エーシー‐ディーシー【AC/DC】
読み方:えーしーでぃーしー
ACDC
分子式: | C37H41NO14 |
その他の名称: | (2S)-1,2,3,4-Tetrahydro-2,5,12-trihydroxy-2-(2-hydroxy-1-oxoethyl)-4α-[[3-[[[(4,4-dimethyl-6-oxo-1-cyclohexene-1-yl)methoxy]carbonyl]amino]-2,3,6-trideoxy-α-L-lyxo-hexopyranosyl]oxy]-7-methoxynaphthacene-6,11-dione、ACDC |
体系名: | (2S)-1,2,3,4-テトラヒドロ-2,5,12-トリヒドロキシ-2-(2-ヒドロキシ-1-オキソエチル)-4α-[[3-[[[(4,4-ジメチル-6-オキソ-1-シクロヘキセン-1-イル)メトキシ]カルボニル]アミノ]-2,3,6-トリデオキシ-α-L-lyxo-ヘキソピラノシル]オキシ]-7-メトキシナフタセン-6,11-ジオン |
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 18:08 UTC 版)
AC/DC(エーシー・ディーシー)は、オーストラリア出身のロックバンド。スコットランド人のアンガス、マルコムのヤング兄弟を中心に1973年、シドニーにて結成。同国を代表するグループとして世界的知名度を獲得し、現在も世界屈指の人気を誇っている。1980年発売の『バック・イン・ブラック』は5000万枚以上の売り上げを記録し、世界史上3番目に売れたアルバムである。2003年『ロックの殿堂』入り[7]。ローリング・ストーン誌選定「歴史上最も偉大な100組」第72位。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」6位[8]。 全てのオリジナル・アルバムがマルチ・ミリオン・セラー(200万枚以上の売り上げ)を達成している。全世界累計(レコードも含む)アルバムセールスは世界史上10位タイの2億4000万枚以上を記録しており、70年代結成のロックバンドでは最も多い売り上げである[9][10]。また、全米ではロックバンドとしてのアメリカ音楽史上5位となる、7500万枚以上のセールスを記録している。
- ^ Petridis, Alexis (2008年10月27日). “Things really must be bad - AC/DC are No 1 again”. The Guardian. Guardian News & Media. 2023年4月8日閲覧。
- ^ Daniels, Neil (2013). AC/DC - The Early Years & Bon Scott. London: John Blake Publishing. p. 104. ISBN 978-1-786-06153-9
- ^ Erlewine, Stephen Thomas. “AC/DC Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. RhythmOne. 2020年11月17日閲覧。
- ^ Jonze, Tim (2009年4月15日). “A handy guide to heavy metal”. The Guardian. Guardian News & Media. 2023年4月8日閲覧。
- ^ McParland, Robert (2018). Myth and Magic in Heavy Metal Music. Jefferson, North Carolina: McFarland. pp. 57-58. ISBN 978-1-476-67335-6
- ^ Daniels, Neil (2013). AC/DC - The Early Years & Bon Scott. London: John Blake Publishing. p. 148. ISBN 978-1-786-06153-9
- ^ “ロックの殿堂入り2003〜ザ・クラッシュ/エルヴィス・コステロほか”. TAP the POP (2016年8月24日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ St, 24/7 Wall. “The 100 most popular rock bands of all time”. Business Insider. 2019年4月12日閲覧。
- ^ “AC/DC: Rock's 'kick in the guts'” (英語). (2014年11月6日) 2019年2月1日閲覧。
- ^ “‘AC/DC’s music is the best antidepressant there is’” (英語). The Irish Times. 2019年2月1日閲覧。
- ^ “Acca Dacca Rocks - Australia’s International AC/DC Show”. accadaccarocks.com.au. 2020年11月17日閲覧。
- ^ “The Greatest Metal Bands of All Time”. MTV. 2008年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月2日閲覧。
- ^ Dave Evans - The Official Site - The History
- ^ Echo of Eighties as AC/DC turn up the amps again Times Online
- ^ “Top 50 Global Best Selling Albums for 2008 (Physical and digital album formats included)” (PDF). IFPI. 2009年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月17日閲覧。
- ^ AC/DCのドラマー訴追=男性2人の殺人依頼か-NZ 時事ドットコム 2014年11月6日
- ^ AC/DC、グラミーのドラムはクリス・スレイド? | AC/DC | BARKS音楽ニュース
- ^ AC/DC、5月からの世界ツアーに前メンバーのクリス・スレイドが参加することを発表 (2015/02/16) | 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト
- ^ “AC/DCから、嬉しい知らせと悲しい知らせ”. BARKS (2014年9月24日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ AC/DCの代替ヴォーカルにアクセル・ローズを迎えてツアーを再開することが正式決定 - NME JAPAN
- ^ AC/DC、アクセル・ローズのツアー参加を正式発表 - BARKS
- ^ AC/DCのブライアン・ジョンソン、半年以内のライヴ復帰の可能性があることが明らかに - BARKS
- ^ “AC/DC、ブライアン・ジョンソンが声明を発表”. BARKS (2016年4月20日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ “AC/DCのブライアン・ジョンソン、レコーディングした新曲の音源が公開に”. NME JAPAN (2016年5月18日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ AC/DCのベーシストのクリフ・ウィリアムズ、現在のツアーを最後に引退を宣言 | NME Japan
- ^ “オジー、ヴァン・ヘイレンら、マルコム・ヤングを追悼”. BARKS (2017年11月19日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ AC/DC、ブライアン・ジョンソンとフィル・ラッドの復帰を正式に告知 -BARKS
- ^ ブライアン・ジョンソン、リハーサル1曲目で自信を取り戻す -BARKS
- ^ AC/DCのクリフ・ウィリアムズ、4年前引退を決意したのは健康上の問題が原因 -BARKS
- ^ acdcのAC/DCの2020年10月7日 午後11:00のツイートのツイート- X(旧Twitter)
- ^ AC/DC、7年ぶりにライヴ・パフォーマンス -BARKS
- ^ AC/DC ツアー開催を正式発表 クリフ・ウィリアムズとフィル・ラッドは不参加-amass
- ^ マーティ・フリードマンが語る日本の音楽「メロディ最優先」 TBSラジオ 2019年6月24日 2021年10月10日 閲覧
- ^ 音楽サイト BARKS - AC/DC AC/DC、豪メルボルン市のストリート名に (日本語)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “Gold & Platinum” (英語). RIAA. 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “BRIT Certified” (英語). BPI. 2021年8月16日閲覧。
- ^ “AC/DC、来日に花を添える第52回グラミー賞受賞”. BARKS (2010年2月2日). 2017年11月19日閲覧。
- ^ “AC/DC | Artist”. www.grammy.com. Recording Academy. 2020年11月17日閲覧。
整流器
(acdc から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/29 04:25 UTC 版)
整流器(せいりゅうき、英語:rectifier)は、電流を一方向にだけ流す(整流)作用を有する素子[1][2]。交流を直流に変換する素子の総称であり、実際の素子としては、陰極(カソード)と陽極(アノード)の2端子、あるいは、さらに制御端子を加えた3端子のものがある[1]。
- ^ a b 電気用語辞典編集委員会編 『新版 電気用語辞典』 コロナ社、1982年 「整流」「整流器」「整流素子」
- ^ 岡村総吾監訳 『IEEE電気・電子用語辞典』 丸善、1989年 「整流」「整流器」「整流素子」
- ^ a b 堀井武夫 『電気機器概論』コロナ社〈電子通信大学講座〉、1963年8月30日。
- ^ 宮入庄太 「4.整流回路」『大学講義 パワーエレクトロニクス』 丸善、1974年
- ^ 佐藤守男 「第3章 ソフト同期整流型スイッチング電源…16.5V3A」『トランジスタ技術SPECIAL No.57』 pp.47-49、CQ出版社、1997年
- ^ Lander, Cyril W. (1993). “2. Rectifying Circuits” (英語). Power electronics (3rd ed.). London: McGraw-Hill. ISBN 978-0-07-707714-3
- ^ 電気主任技術者国家試験問題平成16年度第3種
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/22 13:48 UTC 版)
「ラリー・ヴァン・クリート」の記事における「AC/DC」の解説
ヴァン・クリートは4ヶ月バンドに留まったが、1974年2月には脱退し、ベースはニール・スミス(Neil Smith)に交代した。その後数ヶ月にわたってAC/DCは何人ものベーシストを雇い、4月からはロブ・ベイリーがメンバーとなるが、1975年1月にはベイリーが解雇されてしまい、直後にはヴァン・クリートが復帰して穴を埋めることも何回かあった。やがて、適任者が見つかるまではマルコム・ヤングか、ヤング兄弟の兄ジョージ・ヤングがベースを担当することが決まる。適任者として、新たに3月からメンバーとなったのはマーク・エヴァンスであった。 ちなみに、ヴァン・クリートは、AC/DCの歴史において、唯一のアメリカ合衆国生まれのメンバーである。
※この「AC/DC」の解説は、「ラリー・ヴァン・クリート」の解説の一部です。
「AC/DC」を含む「ラリー・ヴァン・クリート」の記事については、「ラリー・ヴァン・クリート」の概要を参照ください。
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 02:49 UTC 版)
マルコムとアンガスは、1973年11月にAC/DCを結成した。当時マルコムは20歳、アンガスは18歳であった。1974年に、彼らは初代ヴォーカリストのデイヴ・エヴァンスと共に世界ツアーを行う。 1976年に、AC/DCの活動拠点をイギリスに移し、世界ツアーおよびアルバム制作の過密なスケジュールをこなし始めた。しかし1980年、ヴォーカリストのボン・スコットが死亡、彼らは後継のヴォーカリストとしてブライアン・ジョンソンを迎える。ブライアンを加えて制作されたアルバム『バック・イン・ブラック』は世界中で爆発的なヒットとなった。 マルコムはアルコール依存症のため、1988年のツアーには不参加であった。しかしながらこの事実は隠され、公式には息子の病気のためツアーに参加しなかったとされた(息子は実際に病気であった)。マルコムはその後アルコール依存症を克服し、バンドに復帰した。マルコムの不在時、彼の甥であるスティーヴィーが後任としてバンドに参加した。 2014年4月、AC/DCはマルコムが休養すると告知。後に、今後バンドへ復帰することはないと発表した。ほどなくしてマルコムが認知症を患っていると報道され、家族もそれを認めた。
※この「AC/DC」の解説は、「マルコム・ヤング」の解説の一部です。
「AC/DC」を含む「マルコム・ヤング」の記事については、「マルコム・ヤング」の概要を参照ください。
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 01:50 UTC 版)
「クリフ・ウィリアムズ」の記事における「AC/DC」の解説
AC/DCの初代ベーシストだったマーク・エヴァンス(Mark Evans) は、1977年のスタジオ・アルバム『ロック魂』のレコーディング直後に解雇され、ウィリアムズは新しいベーシストとして採用された。ウィリアムズは、アルバム『ロック魂』を受けたレット・ゼア・ビー・ロック・ツアーからAC/DCのメンバーとして登場し、スタジオ・アルバムでは1978年の『パワーエイジ』でデビューした。ウィリアムズは、リズム・ギターをフォローする安定したコード弾きによるベース・ラインを確実に刻みながら、リズム・ギターのマルコム・ヤングとともにバッキング・ヴォーカルも務めていた。 2016年7月、相次ぐメンバー交代から活動意欲を無くし、また自身の健康状態も思わしくなく、ツアー終了次第バンドを離れて音楽界からも引退することを表明した。 しかし、2018年、ブライアン・ジョンソン、フィル・ラッドがAC/DCに復帰する事を受け引退を撤回、ジョンソン、ラッドと共にバンド復帰を果たした。
※この「AC/DC」の解説は、「クリフ・ウィリアムズ」の解説の一部です。
「AC/DC」を含む「クリフ・ウィリアムズ」の記事については、「クリフ・ウィリアムズ」の概要を参照ください。
AC/DC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 19:10 UTC 版)
エヴァンスは、アンガス・ヤング、マルコム・ヤング、コリン・バージェス(Colin Burgess)、ラリー・ヴァン・クリート(Larry Van Kriedt)とともに、AC/DCの結成メンバーの一人であった。エヴァンスは1年ほどメンバーであったが、1974年9月ころ、ツアー中の軋轢が高じてマネージャーと殴り合う事態に至り、バンドからの離脱が避けられなくなってしまった。このため、エヴァンスに代わり、当時バンドの器材車のドライバーだったボン・スコットが後任のヴォーカルとなった。 エヴァンスは、AC/DC在籍時には、オーストラリアとニュージーランドでリリースされたシングル盤1枚2曲「Can I Sit Next to You Girl / Rocking In The Parlour」の録音を残している。「Can I Sit Next to You Girl」については、プロモーション・ビデオも作成された。
※この「AC/DC」の解説は、「デイヴ・エヴァンス」の解説の一部です。
「AC/DC」を含む「デイヴ・エヴァンス」の記事については、「デイヴ・エヴァンス」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- acdcのページへのリンク