脱走兵などに対する処置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 03:48 UTC 版)
「秘密野戦警察」の記事における「脱走兵などに対する処置」の解説
1943年半ば以降、戦地において脱走兵がパルチザンに参加するという事態が発生したため、GFPは脱走者の追跡と捕獲を命じられた。1944年のバグラチオン作戦とファレーズ・ポケットでの敗北による撤退後、ドイツ軍における脱走率は急速に上昇しはじめた。1944年時点で、3142人の兵士が陸軍からの脱走兵として逮捕された。しかし多くの兵士は作戦地域での戦闘などで混乱している状況であり、兵士が所在身分を証明する軍隊手帳や書類を紛失していたり、間違った場所に配置されていたため、後方地域での混乱が生じるとのことで半ば強制的に逮捕を行う状態になっていた。有罪判決を受けた兵士は銃殺に処されるか、執行猶予大隊に送られた。 GFPはまた、兵士の敗北主義的な言動についても調査していた。「Gruppe 729」と呼ばれる部隊は、ソ連の捕虜から脱出したすべての国防軍兵士を尋問するために組織された。この機関が設立された理由は敗北主義と反ナチズムのプロパガンダをNKVDが元捕虜に対して「再教育」したのではないかという嫌疑があったためであった。ソ連のスパイと疑われた兵士たちは現在のポーランドのダンツィヒにあるGFPの特別収容所に送られた。1944年までにこの収容所には400人の囚人が収容されていた。
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