全斗煥 全斗煥の概要

全斗煥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/10 05:02 UTC 版)

全斗煥チョン・ドゥファン
전두환

1983年

任期 1980年9月1日1988年2月24日
首相 南悳祐 (1980-1982)
劉彰順朝鮮語版 (1982)
金相浹朝鮮語版 (1982-1983)
陳懿鍾 (1983-1985)
盧信永朝鮮語版 (1985-1987)
金貞烈 (1987-1988)

出生 (1931-03-06) 1931年3月6日陰暦1月18日
日本統治下朝鮮 慶尚南道陜川郡栗谷面内川里
死去 (2021-11-23) 2021年11月23日(90歳没)
 大韓民国ソウル特別市西大門区
政党 民主正義党
出身校 陸軍士官学校
配偶者 李順子
署名
全斗煥
全と妻の李順子
各種表記
ハングル 전두환
漢字 全斗煥
発音: チョン・ドゥファン
日本語読み: ぜん とかん
ローマ字 Jeon Du-hwan(2000年式
Chŏn Tuhwan(MR式
英語表記: Chun Doo-hwan
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経歴

1931年3月6日、慶尚南道陜川に生まれる。父は没落両班の家柄で一応の学問はあり、民間療法で村人を診療していたという。6男4女(長兄は1915年生まれ、末弟は1942年生まれ)の4男として生まれる。5歳で大邱に移り、大邱公立本町尋常小学校(大邱鐘路初等学校)に入学する。家の都合で4年生で休学し、納豆売りなどで生計を助けた。一家で満州へ移住し、父が素人診療の漢方医院を開業するが上手く行かず、1941年に大邱へ戻る。復学して1944年に小学校(国民学校)を卒業。大邱公立工業学校(大邱工業高等学校)に入学し、大戦後の1950年に卒業する。成績は優秀で大学進学を望んだが、家の経済事情から士官学校受験を選択した。朝鮮戦争中に陸軍士官学校に入学(11期)。同期には盧泰愚らがいた。

1960年6月、陸軍大尉として崔世昌、張基梧、車智澈と共にアメリカ合衆国ジョージア州フォート・ベニングの特殊戦教育機関で6ヶ月間、沼地、山岳・サバイバル訓練などの「レンジャー・トレーニングコース」課程を受けた。また落下傘降下訓練(これはオプションと思われる)を受け、空挺団創設要員となった[3]

朴正煕クーデターを起こすと、陸軍士官学校の生徒を率いて支持を表明。この功績が認められて最高会議議長秘書官になった。ベトナム戦争第9師団[4]第29連隊長として参加し[5]、帰国した。

1969年、特戦団司令部が創設された。第一空挺旅団を母体として次々と旅団が生まれてゆき、自らも第一旅団長を務めた[3]。この特殊戦略司令部を経て1979年に国軍保安司令官になる。

1979年10月26日朴正煕暗殺事件が起きると、暗殺を実行した金載圭を逮捕、処刑するなど事件の捜査を指揮する。同年12月12日に戒厳司令官鄭昇和大将を逮捕し、実権を掌握(粛軍クーデター)。翌1980年5月17日5・17非常戒厳令拡大措置を実施する。クーデター後に金大中軍法会議で死刑判決を受けて後に無期懲役に減刑されるものの、アメリカに出国)を含む野党側の政治家を逮捕また軟禁し、非常戒厳令を全国に拡大させ、これに反発していた光州での民主化要求デモを鎮圧するため陸軍の特殊部隊を送り、市民が多数虐殺された(光州事件)。社会的に弱者とされる失業者やホームレス、あるいは犯罪者や学生運動家、労働運動家など約4万人を一斉に逮捕させ、軍隊の「三清教育隊」で過酷な訓練と強制労働を課した。特に後者は暴行などで52人の死者を出し(後遺症の死者は397人)、2768人に精神障害を残すなど計り知れない傷跡を残した。あまりの酷さに人々から「一旦入ったら生きて出られぬ」と恐れられたという。逮捕された者の中には光州事件に連座した高校生や主婦、14歳の女子中学生も含まれていた。同年9月に大統領就任。翌1981年から第五共和国政府がスタートした。

全斗煥が第11代大韓民国大統領に就任した直後の1980年10月10日北朝鮮金日成主席第6回朝鮮労働党大会連邦制による朝鮮統一案として「高麗(コリョ)民主連邦共和国」設立を訴えたが、この案を全斗煥は拒否した。

