開発概要とは? わかりやすく解説

開発概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 19:36 UTC 版)

トヨタ・TS010」の記事における「開発概要」の解説

TS0101991年スポーツカー世界選手権SWC)への実戦投入目指したものであり、開発プロジェクト1989年スタートした車体設計および風洞実験シャシの製作はTRD童夢エンジン開発トヨタ東富士研究所担当した初期開発段階において、エンジン開発チームは、重心高を徹底的に下げるために、アンダーフロアがフラットボトムであることを前提開発行っていた。それに対しシャシ開発チームは、高ダウンフォース発生させるために従来グループCマシン同様のウイングカー構造持ったマシン開発したかった。しかし、開発チーム間の異なマシン構想によって、1990年初頭完成した車体は、先行開発されていたエンジン搭載できるだけとなり、結果的にアンダーフロアの整流などは考慮されず、重心も高いマシン完成してしまった。この時の車体デザイン最終的にレース登場したTS010の姿とは似つかない旧来のトヨタ・88C-Vにまで遡るグループCマシンイメージを引きずったようなものであった1990年2月モータースポーツ部長着任した齋藤治彦は、この開発状況収拾するため、1990年5月世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) シルバーストン戦を視察中に偶然知り合ったトニー・サウスゲートTS010開発アドバイザー就任依頼し同時にスポーツカー世界選手権 (SWC) への参戦1年遅らせ1992年からとすることで、エンジンシャシ共に一から再設計させた。再設計されたシャシ90年夏に行われた風洞実験において、揚抗比数値が、それまでターボエンジン搭載グループCカーがどうしても届かなかった4を超え、5.8に達したといい、ドラッグ抑えながら多くダウンフォース獲得できる目途がたった。一方エンジンシャシよりも先に完成し91年シーズン初頭からトヨタ・89C-Vテストベッドとして実走テスト開始された。 こうして1991年夏にTS010完成し同年8月シェイクダウン後はデビュー向けてテスト重ねられた。またタイヤについては、従来から馴染み深かったブリヂストン替えて、「世界中サーキット実績積んでいる」という観点から、グッドイヤーチョイスされた。 このように従来グループCマシンからの脱却目指し開発されTS010だが、同時期に登場したジャガー・XJR-14が、コンパクトなコスワースV8エンジン搭載しラジエーター車体側面配置にすることでヨーモーメントを低減車体全て軽量コンパクト設計したのに対しTS010従来グループCマシン同様、ラジエーターフロント配置になっている等、車両パッケージ少々古いものであったまた、XJR-14は、スプリントレース主眼においたのに対しTS010耐久レース考慮した事から、ドア従来グループCマシン同様に乗降性優れたコンベンショナルガルウィングドアとし、後輪部分ジャガー・XJR-12等と同様のスパッツ採用している。 このように、ややコンサバティブ設計されTS010は、1991年8月初めメディア公開された際、「細部造形が何とも荒いし、デザインセンスも素人っぽい」と評論家エクステリアデザイン酷評されたものの、車両としての完成度当初からそれなりに高く、「トヨタ製グループCマシン集大成と言われている。 だが、92年SWC好敵手となったプジョー・905は、シーズン中EVO2投入する等、常に空力性能を向上させ、さらに予選エンジン用意したに対してTS010は特に目立った改良行われなかったため、次第速さの面で劣勢となっていく。結果として92年SWCにおいて、TS010は第1戦モンツァ制したものの、残りシーズンでは全てプジョー後塵を拝する結果となってしまった。

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開発・概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 05:29 UTC 版)

九七式戦闘機」の記事における「開発・概要」の解説

1935年昭和10年)、海軍九試単座戦闘機試作機、のちの九六式艦上戦闘機)の成功刺激され陸軍は、海軍了解のもとに、九試単戦を陸軍用改修させた三菱重工業のキ18審査した。しかし、キ18エンジン信頼性不足などを理由制式採用には至らずとりあえ川崎航空機キ10九五式戦闘機として制式採用された。しかし旧態依然たる複葉機である九五戦では主力戦闘機としての任に耐えないため、それに代わる機体として1936年昭和11年4月低翼単葉戦闘機競争試作中島三菱川崎の3社に指示した。 これを受けて中島キ27川崎キ28三菱のキ33九六艦戦改造機)の競争となったが、先の18不採用にしこりが残る三菱試作機提出はしたもの熱意を示さなかった。このため1937年昭和12年2月から始まった審査では、水冷エンジン信頼性に不安のあるキ28抑えて本機選定された。この間盧溝橋事件発生したため審査急ぎ9月終了1937年昭和12年皇紀2597年)に九七式戦闘機として制式採用された。 採用当時九七戦は、最大速度上昇力ユンカース Jumo 210エンジン搭載するドイツメッサーシュミット Bf 109 B/C/D(B型1936年11月初飛行したBf 109最初期量産型D型まで同じJumo 210系列エンジン搭載し1937年および1938年当時主力)と遜色なく、かつ旋回性能ではこれを凌駕していた高性能であった。しかし同時期の欧州では九七戦異なり設計面で将来性のあるBf 1091938年12月には高出力ダイムラー・ベンツ DB 601換装高性能化されたE型登場、さらにのちのG型ではDB 605再度換装敗戦まで主力)、スーパーマリン スピットファイアホーカー ハリケーンなどが完成しており、九七戦自体限界感じていた陸軍高速重武装の重単座戦闘機志向強めていくことになる。 陸軍航空本部は(九七戦開発中考案された)昭和12年陸軍航空兵器研究方針則って機関銃搭載型・機関砲搭載型の2種単座戦闘機開発模索し九七戦採用され1937年12月中島対し一社特命キ43試作内示を、翌1938年昭和13年)にはキ44研究内示行っている。昭和13年陸軍航空兵器研究方針には新たに「軽単座戦闘機」・「重単座戦闘機」の区分登場、「軽戦(軽単座戦闘機)」は格闘戦性能重視し機関銃装備し、「重戦(重単座戦闘機)」は速度重視し機関砲装備するものと定義され当時開発中であったキ43は「軽戦」にキ44は「重戦」となった(両機はのちに前者一式戦闘機「隼」、後者二式戦闘機鍾馗」となる)。区分明文化され昭和15年陸軍航空兵器研究方針において、「重戦」は高速重武装航続距離防弾装備にも優れ対戦闘機対爆撃機戦に用い万能機たる本命機となり、「軽戦」は格闘戦重視し主に対戦闘機戦に用い性能装備面で妥協した補助戦闘機的ものとなっている。

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