初期開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 17:02 UTC 版)
元々アタリ社のゲーム機Atari 2600の開発に関係しており、後にAtari Lynxや3DOのハードウェア設計を手がけるJay Miner他のスタッフが、ゲーム機専用ジョイスティック開発を隠れ蓑としたAMIGA社を設立。本業が歯科医の10数名の投資家グループから援助を受けつつ、新型のゲーム機として元々開発したものが初代のAmiga 1000である。コードネームは「Lorraine」。しかし、どんどん機能が肥大して汎用コンピューターと化したLorraineの開発終了後、販売のための資金が底をつく。アメリカはアタリショックの余韻もあり、投資家グループはこれ以上のAMIGA社への資金援助は危険だと判断する。 開発陣は元々関係が深かったアタリ社のパソコン・ゲーム機部門が分社化されたアタリコープ(以下アタリ)に販売を持ちかける。しかしアタリは当時、新型16bitコンピュータ、ATARI 520STの発売前であり、この話は実現しなかった。ここで販売を申し出た会社がコモドールだった。パソコンメーカーは16bitコンピューターへの製品の転換期を迎えていたが、コモドール64で市場を制覇した8bitパソコンの雄コモドールには次世代機が無かった。 これらの背景として、コモドールの株主と対立して追放されたコモドール創業者のジャック・トラミエルが代わりにAtariを買収し、業界への再参入を画策しており、そのためにアタリ社内で進行中のプロジェクトを全てリセットし、一方でコモドールの開発者を全員アタリに引き抜いて新型コンピューターの開発に当たらせている、などの裏事情があった。コモドールとしては渡りに船、とのことで、ここでAMIGA社の新型コンピューターLorraineはコモドールで販売されることとなる。また、コードネームLorraineを廃して、AMIGAというブランド名に変更となる。
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