1982年には、長年続いた夜間外出禁止令を解除した。ほぼ同時期に第一次教科書問題が発生し、これを批判した。ただし、これは純粋な歴史認識問題というよりも、日本に60億ドルの経済援助を求めていたが、日本は呑めないということで膠着していた全斗煥が、自らの独裁権力の強化のために、日本からの援助を引き出させる手段として用いたとする説もある。

1983年にはミャンマーアウンサン廟へ赴いた際、北朝鮮工作員による全斗煥を狙ったラングーン爆弾テロ事件が発生する。彼自身は難を逃れたものの、事件で多くの閣僚が犠牲になった[6]。さらに1987年には北朝鮮の工作員金賢姫らによる大韓航空機爆破事件が起き、南北関係は緊迫度を増した。また、中国民航機韓国着陸事件も起きた。

1984年戦後の韓国元首として初めて日本を訪れ、昭和天皇との晩餐会に臨むなど[7]、日本と向き合う姿勢を強調した。また、来日した全斗煥は1986年アジア競技大会に向けて中華人民共和国と国交のある日本の中曽根康弘内閣総理大臣に対して中韓と日朝が同時に国家承認する計画への協力を要請した[8]。これを受け、1986年に訪中した中曽根首相は、親交のある胡耀邦総書記に対して中国に国交樹立、またはLT貿易事務所や通商代表部の設置、韓国も加えた朝鮮戦争休戦協定当事国との4者会談、1988年ソウルオリンピックへの参加を要望する全斗煥の意向を伝えて日朝貿易も行う用意があると述べた[9][10]。後に1986年アジア競技大会とソウル五輪への中国の参加や中韓国交正常化は実現するも、この時点で胡耀邦総書記は韓国の対中姿勢を評価しつつ北朝鮮の反発を理由にこの提案に否定的だった[10]

日米との連携を強め経済の活性化に成功するが、反政府活動の取り締まりも強化し、大学生の副業の禁止や卒業の制限、学生運動に関連した学生を強制的に入営させて密告やスパイを奨励させる「緑化事業」を行った。また、全斗煥政権下では国家保衛立法会議によって朴正煕政権時代に制定された反共法国家保安法に統合される形で廃止されると共に、言論基本法が制定され、言論統廃合が行われている。全斗煥の大統領在任中テレビでは、全政権批判は一切許されず、韓国標準時21時の「KBSニュース9」が必ず全斗煥賛美のニュースで開始されたため、テンジョンニュース等と揶揄された。

1987年以降には改憲・反政府運動も活発化し、7月には政権移譲を表明。

全斗煥に対しては独裁者虐殺者、在任中の汚職など否定的なイメージで見られることが多いが、その反面、経済発展オリンピック誘致・スポーツ振興などの功績を評価すべきだという保守派からの擁護論もある。

退任後には自ら財団を設置し院政を狙うが、利権介入などが発覚し親族が逮捕されるに至って、1988年11月23日に私財の国庫への献納と隠遁を表明[11][12]し、江原道百潭寺朝鮮語版で隠遁生活を送った。その後も光州事件や不正蓄財疑惑への追及が止まず、1995年12月3日に拘束[13][14]。、1996年8月26日、第一審で死刑判決を受けた[15][16]1997年12月22日に金大中の計らいにより、減刑の後、特赦[17][18]2004年にも子息の不正貯蓄について検察から出頭を求められている。

2013年、いわゆる「全斗煥追徴法」が成立し、一族の不正蓄財に対する強制捜査が行われ、同年9月10日、滞納が続いていた追徴金の未納分1672億ウォンについて、完済すると発表した[19]

この際に検察の捜査などを受けたことがきっかけに記憶喪失を起こしその後アルツハイマーの診断を受けたと主張し、2018年8月28日の名誉毀損罪で起訴された刑事裁判の出廷を拒否した[20]。しかし、アルツハイマーと診断されたと主張している2013年以降も外部の行事に何度も出席し、2017年に回顧録を出版(後述)していることなどから、アルツハイマーのため出廷できないとの全斗煥側の主張は疑問視されている[21][22][23]。2019年1月16日には、全斗煥が2018年12月にもゴルフ場でゴルフをしていたという目撃証言が報じられ、病状に対する全斗煥側の主張への疑問はさらに深まり、批判が高まった[24]

2017年に出版された回顧録の中に軍を指揮して対応した光州事件に触れる記述があり、後に遺族より死者に対する名誉毀損の罪に問われた。2017年8月19日までに光州地方裁判所は、回顧録の発売を禁止する仮処分を下した[25]ことに続き、2018年5月には全斗煥を在宅起訴。2019年3月11日には、裁判所からの強制出頭命令を受け、全斗煥が出廷した[26]

