300SLとは? わかりやすく解説

メルセデス・ベンツ・300SL

(300SL から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 13:40 UTC 版)

メルセデス・ベンツ・SLクラス > メルセデス・ベンツ・300SL
メルセデス・ベンツ・300SL
ガルウィングクーペ(1955年)
ロードスター(1957年)
ガルウィングクーペ リア (1955年)
概要
製造国 ドイツ
販売期間 1954年 - 1963年
デザイン ルドルフ・ウーレンハウト
ボディ
乗車定員 2 名
ボディタイプ 2ドア クーペ
2ドア ロードスター
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン M198 2,996cc 直6 SOHC 筒内直噴
最高出力 215 PS / 5,800 rpm
最大トルク 28.0 kgm / 4,600 rpm
変速機 4速 MT
前:ダブルウィッシュボーン
後:スイングアクスル
前:ダブルウィッシュボーン
後:スイングアクスル
車両寸法
ホイールベース 2,400 mm
全長 4,520 mm(クーペ)
4,570 mm(ロードスター)
全幅 1,790 mm
全高 1,300 mm(クーペ)
1,265 mm(ロードスター)
車両重量 1,295 kg(クーペ)
1,235 kg(ロードスター)
その他
最高速度 260 km/h(クーペ)
225 km/h(ロードスター)
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メルセデス・ベンツ・300SLMercedes-Benz 300SL )は、ドイツ自動車メーカーダイムラー・ベンツ(現メルセデス・ベンツ・グループ)が開発・製造したスポーツカーである。同社の高級スポーツカー、SLクラスの初代モデルにあたる。

ガルウィングドアと世界初のガソリン直噴エンジンを特徴とする2シーター・クーペ1957年以降はオープンのロードスターに変更された。

概要

車名の「300」はエンジン排気量3リットル、「SL」はドイツ語「Sport Leicht」の略で軽量スポーツカーを意味する。ダイムラー・ベンツの社内コードはW198

当初はワークス・チーム用のプロトタイプレーシングカーとして開発されていた(社内コードはW194)。1952年の国際スポーツカーレースで収めた成功の中でも、「世界一過酷な公道レース」といわれたカレラ・パナメリカーナ・メヒコにおける勝利は、アメリカのスポーツカー愛好家たちに強い印象を与えた。

1954年ニューヨーク国際オートショーで発表された300SL(手前)と190SL(2台目)

300SLの市販予定はなかったが、ニューヨークで高級輸入車インポーターを経営するマックス・ホフマン (Max Hoffman) はアメリカ市場における需要を予想し、1000台の確定注文をもってダイムラー・ベンツ社を説得した[1]。そして1954年2月、ニューヨーク国際オートショーで市販モデルとなるW198がデビュー[2]。同時に廉価版となる190SL (R121) も発表されている。

インテリア

販売価格は6,820ドルと高額であるにもかかわらず人気車種となった。

1957年5月をもってクーペを生産終了し、ロードスターに一本化。1963年、後継となる230SLの登場に伴い販売を終了した。生産台数はクーペが1,400台、ロードスターが1,858台。廉価版の190SLは4,000ドル以下と比較的安価だったこともあり、生産台数は2万5881台に達した。

多くのドライバーが事故で死亡したため、“ウィドウ・メーカー”(未亡人製造機)という蔑称を付けられた事もあった。

なお、左ハンドル車のみの設定で右ハンドル車は存在しなかったが、アラブの石油王が大枚を叩いて右ハンドル車を特注で作製した。

その独特なドア機構をはじめ、世界初の技術を多数盛り込んだ300SLは、メルセデス・ベンツの歴史を語る上で外せないモデルである。現在でもコレクターを中心に高い人気を誇っており、価格は40万ドル(約4100万円)以上に達している。アメリカの自動車雑誌『スポーツカー・インターナショナル』誌は、300SLを「歴史上5位のスポーツカー」に認定した。

