経歴・戦績とは? わかりやすく解説

経歴・戦績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/04 14:39 UTC 版)

栃の山博士」の記事における「経歴・戦績」の解説

関東第一高等学校相撲部(現在は廃部出身ではあるものの、高校時代実績ほとんどない拓殖大学進学後は相撲部入部してレギュラーメンバーとして大活躍。大学相撲部1年後輩に栃乃洋がいる。 大学卒業間近に控えた1995年1月場所大学先輩である千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)を頼って春日野部屋入門し初土俵を踏む。初土俵時の四股名は「ノ山」。初め番付に名前が載った3月場所は、序ノ口で6連勝としていたが、13日目の7番相撲勝てば優勝の一番で志賀(のち大関栃東)に敗れて序ノ口優勝はならなかった。序二段昇進した5月場所でも6連勝としたが、13日目の7番相撲で再び志賀対戦し敗れて序二段優勝はならなかった。その後も6勝1敗の成績続いていたが、幕下昇進した1996年1月場所は1勝6敗の大敗喫し三段目陥落してしまった。 1996年5月場所で7戦全勝三段目優勝をすると、翌場所で幕下復帰同年11月場所関取昇進可能性があると言われる幕下15以内番付に初昇格するも、以降幕下一進一退続き1998年9月場所では再度三段目陥落。同場所では7戦全勝実力の差を見せたが、古市敗れて2度目三段目優勝はならなかった。翌11月場所からは幕下に完全定着し、西幕下2枚目で迎えた2001年9月場所は3勝3敗で迎えた12日目の7番相撲で十両濱ノ嶋対戦組まれ大銀杏結って勝ち越し関取昇進可能性懸けて土俵上がる突き倒し敗れた。この取り組み含め十両在位力士との対戦延べ5回経験し、2勝3敗であった2002年1月場所から「之山」に、2004年1月場所から「の山」に、それぞれ改名し2004年9月27日千賀ノ浦親方千賀ノ浦部屋創設すると、それに伴って部屋移籍以降幕下中位三段目上位若手力士互角勝負演じていたが、2013年5月所を前に嵐望と共に日本相撲協会世話人として採用されたことを機に40歳現役引退2016年には入籍し同年6月6日東京ガーデンパレスにて挙式及び披露宴執り行われた。

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経歴・戦績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 04:28 UTC 版)

