気比神宮寺とは? わかりやすく解説

気比神宮寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 07:28 UTC 版)

氣比神宮」の記事における「気比神宮寺」の解説

気比神宮寺(けひじんぐうじ)は、氣比神宮にかつて存在した神宮寺。現在は廃寺。 『藤氏家伝によれば神宮寺成立霊亀元年715年)で、文献上で全国神宮寺の中で最古になる。同書によれば藤原武智麻呂夢に気比神が現れ宿業によって神の身となったことの苦悩告げて仏道による救済求め武智麻呂はその願いを容れて神宮寺建立したという。 斉衡2年855年)には、気比大神宮寺御子神宮寺不詳に対して得度僧5人・心願住者5人の計10人の常住僧を置くことが定められた。また、天安2年858年)には仏像造立費として稲1万束の充当天安3年859年)には大般若経一部安置記事見えるほか、貞観2年860年記事では神宮寺定額寺なされている。その後の経緯記録がなく明らかでない大永6年1526年)の正遷宮に際して神宮寺御読経所で読経があったともいうが、廃絶経緯跡地不詳。なお、付近善妙寺妙願寺では神宮寺前身とするという由緒伝える。 若狭越前地方神宮寺では、劔神社丹生郡越前町)の神宮寺成立710年代推定されるほか、若狭彦神社小浜市神宮寺神願寺若狭神宮寺)では養老年間717年-724年)の創建譚が『類聚国史』に記されている。気比神宮寺を含むこれら神宮寺相次ぐ成立に関してその時期・位置近さから同一僧侶一説白山開基泰澄)による活動推測する説がある。また成立要因に関して敗者として「祟り性」を備え仲哀天皇氣比神宮祭神)・忍熊皇子劔神社祭神)の霊を仏道の面から慰撫する目的であった推測する説もある。

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