300SLRとは? わかりやすく解説

300SLR(W196S・1955年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「300SLR(W196S・1955年)」の解説

1952年300SL(W194)はチーム充分な成果もたらしたが、メルセデスチームを率いノイバウアーは「より強力なエンジン5速トランスミッション強力なブレーキ16インチホイール」を備えた更なる高性能車両レース部門求めた。 しかし、F1参戦忙殺されたメルセデスチームは1953年1954年スポーツカーレース参戦する余裕がなかったため、復帰1955年のこととなる。 1955年投入された300SLR(W196S)はF1用のW196Rを転用したもので、非常に高い性能誇った。全6戦で開催されこの年世界スポーツカー選手権英語版)で、第3戦からのデビューで4戦のみの参戦だったにもかかわらず途中棄権したル・マンを除く3戦で優勝しこの年選手権タイトル獲得した 300SLRの開発 詳細は「メルセデス・ベンツ・300SLR」を参照 同時期にF1用の車両準備をする必要があり、フォーミュラ1車両レース専用スポーツカー同時に開発することは現実的ではないとダイムラー・ベンツ技術陣は考え、このレース専用スポーツカー基本的な設計W196共有した車両として開発された。そのため、型番共有して「W196S」となるが、この呼び方フォーミュラ1車両の「W196R」と混同を招くため、技術陣の間では早くから「300SLR」と呼ばれた。その名称から発表当初から「300SL」の発展形思われがちだったが、車両としては全く関連がなく、両車の関係を当時ジャーナリストのデニス・ジェンキンソン(英語版)は「要する排気量が3リッターであること以外、何の関係もない」と端的に評したその3リッターエンジン排気量こそ異なるが、基本構造はF1用の2.5リッターM196エンジンそのままで、ボア径とストロークそれぞれ伸長することで排気量増大させている。エンジン特性も高回転時の大きなトルクスポーツカーレースではそれほど必要としない考え、最高回転数落とされストローク長が長くなっているにもかかわらずピストンスピードM196エンジンよりも低く抑えられている。エンジン重量増大対応するため、レーシングカー用のエンジンとしては初めて、アルミニウム合金製のシリンダーブロック採用して軽量化図られた。 エンジンボディ以外はW196Rとほぼ同じである。300SLRはW196Rより200から300ほど重いが、エンジン出力は300SLRのほうが大きく速さの点で両車両性能差はほとんどなかった。1954年9月モンツァ行われた最初テストファンジオ記録したタイムは、自身がW196Rで樹立した当時ラップレコード比べ走り始めからわずか3秒落ちるのみだった。 レースにおける活躍 1954年当時スポーツカーレースにおける強豪であるジャガーDタイプ)やフェラーリは3,400上のエンジン搭載しており、それに3,000ccのエンジン車両対抗するのは「子供大人喧嘩仕掛けるようなもの」だと言われた。 しかし、デビューした300SLRは無敵といってよい活躍をし、5月ミッレミリア英語版)で優勝したのを皮切りに同月のアイフェルレンネン、8月スウェーデングランプリ9月RACツーリストトロフィー英語版)、10月タルガ・フローリオ英語版)、と出場したレースのほとんどで優勝飾った1955年ル・マン24時間レース事故 詳細は「1955年のル・マン24時間レース死亡事故英語版)」を参照 1955年6月開催されル・マン24時間レースで、ピエール・ルヴェー駆る300SLRが関連した事故起こり、宙を舞った300SLRは観客席飛び込み80人以上の観客死亡させる事故起こした事故後もレース続けられたものの、チームとしてはそれどころではなくノイバウアーからの連絡により本社では取締役会が緊急で開かれノイバウアー電話本社話し合い重ねたこの間スタート出遅れていたファンジオ組がジャガーホーソーン抜き去りトップ浮上していたが、「多数フランス人の屍の上で、ルマンドイツ制す」といった見出し新聞上に踊れば、それはダイムラー・ベンツにとっては致命傷なりかねないとの判断が下る。そうして、事故発生からおよそ7時間後の午前1時40分、メルセデスチームは死者弔意示しレース棄権することを決定してサーキット去ったル・マン以前時点でF1からの撤退決定していたが、ダイムラー・ベンツ取締役会スポーツカーレースからの撤退決定しこの年シーズン後同社モータースポーツ活動そのもの休止することを発表した。(「#撤退1955年)」も参照

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300SLRの開発詳細は「メルセデス・ベンツ・300SLR」を参照同時期にF1用の車両も準備をする必要があり、フォーミュラ1車両とレース専用スポーツカーを同時に開発することは現実的ではないとダイムラー・ベンツの技術陣は考え、このレース専用スポーツカーは基本的な設計をW196と共有した車両として開発された。そのため、型番も共有して「W196S」となるが、この呼び方はフォーミュラ1車両の「W196R」と混同を招くため、技術陣の間では早くから「300SLR」と呼ばれた。その名称から発表当初から「300SL」の発展形と思われがちだったが、車両としては全く関連がなく、両車の関係を当時のジャーナリストのデニス・ジェンキンソンは「要するに排気量が3リッターであること以外、何の関係もない」と端的に評した。その3リッターのエンジンは排気量こそ異なるが、基本構造はF1用の2.5リッターのM196エンジンそのままで、ボア径とストロークをそれぞれ伸長することで排気量を増大させている。エンジン特性も高回転時の大きなトルクはスポーツカーレースではそれほど必要としないと考え、最高回転数は落とされ、ストローク長が長くなっているにもかかわらず、ピストンスピードもM196エンジンよりも低く抑えられている。エンジン重量の増大に対応するため、レーシングカー用のエンジンとしては初めて、アルミニウム合金製のシリンダーブロックを採用して軽量化が図られた。エンジンとボディ以外はW196Rとほぼ同じである。300SLRはW196Rより200㎏から300㎏ほど重いが、エンジン出力は300SLRのほうが大きく、速さの点で両車両の性能差はほとんどなかった。1954年9月にモンツァで行われた最初のテストでファンジオが記録したタイムは、自身がW196Rで樹立した当時のラップレコードと比べ、走り始めからわずか3秒落ちるのみだった。レースにおける活躍

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