島根県
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歴史
原始・古代
- 島根県下では、旧石器時代の遺跡は松江市とその周辺および中国山地の中央部辺り(旧瑞穂町)とで15カ所ほど知られている。宍道湖北岸の遺跡からは瑪瑙製台形様石器[注釈 3]や瑪瑙もしくは玉髄製の台形様石器、石核、剥片、凝灰岩製石核などが出土している。
- 旧石器時代 約2万年前に姶良火山灰(AT)が降る。また隠岐産の黒曜石が出回り始める。
- 縄文時代の草創期(約1万3千-1万年前)や早期(約1万年前-6千年前)には、古中海湾沿岸部に縄文「集落」が形成され、海面上昇で古宍道湖が出来、沿岸に縄文人が進出してくる。続く前期(約6千年前-5千年前)には、アカホヤ火山灰(AKh)が降る。古中海湾・古宍道湖湾の広がり最大となる。山陰各地にも縄文集落が現れ、貝塚ができる。中期(約5千年前-4千年前)には瀬戸内地方や九州地方との交流進む。山間部にも交流拠点集落現れる。後期(約4千年前-3千年前)に入り、大きな縄文集落が作られる。このころに三瓶山の大平山の噴火が起こる。噴出物の流失物で出雲平野の骨格できる。晩期(約3千前-2千数百年前)には、山陰西部で九州との交流活発になる。打製石器の土掘り具(石斧など)が盛んに使用されるようになる。
- 県東部の出雲地方は、古代日本において最も文化の発達した地域の一つであった。特に弥生時代においては、大量の青銅器が出土した荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡や、大型の四隅突出型墳丘墓(安来市古代出雲王陵の丘、出雲市西谷墳墓群)があり早期に鉄器を有するなど、特徴的でかつ先進的な文化が山陰一帯に存在し、その中心的勢力が島根東部から鳥取県西部にかけて存在した。詳細は「古代出雲」を参照
- 古墳時代には雲南市加茂町の神原神社古墳から「卑弥呼の鏡」と言われる景初3年(239年)銘のある三角縁神獣鏡が出土している。6世紀半ばごろに山代二子塚古墳(松江市)という94メートルの大前方後方墳が築かれる。少し遅れておよそ91メートルの今市大念寺古墳(出雲市)が築かれる。出雲の東西に拮抗する大古墳が築かれたが、7世紀初頭には二子塚のすぐ東隣に一辺45メートルの大型方墳(山代方墳)を築いている。前方後方墳から方墳に移行したは大和政権の大王陵の変化と同じである。
- 奈良時代に記された『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』に、出雲を舞台としたスサノオや大国主の神話が語られるなど、朝廷においてもその存在は大きなものであった。また神話にその創建が語られている出雲大社は、代々出雲国造家がその祭祀を司り現在に至っている。
中世
- 隠岐は古来より流刑の地とされ、鎌倉期の後鳥羽上皇・後醍醐天皇をはじめ多くの貴人が流されたが、これにより京文化が伝播して隠岐独自の文化が生まれ、また明治維新期の隠岐騒動にも結びついたと言われる。
- 県西部の石見地方には、飛鳥時代を代表する歌人柿本人麻呂の伝承が多く残されており、この地域を詠んだ歌が多く『万葉集』に残されている。
- 鎌倉時代の石見地方では、源平の争乱で、西国では少ない源氏方として一ノ谷の戦いや壇ノ浦の戦いで軍功をあげた藤原兼高が益田兼高と改め、所領の益田庄に七尾城を築城して本拠とした。
- 室町時代は京極氏や山名氏がこの地の守護大名となった。戦国時代に入ると、守護代であった尼子経久が京極氏を追放し、月山富田城(安来市)を拠点として中国地方一帯に覇を唱え、たたら製鉄の経営を行った。またこの時期に開発された大森銀山は、大内氏と尼子氏による熾烈な争奪戦が繰り広げられたが、最終的に毛利氏によって支配され、江戸幕府成立後に幕府直轄領となった。
近世
- 出雲地方
- 江戸時代には堀尾吉晴が出雲・隠岐24万石で入封し、松江城を築いた。松江藩はその後は京極氏を経て、徳川家康の流れを汲む結城松平氏の松平直政が入国し、幕末に至った。なお、松江藩には広瀬藩と母里藩(ともに1666年創設)という支藩があり、一時的に松江新田藩(1701年から1704年)という支藩も置かれていた。松江藩ではたたら製鉄の隆盛で、安来などの港が北前船で繁栄した。
- 石見地方
- 隠岐地方
近・現代
- たたら製鉄が衰退し、木炭産業に移行するとともに、鉄山師の一部は雲伯鉄鋼合資会社の設立などにより和式製鉄法の近代化を行い現在に至っている。一部、古来のたたら製鉄が再現され少量操業も行っている。
年表