以降、全斗煥は再び裁判を欠席し続けているが、本人が高齢であることや警護上の理由から裁判所は本人の欠席を認めている。しかしその一方で、2019年12月には粛軍クーデター40年を記念するパーティーに出席していたことが報じられ、再び批判が高まった[27]

2020年11月30日、光州地裁は全斗煥に対し懲役8ヵ月、執行猶予2年を言い渡した[28]

2021年8月9日、全斗煥は裁判中に呼吸困難を起こしたため裁判の途中で退廷し、8月13日に延世大学病院朝鮮語版に入院した。8月21日、韓国メディアは全斗煥が多発性骨髄腫を患っていると報じた。

全斗煥は2021年11月23日午前、ソウル市西大門区延禧洞の自宅で死去した。90歳没[2][29][30][31][32][33]。盧泰愚の死からわずか1か月後の出来事であった。国葬が営まれた盧泰愚と異なり、国葬や葬儀への政府レベルでの支援は行われず、国立墓地への埋葬も見送られた。元大統領の国葬が見送られたのは、今回が初めてである。また、青瓦台は、葬儀に弔花や弔問の計画はないと明らかにした。これは、民主化運動弾圧に対して、最後まで反省の意を示さなかった影響が強いと思われる[34]

経済の建て直し

全斗煥が大統領に就任して第一に目標としたのは、漢江の奇跡以来の経済成長の夢の再来だった。就任当時、経済成長率はマイナス4.8%、物価上昇率は42.3%、44億ドルの貿易赤字を抱えていた。経済成長をなくして国は成立しないと考えた全斗煥は、執務の合間に経済学博士財界実業家などを呼び、大幅に時間を割いて経済の勉強を開始した。この際、「国民総生産600億ドルを目指し、日本から学んで、日本に追いつこう」をキャッチフレーズとした。

経済政策は朴正煕時代に作られた経済企画院ではなく、青瓦台の経済首席に任せ、自らが事実上経済政策の主導権を握った。

この結果、1987年の経済成長率は12.8%、物価上昇率0.5%、貿易黒字は114億ドル、国民一人当たりGNPは3098ドル、国民総生産は1284億ドルと、主要な経済指数のほとんどを上向かせることに成功した。