特徴

ガルウィングドア

ガルウィングドアを開放した300SL。サイドシルはアームレストの高さまである。

ドアはルーフ上にヒンジのある跳ね上げ式で、開放するとカモメの翼のような形状となることからガルウィングドアと名付けられた(市販車としては300SLが初採用)。

プロトタイプのシャーシは軽量化と強度確保を両立させる目的で、細い鋼管を組み合わせたマルチチューブラー・スペースフレームを採用した。ガルウィングドアを採用したのはデザイン目的ではなく、シャーシ構造上サイドメンバーが座席の脇を貫通するため、サイドシルが高くなりすぎて通常の横開きドアでは乗降が困難になったためである[3]。レース参戦時にクレームをつけられると、メルセデス・チーム監督のアルフレート・ノイバウアーは「ドアが横開きに限るとはどこにも書いていない」と主張して認められたという[4]。当初は開口部がサイドガラス辺りまでしかなく、サイドシルを大きく跨いで乗降していたが、1952年のル・マン24時間レースに出場した際、主催者から安全面のアドバイスを受けて開口部を拡げた[5]

この方式は同じシャーシ構造をもつ市販型300SLでも継承された。ステアリングは乗降時にひざにぶつからないよう、前方に倒れる可倒式とされた。

なお、当時の技術では窓の開閉ができないという欠点があり、室内はエンジンの発する熱が入り込んでかなり暑くなるという問題点があった。リアウインドウに排熱用の機構を備えているものの、あまり機能しなかったという。さらに当時はカーエアコンを自家用車に搭載するという思想もほとんどなかったため、真夏の運転は過酷を極めた。

性能優先のスポーツカーであり、乗降性や快適性を重要視した設計ではないが、スカートドレス姿の女性をエスコートする富裕層にとっては乗降性の悪さがネックとなった。後のロードスターモデルでは日常的な使用を考慮してフレームが再設計され、ドアの形状・開閉方向は一般的なものとなり、窓も開閉できるようになった。それでも鋼管スペースフレームゆえの開口部の狭さから、乗り降りには多少の慣れを要した。

直噴式エンジン

M198型エンジン。前面投影面積減少のため進行方向左側に傾けて搭載されている。

プロトタイプは300リムジン (W186) の3.0L直列6気筒SOHCエンジンを115 PSから171 PSにレースチューンし、左に50度傾けて設置した。市販モデルではソレックスキャブレターに換装し、ボッシュ製の機械式燃料噴射装置を採用、最高出力は当初の2倍近い215 PS / 5,800 rpm[6]SAE表示では240 PS[7])、最大トルクは28.0 kgm / 4600 rpmを発生した[6]。機械式燃料噴射装置およびガソリン直噴エンジンは市販車では初採用である。最高時速は260 km/hに達し、当時の市販車では最速を誇っていた。

燃料噴射装置の整備は、現在の電子式に比べて高度な技術が要求された。機械式は点火を止めても、エンジンが停止するまでガソリンを噴射し続けるため、残留したガソリンがシリンダー壁面のオイルを洗い流してしまうという問題点があった。加えて競技用の大型オイルクーラーを搭載していたため、残留ガソリンの蒸発効果が低下してオイルを洗い流すスピードが速まり、約1,600kmごとにオイル交換を要していたという。

クラッチペダルはとても重く、多くのドライバーが左脚のふくらはぎを痛めていたとされる。ロードスターモデルではペダルの踏力を軽減するため、ばねが組み込まれた。

バリエーション

300SLプロトタイプ (W194)

300SL"カレラ・パナメリカーナ・メヒコ"(1952年)

スポーツカーレース用ワークスマシン。シャーシやボディは新設計だが、エンジンや足回りは開発期間短縮のため300リムジン (W186) から流用した。「SL」は計画発表段階では「Super Leicht(超軽量)」を意味しており[8]、スペースフレームと軽量なアルミ製ボディにより車重を870 kgに抑えている。ボディラインは市販型よりも丸みを帯びており、フロントグリルは縦型グリルを採用し、レース参戦を記念して「パナメリカーナグリル」と名付けられ、そのグリルはAMGモデルの最強の証としてその後メルセデスAMG・GTなどに採用されている。

レース参戦と並行してスーパーチャージャー式エンジンやエアブレーキの搭載がテストされた。レース活動終了後の1953年には、トランスアクスルや燃料噴射エンジンのテストカーも製作されている。

300SLクーペ / ロードスター (W198)

300SLS

ガソリン直噴エンジンを搭載するロードバージョン。ボンネットとドア、トランクリッドを除いてスチール製ボディとなり、車両重量は大幅に増加した。フロントはフェイスリフトされ、ボディラインは抑揚のついたデザインとなり、ホイールハウス上のフィンと排熱用のエアベントが追加された。内装も顧客層にあわせて、高級感のある仕様に変更された。ロードスターにはオプションで着脱式のハードトップ・ルーフが用意されていた。

