34歳時とは? わかりやすく解説

3-4歳時(1978-1979年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 09:43 UTC 版)

アグネスレディー」の記事における「3-4歳時(1978-1979年)」の解説

1978年10月京都開催新馬戦久保敏文鞍上デビュー初戦追い込み届かず2着に敗れたが、2戦目で初勝利を挙げる。3戦目から騎手河内洋替わり、好位から抜け出して連勝した河内当時5年目若手騎手であり、有力馬のベテランから若手への乗り替わりは、当時珍しい例であった渡辺初戦敗戦に不満を覚えたことが原因ともされている。 翌1979年、クラシックを目標1月紅梅賞から始動したものの、同時期に替わり上手く行かず食が細ったこともあり、緒戦から僅差ながら3連敗喫する。クラシック初戦桜花賞では2番人気支持されたが、苦手の重馬場で6着に終わった。 しかし次走の東京4歳牝馬特別(オークストライアル)でシルクスキーの2着と好走迎えた優駿牝馬オークス)ではシルクスキーの骨折戦線離脱により、桜花賞優勝ホースメンテスコ等を抑えて1番人気に支持された。レースでは道中5、6番手を進むと、直線半ば抜け出し、2着ナカミサファイアに2馬身半の差を付けて優勝重賞初制覇をクラシックで果たした河内にとってもデビュー6年目初めての八大競走制覇であり、1976年第37回競走2番人気推されながら6着に終わっていた全姉・クインリマンドの雪辱ともなった。 夏を休養充て、秋はエリザベス女王杯目標据えた神戸新聞杯京都牝馬特別それぞれ3、5着として女王杯を迎える。当日は1番人気に支持されると、苦手とする不良馬場の中を直線先頭立った。しかしゴール手前ミスカブラヤ一気交わされ、同馬から 1馬身半差の2着に終わった年末阪神牝馬特別も5着と精彩欠いたが、オークス優勝評価され、翌1月には当年の最優秀4歳牝馬選出された。

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3-4歳時(1953-1954年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 06:48 UTC 版)

ダイナナホウシユウ」の記事における「3-4歳時(1953-1954年)」の解説

1953年8月小倉開催デビュー飯原農場出身である石崎修を鞍上に、初戦こそ2着とクビ差の辛勝だったものの、以後11月京都出走終えるまでレコード勝ち1回を含む無傷の8連勝記録内容はいずれスタート先頭立ってからの逃げ切り勝ちというものだった翌年からタマサンは「ダイナナホウシユウ」と改名され騎手所属厩舎主戦騎手上田三千夫替わることになった石崎修 左から上田武司上田清次郎上田三千夫 4歳となった1954年3月復帰。2着に大差10馬身以上)をつけて逃げ切り勝ちを収めこのころより「褐色の弾丸列車」という異名冠されはじめる。4歳クラシック初戦皐月賞見据えて東上戦でも大差勝ち収めた。なお、この2戦の公式記録は「大差」であるが、山野浩一著『栄光名馬によればそれぞれの着差15馬身24馬身とされる4月18日1010勝の成績皐月賞迎えたここにおいて3歳王者戦・朝日三歳ステークス前哨戦スプリングステークス含め1714勝、目下11連勝中のタカオーとの初対戦となる。前夜から降雨があり当日馬場状態不良となったなか、タカオー1番人気、ダイナナホウシユウ2番人気の順となったが、両馬とも重馬場は苦にしないとみられ単勝売上票数は4799対4668と僅差だった。スタート切られるダイナナホウシユウが常の通り先頭奪い道中後続引き離して逃げを打つ第3コーナーから最終コーナーにかけてその差は一時詰まったが、最後直線に入るとダイナナホウシユウは再び後続突き放し、2着オーセイに8馬身差をつけての優勝果たした道中足下悪さ何度もバランス崩した(同馬に騎乗した高橋英夫の言)というタカオーは4着に敗れて連勝11止めダイナナホウシユウがこれに並ぶ無敗11連勝達成した。これは当時国営競馬前身日本競馬会時代含めると、クリフジトサミドリウイザートに並ぶ最多連勝タイ記録であった5月5日には東京優駿日本ダービー)へのトライアル競走NHK杯出走。1番人気に推されダイナナホウシュウ対しタカオー人気落として3番人気となったが、ダイナナホウシユウスタート出遅れ逃げることができず、終始好位でレース進めたタカオー勝利ダイナナホウシユウは2着ミネマサにも半馬身遅れての3着と敗れタカオー続き連勝11止めた5月23日日本ダービー迎える。前走で敗れたものの、ダイナナホウシユウは49.5パーセントという支持率で1番人気に推されタカオー2番人気でこれに続いた馬場状態稍重だったが、前座競走では良馬場よりも4~5秒のタイムがかかる荒れた状態であった当時バリヤーという遮蔽テープ後ろに全馬が整列しテープ跳ねあがると同時にスタートという方式がとられていた。本競走スタート切られ瞬間ダイナナホウシユウの右隣にいたブリンクヒルが、同じく左隣にいたホマレオーと接触するほど急激に横突し、やや立ち後れ気味だったダイナナホウシュウ左右から挟まれる形となり、大きく出遅れた。道中は各馬が状態の悪い馬場内側を避け、外めを走っていくなか、上田ダイナナホウシユウ荒れた内側通って先団に進出していき、最終コーナーから先頭立った最後直線では逃げ粘り図ったが、半ば失速してタカオーかわされ、さらに同馬をかわして優勝したゴールデンウエーブから約5馬身差の4着と敗れたタカオーは2着であったその後休養入り9月復帰して緒戦オープン競走で勝したが、続く京都盃オープン競走の2戦は、いずれも日本ダービー3着のミネマサに敗れた。しかし、クラシック三冠最終戦菊花賞への前哨戦として臨んだ神戸盃では、64kgの斤量負いながらも逃げ切りでの勝利を挙げ、同23日菊花賞迎えた当日はミネマサが1番人となったが、レースではダイナナホウシユウ後続大きく離して逃げからそのままゴールまで押し切り、ミネマサに6馬身差をつけてクラシック二冠制した。この競走で4着となったタカオーとは、これが最後対戦となった年末にはオープン競走制し当年出走終える。当年啓衆社はじめた中央競馬の年度表彰において、ダイナナホウシユウ最良4歳牡馬選出された。また、ダイナナホウシユウタカオー活躍により、飯原農場生産者成績第1位となっている。