  1. ^ 이정훈 (2013年8月19日). ““우리는 세상과 싸울 힘도 의지도 없다””. 신동아. 2021年11月23日閲覧。
  2. ^ a b 김동호 (2021年11月23日). “전두환 전 대통령 연희동 자택서 사망” (朝鮮語). 연합뉴스. 2021年11月23日閲覧。
  3. ^ a b 張甲済『別冊宝島89 軍部!』 黄民基訳、JICC出版局、1989年、181頁
  4. ^ 英語版 en:9th Infantry Division (Republic of Korea)。猛虎師団、青龍師団などと共にビンディン省等攻撃と大量虐殺を行ったことで有名。
  5. ^ a b 池東旭『韓国大統領列伝』中公新書、2002年154頁。
  6. ^ ラングーンで爆弾テロ韓国閣僚ら犠牲 - NHK放送史
  7. ^ 韓国の全斗煥大統領が国賓として来日 - NHK放送史
  8. ^ “全斗煥元大統領、訪日前に日本に圧力…天皇、初めて過去の歴史に遺憾表明”. 中央日報. (2015年3月31日). http://japanese.joins.com/article/296/198296.html 2019年10月6日閲覧。 
  9. ^ “中曽根氏、中韓を仲介 外交文書で判明「希望伝えてと」”. 朝日新聞. (2017年12月26日). https://www.asahi.com/articles/ASKDN2G9XKDNUHBI002.html 2017年12月27日閲覧。 
  10. ^ a b “日朝貿易へ「用意ある」 中曽根首相、中国に提起 韓国の国交樹立要望伝達 86年会談、外交文書”. 日本経済新聞. (2017年12月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24847300Q7A221C1EAF000/ 2017年12月20日閲覧。 
  11. ^ 特別談話
  12. ^ MBCニュースデスク(朝鮮語)(1988年11月23日)
  13. ^ KBSニュース9(朝鮮語)(1995年12月3日)
  14. ^ MBCニュースデスク(朝鮮語)(1995年12月3日)
  15. ^ KBSニュース9(朝鮮語)(1996年8月26日)
  16. ^ MBCニュースデスク(朝鮮語)(1996年8月26日)
  17. ^ KBSニュース9(朝鮮語)(1997年12月22日)
  18. ^ MBCニュースデスク(朝鮮語)(1997年12月22日)
  19. ^ なお全斗煥は、全財産は29万ウォンしかないと主張している。
  20. ^ 全斗煥元大統領がアルツハイマー病で裁判に出廷できず 夫人が明らかに”. 産経新聞 (2018年8月27日). 2018年8月27日閲覧。
  21. ^ “社説 全斗煥氏はこれ以上遅れないよう光州の英霊の前にひざまずけ”. ハンギョレ. (2018年8月28日). http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/31473.html 2018年8月29日閲覧。 
  22. ^ “팩트체크 재판 불출석 전두환, '알츠하이머 투병' 이후 행적 어땠나(ファクトチェック 裁判欠席全斗煥、「アルツハイマー病闘病」以後の行跡どうだったか)”. 聯合ニュース. (2018年8月28日). https://news.v.daum.net/v/20180828174300855 2018年8月29日閲覧。 
  23. ^ “'알츠하이머 불출석' 전두환에게 왜 분노하나(「アルツハイマーで欠席」全斗煥になぜ怒りしかないか)”. 世界日報. (2018年8月28日). https://news.v.daum.net/v/20180828071021257 2018年8月29日閲覧。 
  24. ^ “「アルツハイマーで裁判に行けない」とした全斗煥氏、ゴルフはしっかり打っていた”. ハンギョレ. (2019年1月16日). http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32584.html 2019年1月17日閲覧。 
  25. ^ 全斗煥氏回顧録が出版・販売禁止 韓国・光州事件の映画好調 ”. 千葉日報 (2017年8月19日). 2019年3月11日閲覧。
  26. ^ 韓国の全斗煥氏が光州地裁に出廷”. 産経新聞 (2019年3月11日). 2019年3月11日閲覧。
  27. ^ “'골프, 12·12 오찬' 전두환 재판 불출석 허가 놓고 법정공방(「ゴルフ、12・12午餐」全斗煥裁判欠席許可めぐり法廷攻防)”. 聯合ニュース. (2019年12月16日). https://www.yna.co.kr/view/AKR20191216102151054?input=1195m 2019年12月17日閲覧。 
  28. ^ “全斗煥元大統領に有罪判決 光州事件めぐり名誉毀損―韓国”. 時事通信社. (2020年11月30日). https://www.jiji.com/sp/article?k=2020113000800&g=int 2020年11月30日閲覧。 
  29. ^ KBSニュース9(朝鮮語)(2021年11月23日)
  30. ^ MBCニュースデスク(朝鮮語)(2021年11月23日)
  31. ^ SBS8ニュース(朝鮮語)(2021年11月23日)
  32. ^ “韓国の全斗煥元大統領が死去 90歳、クーデターで実権”. 日本経済新聞. (2021年11月23日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM230NU0T21C21A1000000/ 
  33. ^ 【政界地獄耳】韓国元大統領・全斗煥死去 光州事件の真実、明かされぬまま”. 日刊スポーツ (2021年11月25日). 2021年11月25日閲覧。
  34. ^ “全斗煥氏死去 国葬も国立墓地埋葬もなし=光州事件などで反省示さず”. 聯合ニュース. (2021年11月23日). https://jp.yna.co.kr/view/AJP20211123004300882 2022年1月5日閲覧。 
  35. ^ 韓国併合
  36. ^ http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/18/2017011801825.html
  37. ^ a b 韓国元大統領「昭和天皇」に遺憾と反省求める…“植民地支配”「最大限強い言葉で反省を」 韓国外交文書で発覚 産経新聞(2015.3.30)web魚拓[リンク切れ]
  38. ^ a b http://ironna.jp/article/2232
  39. ^ 古田博司『朝鮮民族を読み解く 北と南に共通するもの』筑摩書房、1995年]
  40. ^ 全斗煥氏「朴槿恵氏に大統領職は困難と判断」=回顧録で語る - 聯合ニュース、2017年3月30日
  41. ^ 【写真】市民の殴打で破損した「全斗煥の恥辱の銅像」”. 中央日報 (2020年11月19日). 2020年11月19日閲覧。
  42. ^ 全斗煥元韓国大統領の銅像の首切断した50代、現行犯逮捕”. 中央日報 (2020年11月19日). 2020年11月19日閲覧。
  43. ^ 今日の歴史(3月20日) 聯合ニュース 2009/03/20


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