グループCカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 19:12 UTC 版)
詳細は「モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ#スポーツカーレース復帰に至る経緯」を参照 1980年に発表されたグループC規格は、当時サーキットにおけるレース活動を行っていなかったダイムラー・ベンツ社のエンジニアの間でも大きな話題となり、レスは同社の空力専門家であるルディガー・フォール(ドイツ語版)ら有志とともに、業務外の趣味の活動として、グループCカーの設計図を完成させた。1981年初めに完成したこの設計図はやがて、グループC車両の開発を計画していたザウバーとレスらを結びつけることになり、レスらは同年夏からザウバーへの協力を始めた。 レスはザウバー初のグループCカーであるSHS C6(英語版)(1982年)の開発を助けた後、1983年用のC7(英語版)では設計の中心的な役割を担った。 レスはフォールらと同様、ザウバーの仕事はあくまで余暇を利用した手伝いの範疇で行っており、ダイムラー・ベンツに所属し続けていたが、1983年にBMWに移った。この時期のザウバーの車両はル・マン24時間レースでも結果は出なかったが、フォールやダイムラー・ベンツ取締役のヴェルナー・ブライトシュベルト(ドイツ語版)の尽力もあって、1985年からはザウバーはメルセデス・ベンツエンジンを非公式に搭載することになった。
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