若狭神宮寺とは? わかりやすく解説

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若狭神宮寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 16:02 UTC 版)

若狭神宮寺

本堂(重要文化財)
所在地 福井県小浜市神宮寺30-4
位置 北緯35度27分34.8秒 東経135度46分58.7秒 / 北緯35.459667度 東経135.782972度 / 35.459667; 135.782972座標: 北緯35度27分34.8秒 東経135度46分58.7秒 / 北緯35.459667度 東経135.782972度 / 35.459667; 135.782972
山号 霊応山
宗派 天台宗
本尊 薬師如来
創建年 714年
開基 沙門滑元
正式名 神宮寺
札所等 若狭観音霊場 第16番
文化財 本堂、仁王門、木造男神・女神坐像(重要文化財)
椎の木(市天然記念物)
法人番号 2210005008593
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境内風景

若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)は福井県小浜市にある天台宗の寺院。山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像。東大寺二月堂への『お水送り』が行われる寺である。2015年(平成27年)4月24日、「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 - 御食国(みけつくに)若狭と鯖街道 - 」の構成文化財として日本遺産に認定される[1]

概要

元正天皇の勅願により奈良時代和銅7年(714年)、若狭国一の宮若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元による開創されたと伝わる。 鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めた。室町時代朝倉義景の寄進により再建された本堂(重要文化財)は現存する。七堂伽藍二十五坊を有していた時代もあったが、豊臣秀吉の時代に寺領没収に遭い、さらに明治時代初頭の廃仏毀釈により衰退した。

文化財

  • 重要文化財(国指定)
    • 本堂 - 室町時代は天文22年(1553年越前国守護朝倉義景による再建。間口14.34m、奥行き16.60m。建築様式は、和様を主体とする折衷様。建坪は110坪。
    • 仁王門(北門) - 鎌倉時代末期再建。間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mの単層屋根、切妻造、二軒和様杮葺八脚門。至徳2年(1385年)造立の木造金剛力士像を一対を安置。
    • 木造男神・女神坐像 - 室町時代初期作。若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝わる神像とされる。衣冠束帯の男神像は像高49.1cm、小袿姿の女神像は像高50.9cm。
  • 市指定文化財天然記念物
    • 椎の木

伽藍

  • 本堂 - 文化財節に詳述
  • 仁王門 - 文化財節に詳述
  • 表門 - 桃山時代再建
  • 閼伽井戸
  • 茶室
  • 元三大師
  • 大膳院(桜本坊)
    • 書院庭園 - 江戸時代初期作

交通アクセス

周辺

脚注

  1. ^ 海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群”. 文化庁. 2020年9月19日閲覧。

参考文献

  • 若狭神宮寺パンフレット『若狭神宮寺 奈良二月堂へお水送りの寺』

関連項目

北緯35度27分34.8秒 東経135度46分58.7秒 / 北緯35.459667度 東経135.782972度 / 35.459667; 135.782972

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