崎山博樹
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崎山博樹 | |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | 1950年12月14日 |
死没 | 2018年11月29日(67歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | 栗東・松元正雄(1971年 - 1979年) 栗東・中村武志(1979年 - 1981年) 栗東・中村好夫(1981年) 栗東・土門一美(1981年 - 引退) |
初免許年 | 1971年3月1日 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1984年2月29日 1984年2月19日(最終騎乗) |
重賞勝利 | 2勝 |
通算勝利 | 993戦76勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1984年(1986年開業) |
調教師引退日 | 2018年11月29日(死去) |
重賞勝利 | 13勝 |
通算勝利 | 463勝 |
経歴 | |
所属 | 栗東T.C. |
崎山 博樹(さきやま ひろき、1950年12月14日 - 2018年11月29日)は、鹿児島県出身の元騎手・元調教師。
なお、戸籍上の表記は「﨑」である。
経歴・人物
親戚が馬主で競走馬の生産牧場を経営していたため、馬に親しみを持つようになり、騎手を志すようになるが、体重の増加から一度は断念。
中学卒業後は乗馬指導員として日本中央競馬会に職員として就職したが、騎手の夢は諦められず、競馬会を退職して母方の祖母の弟に当たる松元正雄調教師に弟子入りする。その後は減量に成功し、馬事公苑短期養成課程に進んだ。
1971年に栗東・松元正雄厩舎からデビューし、3月21日の阪神第5競走5歳以上200万下・コールハイネ(11頭中11着)で初騎乗[1]を果たすと、7月31日の小倉第6競走4歳未勝利・オグラヒリュウで初勝利[2]を挙げる。12月11日の中京、翌12日の阪神で勝ち星を挙げて初の2日連続勝利を記録したが[3]、1年目の同年は3勝[4]に終わった。
2年目の1972年には初の2桁となる11勝[4]をマークし、3年目の1973年には11月24日の京都で初の1日2勝[5]を記録するなど21勝[4]を挙げたが、1973年の21勝が自己最多で最後の2桁勝利となった[4]。
1974年からは6勝→7勝→3勝[4]と低迷し、1977年には0勝[4]に終わり、1978年も1勝[4]しか挙げれず、1979年には中村武志厩舎に移籍。
1981年には1月に中村武が競馬会より調教停止処分を受けたため[6]中村好夫厩舎に所属し、不良馬場のサンケイ大阪杯を転厩初戦のオーバーレインボーでカツアール・メジロファントム・ノースガスト・カツラノハイセイコ・グレートタイタンら強豪を抑えて2着に入り、逃げ切ったサンシードールとのワンツーで枠連5140円の高配当になった[7]。その後は同年6月に開業した[8]土門一美厩舎に移籍し、土門の初出走となった同6日の阪神第4競走4歳未勝利・ホースメンワイルドで初勝利をもたらしたほか、翌7日には重賞初出走となった宝塚記念・オーバーレインボー(13頭中8着)にも騎乗[9]。オーバーレインボーでは高松宮杯でオペックホース・メジロファントムを抑えてハギノトップレディの3着[10]に入り、7月には金鯱賞を制して土門と共に重賞初勝利[11] [12]を挙げるが、1981年は僅か3勝[4]であった。
1982年からはカツラギエースの主戦騎手を務め、1983年のNHK杯では4コーナーで一団の混戦の中から力強い足取りでいち早く抜け出し、9番人気の大外枠[13]ながら横一線の2着争いを尻目に楽勝[14]。東京優駿では勝負所ミスターシービーが外に出そうとして他馬に接触した煽りを受けて外に吹き飛ばされ、直線では大きく内に切れ込みながら他馬を飲みこんだミスターシービーの後ろ、さらに大外から伸びたが6着に終わった[15]。人気に推された神戸新聞杯でスズカコバンのアタマ差2着[16]に敗れて西浦勝一に交代したため、カツラギエースの騎乗は神戸新聞杯が最後となり、NHK杯が最後の重賞勝利となった[17] [12]。
1983年には鹿児島生まれの九州産馬ゲキソウで新馬→フェニックス賞を連勝し、小倉3歳S4着、最後の重賞騎乗[18]となったデイリー杯3歳Sではロングハヤブサの4着に入った[19]。
1984年には1月5日の京都第9競走福寿草特別ではホワイトフォンテン産駒の芦毛オサイチフォンテンでワカオライデンに勝利し[20]、2月に調教師試験に合格したことに伴い、同19日の京都第2競走4歳新馬・ワザリングハイツで勝利したのを最後に現役を引退[18]。
1986年に厩舎を開業し、3月2日の阪神第9競走洲本特別にツカサヒリュウ(2着)・キンコースター(11着)を管理馬として初出走させる。4月13日の阪神第3競走・ノースゴッドで厩舎初勝利を挙げる。
1988年の日経新春杯・スピードヒーローで厩舎として初の重賞勝利を挙げる。
2007年4月28日には新潟初日第1競走で管理馬のウエスタンダンサーが勝ち、調教師としてJRA通算300勝を達成。
2008年にはマーメイドステークスてまトーホウシャインが48kgの最軽量を生かして12頭中12番人気で制し、重賞10勝目を挙げた。
2018年11月29日13時25分、病気のため、滋賀県栗東市の済生会滋賀県病院で死去[21]。67歳没。翌30日付で同厩舎の全管理馬39頭は田所秀孝厩舎に馬房臨時貸付の上、転厩となった[22]。
騎手成績
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 73 | 96 | 100 | 972 | .075 | .174 |
障害 | 3 | 6 | 9 | 21 | .143 | .286 |
