3~4歳春
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 00:06 UTC 版)
兄と同じ加藤朝治郎厩舎所属となったプレストウコウは、1976年9月に中山でデビュー。デビュー戦は6着だったが、3戦目となる10月の未勝利戦で初勝利をあげ、同年12月の楓賞(300万下)、ひいらぎ賞(600万下)と連勝し、「半兄のノボルトウコウより走る」という評判を得た。 4歳になるとプレストウコウは京成杯、東京4歳ステークス、弥生賞を続けて3着した後、クラシック初戦の皐月賞でハードバージの13着に敗れた。この頃、プレストウコウはコズミ(筋肉の硬化)に見舞われ、体調は思わしくなかった。続くNHK杯を勝ち重賞初勝利を挙げたが、騎乗していた岡部幸雄はレース後、「まったく自信がなかった。コズミもひどかったし…」とコメントした。 その後、プレストウコウは日本ダービーではラッキールーラの7着、当時「残念ダービー」と言われていた日本短波賞ではマルゼンスキーに7馬身差の2着に敗れたのち休養に入った。
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