みそら‐ひばり【美空ひばり】
美空ひばり
美空ひばり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
親しかった報知新聞社長からの勧誘を受け、コンサートを観ている。その後清張はひばりに歌を作詞する約束をし、「雑草の歌」というタイトルで資料集めを実施、内容を検討していたが、ひばりの死(1989年)により実現せずに終わった。
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美空ひばり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:45 UTC 版)
とんねるずは美空ひばりとも生前は親交が非常に深く、「お嬢」「タカ」「ノリ」と呼び合う間柄だった。 両者の出会いのきっかけは、とんねるずの大ファンだったひばりの息子・加藤和也(現:ひばりプロ社長)の誕生会に2人が呼ばれたことである。その後も『とんねるずのオールナイトニッポン』にひばりが急遽飛び入り出演し、とんねるずが出演していた同番組の生放送中にひばり本人から電話が入るなどの過去もある。 彼らが出演していた番組を見ていたひばりから放送終了後に2人の元へ電話がかかってきて、深夜にも拘らずひばりの自宅に呼び出され夜11時頃から番組内での行き過ぎた歌パフォーマンスに対して説教を受けたことがある。その際にはひばりのコンサートビデオを延々と見させられ、ひばりが席をはずすなり石橋がビデオを早送りして何とか見終わったと思いきや、そのビデオは上巻で、続けて下巻のビデオを結局翌朝5時頃まで見させられたというエピソードがある。 1988年に東京ドームの単独コンサート第一号として、不死鳥コンサートが行われ、政界・芸能界から沢山の有名人が駆けつけていた中、とんねるずも来ており石橋は隣に居た木梨に感動で泣くところを見られたくなかったので、必死に我慢していたがついに堪え切れず涙腺が崩壊しかけ、「ヤバい」と隣の木梨を見たところ木梨の方が先に号泣していたという。石橋はひばりに『(芸歴は)売れてから数えなさい』と言われて以来、「雨の西麻布」がヒットした1985年からを芸歴としてカウントすることがある。
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美空ひばり
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「川の流れのように」(1989年) - 本人の没後にランクインしている。1989年8月31日、「今週のスポットライト」コーナーで、生前のひばり自身が歌唱披露していた、1989年(昭和64年)1月4日にTBS放映の特別番組「春一番!熱唱美空ひばり ~いま誓い新たに燃える不死鳥全25曲!!~」からの映像を流していた。また、初登場のサインは上述の石原裕次郎と同じく生前の宣材写真に署名を加えたものが提供された。それから2週間後の9月14日に第10位へ唯一のランク、この日にも上記特番の動画を再放送する。なお、没後にベストテン入りした歌手は上述の石原裕次郎以来、2年振り2人目の出来事だった。
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美空 ひばり
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「三人娘 (1955-)」の記事における「美空 ひばり」の解説
詳細は「美空ひばり」を参照 愛称: 「お嬢」「歌謡界の女王」「昭和の歌姫」など 本名: 加藤 和枝 生年月日: 1937年5月29日 没年月日: 1989年6月24日 配偶者: なし(1962年に小林旭(俳優・歌手)と結婚、1964年離婚) 子供: 長男(養子)・加藤和也(実業家) 1949年に「河童ブギウギ」で歌手デビュー。同年「悲しき口笛」がヒットし、一躍スターとなる。以後も、「東京キッド」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「港町十三番地」など立て続けにブレイク。1954年の第5回NHK紅白歌合戦に「ひばりのマドロスさん」で初出場。1972年までに通算17回出場し、そのうち13回トリを務める。1965年には、「柔」で第7回日本レコード大賞を受賞。その後も、「悲しい酒」「真赤な太陽」とミリオンセラーを記録する大ヒット曲を連発し、「歌謡界の女王」の地位を不動のものにした。しかし、1987年に慢性肝炎と特発性大腿骨頭壊死症により緊急入院。約3か月間の療養後一旦退院するも、1989年に再入院。同年突発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全のため52歳で没した。死後、女性としては初となる国民栄誉賞が追贈された。
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