテルニューオータニ〈前編〉”. 週刊ホテルレストラン. (2011年11月11日). オリジナルの2012年1月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120113131116/http://www.hoteresweb.com/column03/1111-taisei17.html 
  5. ^ a b 光文社「女性自身」2014年10月14日号(第57巻第37号)101頁 雑誌20302-10/14
  6. ^ a b c 鈴木 2016 58頁
  7. ^ 山川清弘 (2014年4月7日). “知られざる東京「ホテル御三家」の底力”. 東洋経済ONLINE オンライン (東洋経済新報社). オリジナルの2014年4月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140408003300/http://toyokeizai.net/articles/-/34409?page=2 2014年7月12日閲覧。 
  8. ^ “「初代ユニットバス」発見 ニューオータニ 前回東京五輪で開発”. 東京新聞. (2014年7月22日). オリジナルの2014年8月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140808034640/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014072202000242.html 
  9. ^ 平成28年度「建築設備技術遺産」に TOTOミュージアム所蔵の「初代ユニットバスルーム」が認定』(プレスリリース)TOTO株式会社、2016年5月20日。 オリジナルの2019年4月5日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20190405213641/https://jp.toto.com/company/press/2016/05/20_002180.htm 
  10. ^ “戦艦大和の技術遺産、日本に息づく 沈没から74年”. 日本経済新聞. (2019年4月7日). オリジナルの2021年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210623110645/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43356600U9A400C1000000/?unlock=1 
  11. ^ Vol.010 ホテルニューオータニ”. 地図に残る仕事. 大成建設. 2016年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月28日閲覧。
  12. ^ 川口敦子 (2020年12月18日). “狭くなった東京の空 回り続けて半世紀、レストランに幕”. 朝日新聞. オリジナルの2020年12月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20201218035624/https://www.asahi.com/articles/ASNDK4CD0ND8UTIL01W.html 
  13. ^ “ニューオータニで食中毒 18人からノロウイルス”. 日本経済新聞. (2012年4月13日). オリジナルの2021年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210328034637/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1305K_T10C12A4CC1000/ 
  14. ^ 莫邦富 (2011年4月28日). “中国人観光客の心の琴線に触れる日本の懐メロ「草帽歌」・ニューオータニ”. ダイヤモンド・オンライン. オリジナルの2011年6月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110611023004/http://diamond.jp/articles/-/12091?page=2 
  15. ^ ORICON NEWS「『フラーハウス』初の日本ロケ メイキング写真&エピソードを公開」” (2017年12月4日). 2022年6月19日閲覧。
  16. ^ ベルボーイ役のミンチ・ムラカミのInstagramの位置情報より” (2017年8月25日). 2022年6月19日閲覧。


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ホテルニューオータニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:25 UTC 版)

永野重雄」の記事における「ホテルニューオータニ」の解説

永野富士製鋼支配人時代東京ロール製作所経営していた大谷米太郎が、圧延ロール売り込みに来た。商売熱心かつ信用できる大谷気風惚れロール購入したことを切っ掛け以降大谷亡くなるまで40年親しく付き合った戦後発足間もない富士製鉄日本最初新鋭連続冷延設備付き大規模薄板生産計画具体化しようとしている矢先に、大谷大阪旧式設備工場作ろうしたため永野強く中止勧めたが、大谷聞き入れず結果として富士から仕入れた鉄鋼原料代金4億数千支払い焦げ付いたやむなく永野大谷邸を訪問すると、大谷息子大谷米一呼んで手形切らせ千代田区紀尾井町の現在ホテルニューオータニが建っている土地担保差し出した。ここはかつて伏見宮邸があった場所で、大谷1951年昭和26年)に1万8000坪を1億7000万円買収していた。 この土地担保として永野預かっているとき、東急五島慶太が「米国ヒルトン組んでホテル建てたいから売って欲しい。ヒルトン側はそこがホテル最適だ見ている」と言ってきた。大谷負債を二年で完済したため、その話は立ち消えになったが、大谷五島の「ヒルトンホテル最適と言った言葉信用しその後自身で、この地にホテルニューオータニを建設した。ただし、東京オリンピック担当大臣だった川島正次郎東京都庁などホテル対策血眼になっていた当局者や、大倉喜八郎大倉系の大成建設ホテル建設強く要請されたという説もあり、ニューオータニ建設大谷積極的な意思ではなかったともいわれる工事大成建設担当し通常3年はかかる規模工事17ヵ月突貫工事でやり遂げたホテル建設にあたり永野大谷相談相手になったが、大谷は既に80歳を越す高齢でもあり、素人競争激しホテル業界に乗り出す危険を説いて当初賛成しなかったが、結局オリンピック前に国策国益といった見地から、やむなく賛成したという。永野富士銀行岩佐凱実引き出し、また外国からのお客を招くには外務省と関係の深い人を経営陣据えることを勧め日ソ航空機相互乗り入れ問題一緒に手掛けたことのある門脇季光元駐ソ大使副社長招聘した。1964年昭和39年9月の同ホテル開業にあたり永野稲山嘉寛市川忍山本為三郎瀬川美能留松下幸之助水上達三今里広記遠山元一松山茂助越後正一20人の大物財界人取締役名を連ねた20人は一人84000万円出資したホテル開業後、大谷前時代的経営感覚が、ホテル事業合致しないという意見関係者から出て営業実権総支配人就任したパークホテル常務岡田喜三郎任された。1970年昭和45年大谷社長退き代表権を持つ会長就任したが、この人事も永野らが説得したものであったという。永野亡くなるまで同社筆頭社外役員だった。大谷米太郎長男大谷米一は「ホテルニューオータニは永野さんのおかげで建てることができた」と述べている。 ハワイのカイマナビーチホテルは、永野日本財界人95%持って設立した現地人経営任せていたが、経営うまくいなくなり永野大谷米一購入持ち掛け、「ニューオータニカイマナビーチホテル」として今日運営されている。

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「ホテルニューオータニ」を含む「永野重雄」の記事については、「永野重雄」の概要を参照ください。

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