リアサスペンションはキャンバーの変化により突発的なアンダーステアを起こすことがあり、ロードスターモデルではスイングアクスルのピボット位置を下げ、マイルドな挙動を示すよう改良された。また、ロードスターでは燃料タンクが小型化され、トランクルームが拡大された。ホイールベースは変わらないが、全長はやや長くなっている。

クーペモデルとロードスターモデルとではフロントまわりのデザインが異なっており、クーペが丸形2灯式ヘッドランプなのに対しロードスターは異形縦型楕円2灯式ヘッドランプである。ただし、顧客の希望に応じて、ダイムラーベンツ本社が丸形と縦型のヘッドランプを取り替えた例も少なからずある[9]。日本において石原裕次郎の愛車として知られる個体は、ロードスタータイプのヘッドランプの付いたクーペである。

また、オープンスポーツモデルの300SLSも少数存在する。

190SL (R121)

190SL

外見は300SLと共通するシルエットでホイールベースも2,400mmと同一だが、中身は別物であり、W121系シャーシをベースとした設計にキャブレター式1.9L直列4気筒SOHCのM121エンジン (110 PS) を搭載する。300SLに比して格段に廉価なうえ、特殊設計だらけで運転も整備も制約の多かった300SLと違い、穏健・常識的な性能水準に抑えられて一般ユーザーにも扱いやすかったことから、商業的には大いに成功を収めた。ロードスターとして発売され、後にハードトップモデルが追加された。

300SL、190SLともにブレーキは前後とも当初はドラムブレーキであったが、1961年以降はディスクブレーキに変更されている。

力道山、石原、夏木陽介とともによく所有者として紹介される歌手の三橋美智也が所有していたのはこちらのモデルである。

なお、同車が絶版になって以降4気筒エンジン搭載のSLクラスとしてはその後2022年にメルセデスAMG・SL 43が発表されるまで待つこととなった。

レース歴

第二次世界大戦後レース活動を休止していたメルセデス・ベンツは、グランプリレースへの復帰を計画。その準備段階として300SLプロトタイプを製作し、1952年のみスポーツカーレースにワークス参戦した。エンジン出力は175PSしかなかったが、軽量で空気抵抗の少ないシャーシにより、フェラーリジャガーといった強敵を相手に、高速レースでも驚くべき実力をみせた。メカニズムの優れた信頼性と、鉄壁のサポート体制も成功の要因となった。

デビューレースのミッレミリアでは2位と4位を獲得。ベルンGPの前座レースで最初の勝利を得たが、名手ルドルフ・カラツィオラが負傷し、第一線から退くことになった。1952年のル・マン24時間レースでは首位のピエール・ルヴェータルボ)がゴール1時間前にリタイアしたことで、ヘルマン・ラング / フリッツ・リース組が総合優勝を果たした。地元ニュルブルクリンク25周年記念レースでの勝利を経て、メキシコで行われたカレラ・パナメリカーナ・メヒコにも遠征し、カール・クリンク / ハンス・クレンク組が優勝してワークス活動を締めくくった。

ハゲタカ衝突後の状況。ウィンドスクリーンは砕け、ハンス・クレンクは頭部を負傷した。

カレラ・パナメリカーナ・メヒコの有名なエピソードとして、優勝者のクリンク / クレンク組を襲ったハゲタカ衝突事故がある。峠道を200 km /hで走行中、道路脇から飛び立ったハゲタカの群れの一羽がウィンドスクリーンに衝突。その衝撃でナビゲーターのクレンクは流血し、一時意識を失ったが、レースを止めることなく70 km先のタイヤサービス地点まで走り切った。その後は、対策としてウィンドスクリーンの前に8本の鉄柵を取り付けて走行することになった。

市販型300SLをベースとした車両によるワークス活動は行われなかったが、ミッレミリアのGTクラス優勝などプライベーターの活躍によりレースシーンを賑わせた。

1955年、メルセデスは300SLR(3リッター直列8気筒燃料直噴エンジン)によって世界スポーツカー選手権を制覇する。ただし、300SLRは名前は似ているものの、W194がベースである300SLとは異なり、W194の次に設計されたレーシングカーであるF1マシンW196がベースであり、300SLと300SLRに直接の関連はない。