- 659年(斉明5年) - 出雲国造に命じて神の宮(杵築大社:きづきたいしゃ)を造らせる。1871年(明治4年)に出雲大社と改称。
- 733年 - 『出雲国風土記』成立。
- 1221年 - 承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が隠岐に配流される。
- 1332年 - 後醍醐天皇が隠岐に配流される(元弘の乱)。
- 1333年 - 後醍醐天皇が隠岐から脱出(鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立へ至る)。
- 1566年 - 尼子義久が毛利元就に降伏。
- 1600年 - 堀尾吉晴が富田城に入る。
- 1611年 - 松江城築城。
- 1617年 - 亀井政矩が津和野藩主となる。
- 1619年 - 古田重治が浜田藩主となる。
- 1868年 - 隠岐騒動
- 1869年(明治2年)
- 1870年(明治3年)
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治4年)
- 1876年(明治9年)
- 1881年(明治14年)
- 1889年(明治22年)
- 1891年(明治24年) - ラフカディオ・ハーンが松江の塩見縄手に住み、『知られざる日本の面影』を執筆。
- 1927年(昭和2年) - 邑智郡川本村が町制施行、邑智郡川本町が発足。
- 1939年(昭和14年)9月 - 赤痢が流行。県内の患者1040人以上[4]。
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 1943年(昭和18年)9月19日 - 西日本一帯に集中豪雨。県内は死者約500人、行方不明者14人、家屋全壊約2300戸などの被害[5]。
- 1947年(昭和22年)11月30日から12月1日 - 昭和天皇の戦後巡幸[6]。
- 1952年(昭和27年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年) - 島根県庁の別館から出火、離れの一部の建物を除き約3000坪が全焼。
- 1957年(昭和32年)
- 1969年(昭和44年)
- 2004年(平成16年)8月 - 全国高等学校総合体育大会が島根県を主会場に開催。
- 2005年(平成17年)
- 1月1日 - 飯石郡赤来町、頓原町が新設合併して飯南町が発足。
- 3月22日 - 旧・出雲市、平田市、簸川郡大社町、湖陵町、多伎町、佐田町が合併し、新・出雲市が発足。
- 3月31日 - 仁多郡仁多町、横田町が新設合併して奥出雲町が発足。
- 3月31日 - 旧・松江市、八束郡鹿島町、美保関町、八雲村、玉湯町、宍道町、八束町が合併し、新・松江市が発足。
- 9月25日 - 旧・鹿足郡津和野町、日原町が合併し、新・津和野町が発足。
- 10月1日 - 鹿足郡六日市町、柿木村が新設合併して吉賀町が発足。
- 10月1日 - 旧・浜田市、那賀郡三隅町、旭町、金城町、弥栄村が合併し、新・浜田市が発足。これに伴い那賀郡は消滅。
- 10月1日 - 旧・大田市、邇摩郡温泉津町、仁摩町が合併し、新・大田市が発足。これに伴い邇摩郡は消滅。
- 2007年(平成19年)
- 2011年(平成22年)
- 2012年(平成23年)
- 2018年(平成30年)
注釈
- ^ 竹島(韓国名:独島)は2023年3月現在、大韓民国(韓国)が実効支配している。
- ^ ただし、この広袤(こうぼう)には現在、日本国政府の施政権が及んでいない竹島を含んでいる。
- ^ 石核から不定形に剥離された剥片を素材として、鋭い縁辺を刃部として、その側辺の両側辺を加工を加え、台形または長方形状に仕上げた小型の剥片石器。柄を付けて刺突具または切削具として使用されたと推測される。後期旧石器時代初頭の打製石器。
- ^ BSSは鳥取県米子市が本社であるが、テレビ放送開始当初は東京・大阪・愛知などの大都市以外「1県1局」が原則であり、鳥取県は既にNKTが開局していた。これではこの原則を外れるのでやむを得ず島根県松江市に本局を構えた。このためラジオは鳥取・島根2県広域ながら、テレビは島根県だけが対象という変則状態が続いたが、その後NKT、TSKを含めた3局で相互乗り入れが行われるようになり今日に至っている。また一時期はこの名残でテレビ朝日系のワイドショーがBSSとNKT同時放送か、同じ番組を時差ネットで放送したこともあった。詳細は山陰放送#テレビ放送開始とエリア拡大参照。
