追跡と捕獲とは? わかりやすく解説

追跡と捕獲(1861年8月-11月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 11:05 UTC 版)

トレント号事件」の記事における「追跡と捕獲(1861年8月-11月)」の解説

これら外交官出発意図秘密ではなくアメリカ合衆国政府日々彼等動向について情報受け取っていた。10月1日までに、スライデルとメイソンチャールストン居た当初の計画では快速蒸気船CSSナシュビルで封鎖線を突破し直接イギリスに向かうつもりだった。しかし、チャールストン港に入る海峡は5隻の北軍艦船に護られ、ナシュビルの喫水深かったので、海峡すり抜けるのが難しかった夜間の脱出検討されたが、潮と夜間の強風のために決行できなかった。メキシコ陸路辿りマタモロスから出港する案も検討されたが、これではか月遅延することになり、受け容れられなかった。 代案として蒸気船ゴードン提案された。ゴードンであれば喫水も浅いので裏ルート抜けることができ、速力12ノット以上が出せるので、北軍追跡振り切ることが可能だった。ゴードンアメリカ連合国政府62,000ドル買い上げるか、10,000ドルチャーターする案が出された。アメリカ連合国財務省はこの金が出せなかったが、地元綿花ブローカージョージ・トレンホルム帰りの航海荷物室の半分使用することと引き換え10,000ドル払ったゴードンセオドラ改名され10月12日午前1時にチャールストン港を出港し海上封鎖を行う北軍艦船もうまくすり抜けた。10月14日バハマ諸島ナッソー到着したが、カリブ海からイギリスに向かうイギリス船舶にとって主要な出発点であるデンマーク領西インド諸島セントトマスに向かうイギリス蒸気船接続できなかった。しかし、イギリス郵便船スペイン領キューバにいる可能性があることが分かり南西キューバ向かったセオドラ10月15日キューバ海岸沖に現れたが、その石炭室はほとんど空だった。接近してきたスペイン艦船セオドラ出迎えた。スライデルとジョージ・ユースティス・ジュニアが乗船すると、イギリス郵便船確かにハバナ港のドック居たが、出港したばかりであり、次の郵便船である外輪蒸気船RMSトレント到着するのは3週間先であることを告げられた。セオドラ10月16日カルデナスドック入りメイソンとスライデルは下船した。この2人外交官カルデナス留まりその後陸路ハバナ行って次のイギリス郵便船乗船することに決めた一方アメリカ合衆国政府にはメイソンとスライデルがナシュビルに乗って脱出したという噂が届いていた。北軍情報部はメイソンとスライデルがセオドラチャールストン離れたことを即座に掴んでいなかった。海軍長官ギデオン・ウェルズメイソンとスライデルがチャールストン脱出したという噂に反応してサミュエル・F・デュポン提督快速艦船を2隻イギリスに向かわせ、ナシュビルを拘束するよう命じた10月15日ジョン・B・マーチャンドの指揮する北軍の側輪蒸気船USSジェイムズ・アジャーが、必要ならばイギリス海峡までナシュビルを追跡するという命令持ってヨーロッパ向かった。ジェイムズ・アジャーは11月初旬イギリス到着しサウサンプトン港のドック入ったイギリス政府は、アメリカ合衆国外交官捕まえようとしていることに気づき彼等がナシュビルに乗船していると思いこんでもいた。パーマストンは、ナシュビルが寄港する予測される所の周辺3マイルイギリス海軍艦船偵察させ、捕獲イギリス領海内で起こらないようにさせた。ジェイムズ・アジャーがナシュビルを追ってイギリス領海に入ったとしても、こうしておれば外交的な危機避けることができると考えられた。ナシュビルが11月21日到着すると、使節団乗船していなかったので、イギリス驚かされた。 北軍チャールズ・ウィルクス中佐指揮する蒸気フリゲート艦USSサンジャシント10月13日セントトマス到着していた。サンジャシント1か月間近くアフリカ海岸沖を巡航した後、サウスカロライナ州ポートロイヤル攻撃の準備のために、アメリカ海軍合流する命令受けて西に向かっていた。しかしウィルクスセントトマスで、アメリカ連合国CSSサムターが7月キューバシエンフエーゴス近くアメリカ商船3隻を捕獲したことを知った。サムターがそこに留まってい可能性薄かったが、ウィルクスはそこに向かったウィルクスシエンフエーゴス新聞で、メイソンとスライデルが11月7日イギリス郵便船トレントハバナ離れ、まずセントトマスに、続いてイギリスに向かう予定であることを知ったウィルクスは「キューバと浅いグランドバハマ・バンクの間にある唯一水深の深い航路バハマ海峡」をトレントが使う必要があることを認識したウィルクスは副指揮官であるD・M・フェアファックス少佐法的に可能な選択肢検討した後に、トレント航行妨害する作戦立て、この問題に関する法律書精査した。ウィルクスは、メイソンとスライデルがアメリカ合衆国船舶によって捕獲する対象となりうる「戦時禁制となるという考え方採用した。 この攻撃的な決断指揮官としてウィルクス典型的なスタイルだった。ウィルクス一方で傑出した探検家著作家および海軍士官」として認められていた。