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3~4歳時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:23 UTC 版)

カツラギエース」の記事における「3~4歳時」の解説

脚が長くひょろっとして見栄えのしない馬体で、入厩後ダート調教での動き悪かったため、やはり関係者期待高くなかった。しかし9月19日阪神1200mでデビューするや、14頭立て7番人気ながら、厩舎の準主戦であった崎山博樹鞍上に8馬身差で圧勝。続く特別(400下)2着、りんどう特別(400下)1着、3歳ステークス3着とまずまずの成績終えた4歳になった1983年はクラシックを見据えて挑んだ初戦選んだ2月京都4歳ステークス13頭立ての殿負け喫して心配されるが、続く3月19日春蘭賞(800下)に勝ち皐月賞駒を進めた皐月賞7番人気果敢に先行したが、苦手の不良馬場に脚をとられてミスターシービー11着に敗退。次走は東京馬場慣れ目的もあってNHK杯出走し、9番人気の低人であったが、大外ながら強い勝ち方をして重賞初制覇。そして日本ダービーでは3番人気支持されるが、またミスターシービーの6着に敗れたダービー後すぐに休養には入らず6月中京4歳特別に出走し皐月賞では殿負け喫した後のマイル王・ニホンピロウイナーの2着で春を終えた。 夏を越した秋にようやく本格化し、初戦神戸新聞杯こそスズカコバンとは僅差の2着に敗れたが、厩舎主戦である西浦勝一乗り替わった京都新聞杯は、逃げリードホーユー直線捕まえると6馬身差の圧勝で、しかもミスターシービーを4着に沈めた。いよいよ本格化期待され本番菊花賞では2番人気支持された。果敢に先行したものの、距離不適だったのは否めず、直線垂れて21頭立て20着と惨敗喫したちなみにこのレースミスターシービー勝ってシンザン以来19年ぶりの三冠馬達成している。カツラギエースデビューから神戸新聞杯まで主戦であった崎山同年調教師試験合格し1984年2月引退して調教師転向した

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3・4歳時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:47 UTC 版)

オーロマイスター」の記事における「3・4歳時」の解説

年明けはジュニアカップから始動デビュー以来3戦連続1番人気となるも勝ちきれず2着。3月にはGIIスプリングステークス鞍上田中勝春挑戦する16着に敗れたその後鞍上を再び吉田豊戻し条件戦を走るも、なかなか勝利をあげることができなかった。 10月デビュー戦以来となる東京競馬場3歳500下のレース快勝し、続く昇級戦でも2着となったが、その後は4戦連続の1番人気に推されたが勝利を挙げることができなかったため、陣営初めダート競走出走させることとなる。 前走から鞍上内田博幸とともにダートとなったレースでは、好位からの競馬で2着に4馬身をつける圧勝福島猪苗代特別も快勝した。夏には札幌遠征し昇級戦報知大雪ハンデキャップ格上挑戦となったしらかばステークス続けて鞍上替わる中、2着に入っている。鞍上内田博幸戻ったながつきステークス勝利を挙げダート転向一度連対を外すことなくオープン入り果たした11月トパーズステークスでは3番人気推されたが、7着に終わった鞍上を再び吉田豊戻して臨んだ続く師走ステークスではクリールパッションの2着と好走した。

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