復刻

1996年、メルセデス自身の手によってAMG製エンジンや最新のシャーシの上に300SLのボディを被せたカスタムカーが2台製作され、外誌がこの存在をスクープした(日本ではカーグラフィック誌が配信)。注文主は明らかされなかったが、ブルネイハサナル・ボルキア国王ではないかと報じている。オリジナルの300SLは左ハンドル仕様のみ製造されたが、この2台は右ハンドル仕様であった。

2009年、ガルウイングアメリカ社は300SLのレプリカモデル製作を発表した[10]。これは市販型ではなく、カレラ・パナメリカーナ・メヒコに出場したプロトタイプをモチーフにしていた。

F1のセーフティカーとしても使用されていたSLS AMGは、ガルウィングドアなど300SLの意匠を継承している。

2012年、ダイムラーは許可なく300SLのレプリカを製造・販売していたドイツ国内の企業を訴え、勝訴した後に、そのレプリカをスクラップにする模様を公開して、違法コピーを拒絶する姿勢を示した[11]

脚注

  1. ^ 伊東和彦 「メルセデス・ベンツSLストーリー SLSロードスターの登場によせて」『カーマガジン 2011年12月号』、ネコ・パブリッシング、86頁。
  2. ^ それまでのモデルはフランクフルト・モーターショーもしくはジュネーヴ・モーターショーで発表されていた。
  3. ^ ガルウイング・ドアの秘密〜伝説のスポーツカー"300SL"〜 - メルセデス・ベンツ オフィシャルサイト
  4. ^ 平山暉彦 『栄光に彩られたスポーツカーたち SPORT CAR PROFILES 1947 - 1965』 三樹書房、2003年、50頁。
  5. ^ 「SLとスポーツ・メルセデス」『カーグラフィック』2012年6月、カーグラフィック、2012年5月、72-73頁。 
  6. ^ a b 1954年 メルセデス・ベンツ 300SL スペック表 - GAZOO 名車館
  7. ^ ガルウイングのスーパーカーモデル メルセデス・ベンツ300SL - 日経トレンディネット L Cruise
  8. ^ 伊東、84頁。
  9. ^ 『CAR GRAPHIC 2010年7月号』 カーグラフィック、58頁。
  10. ^ 名車メルセデス 300SL、レプリカで復活 レスポンス 2009年4月28日
  11. ^ "ダイムラー、メルセデス 300SL のレプリカを破壊…「コピーは許さない」". レスポンス.(2012年3月25日)2013年2月26日閲覧。

関連事項

外部リンク


300SL(W194・1952年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「300SL(W194・1952年)」の解説