計 | 76 | 99 | 106 | 993 | .077 | .176 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1971年3月2日 | - | コールハイネ | - | - | 11着 |
初勝利 | 1971年4月7日 | - | オグラヒリュウ | - | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1973年4月15日 | 小倉大賞典 | ミンドキング | 10頭 | 9 | 6着 |
重賞初勝利 | 1981年7月5日 | 金鯱賞 | オーバーレインボー | 22頭 | 1 | 1着 |
GI級初騎乗 | 1979年11月11日 | 菊花賞 | サチエノホープ | 18頭 | 14 | 12着 |
主な騎乗馬
- オーバーレインボー(1981年金鯱賞)
- カツラギエース(1983年NHK杯)
調教師成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1986年3月2日 | 5回阪神1日8R | 洲本特別 | ツカサヒリュウ | 14頭 | 3 | 2着 |
キンコースター | 5 | 11着 | |||||
初勝利 | 1986年4月13日 | 2回阪神8日3R | 4歳未勝利 | ノースゴッド | 9頭 | 4 | 1着 |
重賞初出走 | 1986年3月30日 | 2回阪神4日11R | 大阪杯 | スピードヒーロー | 10頭 | 2 | 4着 |
重賞初勝利 | 1988年1月24日 | 1回京都8日11R | 日経新春杯 | スピードヒーロー | 12頭 | 2 | 1着 |
GI初出走 | 1986年6月1日 | 3回阪神6日10R | 宝塚記念 | スピードヒーロー | 17頭 | 6 | 14着 |
主な管理馬
- スピードヒーロー(1988年日経新春杯)
- サザンビーナス(1988年函館3歳ステークス)
- ネオアイク(1992年・1993年タマツバキ記念)
- カリスマサンオペラ(2001年中山金杯)
- アクティブバイオ(2002年日経賞、2003年アルゼンチン共和国杯)
- トップコマンダー(2002年日経新春杯)
- ギャラントアロー(2003年スワンステークス、ファルコンステークス)
- トーホウシャイン(2008年マーメイドステークス)
- ウエスタンダンサー(2008年京阪杯)
- セカンドテーブル(2014年京王杯2歳ステークス)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
出典
- ^ “崎山博樹の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “崎山博樹の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “崎山博樹の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “崎山博樹”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “崎山博樹の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ 『優駿』1981年3月号、p.84
- ^ “サンケイ大阪杯|1981年4月4日”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ 『優駿』1985年1月号 福田喜久男「渋谷竜が撮る日本のホースマン25 ジャパンカップで大金星・土門一美調教師」、p.18
- ^ “土門一美の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “高松宮杯|1981年6月28日”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ 『優駿』1981年9月号、p.78
- ^ a b “崎山博樹の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “NHK杯|1983年5月8日”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ 東京スポーツ1983年5月9日「Mrシービー二冠当確 ヒロオで16着 吉永正快笑 TR組のダービー盗りは絶望!!」
- ^ “「ウマ娘」に実装されたカツラギエース!三冠馬との死闘と〝日本馬初〟を「東スポ」で振り返る|東スポnote”. note.tokyo-sports.co.jp. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “神戸新聞杯|1983年10月2日”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “カツラギエース (Katsuragi Ace)”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ a b “崎山博樹の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “ゲキソウ (Gekiso)”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ “オサイチフォンテン (Osaichi Fontaine)”. netkeiba.com. 2025年8月26日閲覧。
- ^ 崎山博樹調教師が死去 アクティブバイオなどで重賞13勝 - デイリースポーツ online 2018年11月29日
- ^ 崎山博樹調教師(栗東)の逝去に伴う管理馬の転厩について - 日本中央競馬会(プレスリリース)2018年11月29日
関連項目
固有名詞の分類
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