華吹大作」の記事における「経歴・戦績」の解説

1986年3月場所初土俵7代立浪(元小結旭豊)よりも年齢2歳下であるが、土俵歴1年先輩である。元横綱双羽黒や元横綱北勝海(現:八角日本相撲協会理事長)の現役時代を知る数少ない人物でもある。 序ノ口迎えた1986年11月所を全休番付外陥落するも、翌1987年1月場所で即前相撲から復帰建て替えた大阪府立体育会館最初に相撲を取った力士勝ち名乗り1号である。ただ復帰3月場所負け越したが、新序力士数の関係から翌5月場所序二段昇進。翌7月場所には序ノ口土俵自身初めての勝ち越し決める。1988年9月所以降は序二段定着した1994年9月場所には初土俵より8年かかって三段目昇進する1997年1月場所から2年ほどは三段目定着していたものの、それ以外序二段三段目往復続け2022年1月場所の引退まで「序二段から三段目昇進」をのべ19記録した。 西三段目74目で迎えた2003年9月場所では一番相撲から若東龍・魁松山・双瀬川らと並んで6連勝7番相撲勝てば幕下昇進、更に優勝決定戦勝てば三段目優勝可能性もあったが、7番相撲で瀬川敗れいずれも実現しなかった。翌11月場所ではおよそ6年ぶりに自己最高位更新したものの自身2度目の7戦全敗最初平成最初平成元年初場所)で終え結果的にこの場所の番付である東三段目18目を更新することはなかった。 2011年5月技量審査場所最後に当時最年長力士であった栃天晃引退したため、翌7月場所より、現役最年長力士となり、2015年7月場所に同期北斗と共に栃天晃現役在位記録更新した。更に2017年5月場所では北斗龍を抜き現役在位記録単独1位となった2012年9月場所で力士褒賞金金額68円0銭となり、一ノ矢持っていた最高位三段目以下の力士力士褒賞金記録更新30代後半迎えて以降序二段在位する頻度高くなったものの、45歳11ヶ月迎えた2016年5月場所では序二段上位で5勝2敗の成績修め昭和以降最高齢での三段目昇進決めた2017年3月場所、当場所3連敗喫し負け越し危機瀕してから3連勝達して迎えた14日目の7番相撲で山響部屋奄美岳と対戦。約5分に亘る力相撲果て二番後取り直しとなり、取り直し相撲で送り出して勝ち、逆転勝ち越し決めた2017年5月場所の千秋楽となる5月28日に満47歳となり、一ノ矢引退46歳11ヶ月)を抜いて昭和以降最高齢力士となった2017年7月場所2日目の1番相撲で輝の里と対戦し合計年齢86歳という最高齢記録達成した平成時代の全181場所(1989年1月場所 - 2019年3月場所)は全て序二段以上に在位したが、平成最後本場所となった2019年平成31年3月場所では自身3度目の7戦全敗喫し令和最初本場所となった2019年令和元年5月場所番付西序ノ口4目となり、昭和時代1988年昭和63年7月場所以来、約31年ぶりに序ノ口転落した2019年5月場所は西序ノ口4目で迎え2日目に1番相撲で高田川部屋ヶ島に勝利した。この相撲出場したことによって昭和平成令和3時代で本場所相撲を取った唯一の力士となった2020年5月28日50歳となり、昭和以降で初となる、50歳の現役力士となった現役力士50歳を迎えるのは1905年明治38年5月鬼ヶ谷才治以来115年ぶり、また50代上の現役力士在籍する場所は1909年明治42年6月以来111年ぶりとされ、高齢に関する記録注目集まった(ただし昭和以前記録正確性や、現代との制度連続性留意する要はある)。 2020年7月場所初日の1番相撲で天一対戦1996年7月場所以来24年ぶり)、合計年齢92歳と昭和以降最高齢記録更新6日目の宇瑠寅との対戦挙げた白星は、50代力士として112年ぶりと報じられた。この場所は2勝5敗と負け越したが、50代力士本場所皆勤は、1906年明治39年1月場所鬼ヶ谷以来114年ぶりという。2021年1月21日には同年初場所12日目で勝ち越し決め1905年明治38年5月場所若木野以来116年ぶりの、50歳以上の力士による勝ち越しとなった50歳を迎え前に引退の話も出て師匠2020年7月場所後に「もうそろそろ、という話も正直ある」と話していたが、2019新型コロナウイルス感染拡大影響吹が働く予定職場受け入れ態勢整わず引退時期延びたとされる結果的に前述高齢記録樹立され格好となった西序二段77目で迎えた2021年3月場所では、3連敗8日目4番相撲で同場所初勝利を挙げ通算勝利数669勝(764敗)として元横綱朝青龍並びその後10日目取組敗れ同場所負け越したものの、12日目の6番相撲勝利し朝青龍記録超えた。またその前日現役力士中通2位の785勝を挙げていた横綱鶴竜引退したこともあり、通算勝利数白鵬玉鷲に次ぐ現役力士3位となった。そして、2021年5月場所の7番相撲勝利し通算勝利数673勝(770敗)として元横綱輪島並んだ2022年1月場所、西序二段89目だったこの場所を最後に51歳7か月現役引退吹の引退によって昭和時代入門した力士1人も居なくなった神戸市に自らの四股名付けた飲食店開業する傍ら広島県福山市タクシー会社社長立浪部屋後援会員と知己であった縁もあり、同年4月から同社就職している。

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