ルドルフ・ウーレンハウト率いられレース部門最初に開発したのが、1952年の300SL(W194)である。同車この年ル・マン24時間レースカレラ・パナメリカーナ制し、メルセデスチームに幸先良い復帰もたらした。しかし、1953年F1復帰準備優先することになったため、その活躍1952年1年のみで終わった。 300SL(W194)の開発 ダイムラー・ベンツ取締役会スポーツカーレースへの参加決定したが、どういった車両開発するかはウーレンハウトに一任された。取締役のナリンガーが「3リッターセダン」をベースにしてはどうかと示唆したこともあって、ウーレンハウトは自分開発して1951年発売され市販車300英語版)(W186)を新たなレーシングカー基盤とする方針立てた。そうして、同車搭載する排気量3,000cc・直列6気筒のM186エンジン英語版)と同車駆動系全てのコンポーネント流用しつつ、レース部門はそれらをウーレンハウトのアイデアになるチューブラー・スペースフレームの車体組み込み、「300SL(英語版)」(W194)を完成させた。 レースにおける活躍 300SLはまず1952年1月モンテカルロラリー持ち込まれ以降5月ミッレミリアドイツ語版)を目標定めてテスト重ねられた。そのミッレミリアでは3台の300SLを出場させたものの、2位、4位に終わり優勝手にすることはできなかった。 1952年最初大きな成果6月開催されル・マン24時間レースにおける優勝である。このレース幸運に恵まれた面も大きくゴルディーニ駆って独走レースリードしていたピエール・ルヴェーゴールまで残り1時間となったところでエンジントラブルによりリタイアしたことで、それまで2位に付けていたラングとフリッツ・ライス(英語版)の組が勝利を拾い2位にはこのレースのみメルセデスチームからスポット参戦していたテオ・ヘルフリッヒ(英語版)とヘルムート・ニーダーマイヤ(英語版)の組が入り、メルセデスチームはル・マンにおける初勝利を1-2フィニッシュ飾ったル・マン優勝して以降勢い乗り、続くニュルブルクリンクにおけるレース1-2フィニッシュ制し11月メキシコ開催されカレラ・パナメリカーナでも1-2フィニッシュを飾る。当時の同レースメキシコ舞台に3,000に及ぶ行程走り抜くというもので、ヨーロッパアメリカからトップクラスドライバーたち参戦し競われ米国自動車雑誌では「世界最大スポーツイベント」と評するものもあるほど大きなイベントだった。このレース優勝したことで、300SLは世界で最も強力なスポーツカーのひとつとみなされるようになった。 300SL(W194/11・1953年) 300SL(W194/11・1953年1952年8月ダイムラー・ベンツ取締役会翌年スポーツカーレース参戦続けることを決定したため、ウーレンハウトは300SL(W194)のアップデート進める。 同年12月には概要をまとめ、ガソリン直噴式エンジン搭載トレッド縮小によるドラッグ低減重量配分最適化通して改善を図ることにした。この中で直噴式エンジン「M198(ドイツ語版)」の採用と、トランスアクスル採用は特に画期的な物となる。ハンス・シェレンベルクとカール・ハインツ・ゲッシェル(Karl-Heinz Göschel)によって開発されたM198エンジンは、後にF1カーのW196Rや、後述300SLR(W196S)のM196エンジンへと発展する。 しかし、1954年からF1に参戦することが決定し、そちらにリソース集中させるため、1953年スポーツカーレースへの参戦は見送るという決定下される。そのため、この車両は300SLの11号車として試作車が1台作られたのみで、レース参戦する機会を得ることはなかった。 300SL(W198・1954年詳細は「メルセデス・ベンツ・300SL」を参照 300SL(W194)は後に市販バージョンとして300SL(W198)が発売されることになり、この市販車設計もウーレンハウトが手掛け同車メルセデス・ベンツ代表する車両として知られるうになる。この車両レース用に開発されたわけではなかったが、プライベーターによって、ラリー長距離公道レースなどで用いられた。

※この「300SL(W194・1952年)」の解説は、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の解説の一部です。
「300SL(W194・1952年)」を含む「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事については、「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の概要を参照ください。

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300SLRの開発詳細は「メルセデス・ベンツ・300SLR」を参照同時期にF1用の車両も準備をする必要があり、フォーミュラ1車両とレース専用スポーツカーを同時に開発することは現実的ではないとダイムラー・ベンツの技術陣は考え、このレース専用スポーツカーは基本的な設計をW196と共有した車両として開発された。そのため、型番も共有して「W196S」となるが、この呼び方はフォーミュラ1車両の「W196R」と混同を招くため、技術陣の間では早くから「300SLR」と呼ばれた。その名称から発表当初から「300SL」の発展形と思われがちだったが、車両としては全く関連がなく、両車の関係を当時のジャーナリストのデニス・ジェンキンソンは「要するに排気量が3リッターであること以外、何の関係もない」と端的に評した。その3リッターのエンジンは排気量こそ異なるが、基本構造はF1用の2.5リッターのM196エンジンそのままで、ボア径とストロークをそれぞれ伸長することで排気量を増大させている。エンジン特性も高回転時の大きなトルクはスポーツカーレースではそれほど必要としないと考え、最高回転数は落とされ、ストローク長が長くなっているにもかかわらず、ピストンスピードもM196エンジンよりも低く抑えられている。エンジン重量の増大に対応するため、レーシングカー用のエンジンとしては初めて、アルミニウム合金製のシリンダーブロックを採用して軽量化が図られた。エンジンとボディ以外はW196Rとほぼ同じである。300SLRはW196Rより200㎏から300㎏ほど重いが、エンジン出力は300SLRのほうが大きく、速さの点で両車両の性能差はほとんどなかった。1954年9月にモンツァで行われた最初のテストでファンジオが記録したタイムは、自身がW196Rで樹立した当時のラップレコードと比べ、走り始めからわずか3秒落ちるのみだった。レースにおける活躍

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