- ^ テレビ東京系は松江市と安来市、後発局であることとエリア内での受信ができないことを理由に同意が得られない平田地区を除いた出雲市のみ、独立放送局は松江市と安来市、出雲市の平田地区のみ視聴可能。
出典
- ^ a b c d e f “島根県のプロフィール > 誕生までのあらまし”. 島根県政策企画局広聴広報課. 2022年1月5日閲覧。
- ^ 全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院 2013年11月28日閲覧
- ^ 気象庁・気象統計情報
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、55頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 「死者・不明八九三人、家屋全半壊五千戸に」1943年(昭和18年)9月24日 朝日新聞(昭和ニュース事典編纂委員会編『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.225 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、99頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 「海底資源開発で連携 日本海沿岸の10府県」『産経新聞』2012年9月8日[リンク切れ]。他の参加府県は秋田県、山形県、新潟県、富山県、石川県、福井県、京都府、兵庫県、鳥取県。
- ^ 「メタンハイドレート活用研究 10府県が会議設立」『神戸新聞』2012年9月8日[リンク切れ]
- ^ 「日本海の資源開発で連携、連合設立。本県など日本海側10府県」『新潟日報』2012年9月10日
- ^ 「メタンハイドレート、日本海でも調査を 10府県が連合」『朝日新聞』2012年9月9日
- ^ “県民の歌「薄紫の山脈」”. 島根県政策企画局広聴広報課. 2022年1月5日閲覧。
- ^ a b c d “<国勢調査>大正時代よりも人口が減るかも知れない都道府県はどこだ?”. THE PAGE. (2015年9月11日) 2022年1月5日閲覧。
- ^ “島根県の人口70万人割れ 4月、55年の93万人から25%減”. 日本経済新聞. (2014年4月28日) 2022年1月5日閲覧。
- ^ 島根県の人口動態
- ^ 総務省 (2022年). “地方公共団体の主要財政指標一覧 各年度の全都道府県の主要財政指標” (Excel). 2024年1月14日閲覧。
- ^ 農林水産省統計部 (2018)『平成30年生産農業所得統計』
- ^ 『日本経済新聞』朝刊2019年12月19日33面【山陰経済特集】きらめく山陰 人を呼ぶ:「星空舞」や薬草 食に新顔
- ^ “島根県農林水産業の現状”. 2019年4月7日閲覧。
- ^ a b c トビウオ通信(平成24年第2号)島根県水産技術センター(2012年8月16日閲覧)
- ^ 農林水産省統計部(2010年)『平成22年漁業・養殖業生産統計』
- ^ 長宗拓弥「シジミ漁獲量:県、4年ぶり全国一 青森から奪還 湖沼別でも宍道湖」『毎日新聞』2015年4月25日
- ^ a b c 島根県政策企画局統計調査課 (2008)『2008年漁業センサス調査結果報告書』
- ^ 島根県政策企画局統計調査課 (2011年)『平成21年経済センサス - 基礎調査 島根県分結果確報』
- ^ 総務省 (2011年)『平成21年経済センサス‐基礎調査』
- ^ 国土交通省総合政策局建設統計室(2011年)『平成22年度建設総合統計年度報』
- ^ a b c d e 島根県政策企画局統計調査課 (2012年)『平成22年工業統計調査結果報告書』
- ^ a b 島根県政策企画局統計調査課 (2009年)『平成19年商業統計調査結果報告書』pp.13
- ^ 日本百貨店協会:会員・コラボレーション会員 - 日本百貨店協会(2012年8月17日閲覧)。
- ^ “一畑百貨店閉店のお知らせ”. 一畑電車. 2023年12月17日閲覧。
- ^ ““デパートゼロ県”地方の苦境 県内唯一の一畑百貨店閉店へ”. NHK. 2023年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f 島根県商工労働部観光振興課 (2016年)『平成27年島根県観光動態調査結果』
- ^ 私立学校 - 島根県総務部総務課
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