しかし他方では「頑固で、熱心過ぎ、衝動的であり、時には命令従わない士官であるという評判もあった。財務官のジョージ・ハリントンはスワードに「彼(ウィルクス)は我々に問題もたらす。彼は過剰なまでに自負心強く、また判断には欠陥がある。大きな探査任務指揮した時は、部下士官のほとんど全員軍法会議掛けた。彼だけが正しく、他の者は全て間違いとなる」と警告していた。 トレント予定通り11月7日出港しメイソン、スライデルとその秘書官達、およびスライデルの妻子乗船していた。ウィルクスがまさに予測したように、トレントサンジャシント待ち受けているバハマ海峡通過した11月8日正午頃サンジャシント見張りユニオンジャック掲げたトレント視認した。サンジャシントトレント船首越しに1発の砲弾放ったが、トレントのジェイムズ・モワール船長はそれを無視したサンジャシント前側旋回砲放った砲弾トレント前部着弾した。この2発目に続いてトレント停船した。フェアファックス少佐が後甲板呼ばれウィルクスから次のような文書指示受け取った。 あの船(トレント)に乗船し蒸気船書類、すなわちハバナ出港許可書と乗客乗員名簿求めること。メイソン氏、スライデル氏、ユースティス氏およびマクファーランド氏が乗船している場合は、彼等拘束し、この船に送りつけたうえで、あの船を戦利品として捕獲すること。 … 彼等乗船しているに違いない彼等所有するトランクケース小包および袋の類は全て押収し本船送り届けること。捕虜所有になる、あるいはかの蒸気船乗り込む者の所有になる報告書の類も押収し検査し必要ならば保持すること。 フェアファックスはカッタートレント漕ぎ寄せ乗船した拳銃カトラス短剣)で武装した20人の部隊が2隻のカッタートレント横付けした。フェアファックスは、ウィルクス国際的な事件起こそうとしており、その範囲拡大しようとは望んでいないことを確信していたので、その武装護衛にはカッター中に留まるよう命令した。フェアファックスは乗船すると、怒り心頭に発するモワール船長の所に連れて行かれ、そこで「メイソン氏とスライデル氏および彼等秘書官逮捕し捕虜として近くアメリカ合衆国戦闘艦連行する命令受けていると伝えた乗員と乗客がフェアファックスを脅したので、トレント船腹にある2隻のカッター武装兵はこの脅し反応して船腹上り、フェアファックスを護った。モワール船長はフェアファックスの要求した乗客名簿提出断ったが、メイソンとスライデルが前に出てきて、自分達であることを確認したモワール船長船内戦時禁制品捜索拒否した。フェアファックスはこの問題を押すことはできなかった。それは船を戦利品として捕獲する必要があったからであり、それはほぼ間違いなく戦争行為だった。メイソンとスライデルは自発的にフェアファックスと同行することを正式に拒否したが、フェアファックスの部下カッター誘導したときには抵抗しなかった。 ウィルクスは後に、トレントは「高度に重要な積み荷運んでおり、アメリカ合衆国にとっては有害な指示与えられていた」と考えた主張することになった。フェアファックスが船内捜索できなかったことに加えて外交官携行する手荷物文書が見つからなかったことに別の理由があった。メイソンの娘が後の1906年記したところに拠ればトレント乗客だったイギリス海軍ウィリアムズ中佐アメリカ連合国郵袋確保しており、後にロンドン代表団戻されということである。このことはヴィクトリア女王による中立宣言対す明らかな違反だった。 国際法では、「戦時禁制品」が船上発見されたとき、その船は最も近い捕獲審判所裁定求めこととされている。これがウィルクス当初考えだったが、フェアファックスは、サンジャシントからトレント乗員移せサンジャシント危険なくらい手薄になり、またトレント他の乗客郵便受取人にとっては甚だしく不都合になるので、ウィルクス反対した。この場の責任者だったウィルクスはフェアファックスの主張合意しアメリカ連合国2人使節およびその秘書官達を除いてトレントセントトマスまで進むことを認めたサンジャシント11月15日バージニア州ハンプトン・ローズ到着しウィルクスワシントン使節捕獲報せ打電したその後ボストン行ってアメリカ連合国捕虜収容する施設であるウォーレン砦に捕虜届けるよう命令された。

※この「追跡と捕獲(1861年8月-11月)」の解説は、「トレント号事件」の解説の一部です。
「追跡と捕獲(1861年8月-11月)」を含む「トレント号事件」の記事については、「トレント号事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「追跡と捕獲」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「追跡と捕獲」の関連用語

追跡と捕獲のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



追跡と捕獲のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのトレント号事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS