第8次イゼルローン攻防戦
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「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「第8次イゼルローン攻防戦」の解説
宇宙暦798年/帝国暦489年4月~5月。帝国軍科学技術総監シャフト技術大将の提案した「ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊にワープさせ、イゼルローン要塞との戦いに利用する」というプランに基づいて実行された戦い。投入された艦艇は16,000隻。動員された将兵は200万人。作戦司令官はケンプ大将。副司令官はミュラー大将。ワープ装置の設置と実験も両者が行い、3月19日にワープ実験に成功、ラインハルトによって作戦が正式に承認される。 これに先立ち、フェザーンのアドリアン・ルビンスキーとルパート・ケッセルリンクの工作によってヤンに叛乱の意図ありという情報が同盟内に流され、ヤンはハイネセンに呼び戻されて同盟政府の査問会にかけられた。その最中の4月10日、ガイエスブルク要塞がイゼルローン回廊に出現し、戦闘が開始された。この知らせにより、査問会は不承不承ヤンを解放し、4つの寄せ集めの独立艦隊約5000隻を援軍として救援に向わせた。到着は最短で4週間後であった。 宇宙暦798年/帝国暦489年4月10日、哨戒に出ていた同盟軍ギブソン艦隊(OVAではニルソンのユリシーズに変更されている)がイゼルローン回廊にてガイエスブルク要塞のワープアウトに遭遇し、イゼルローン要塞司令部に敵来襲を報告した。ヤン不在のイゼルローン要塞は、司令官代理のキャゼルヌ少将が指揮を執り、キャゼルヌはハイネセンに敵襲の報を知らせると共に、ヤンが要塞に帰還するまで防御に徹する戦略を採る事にした。ガイエスブルク要塞は互いの要塞主砲の射程内に入るまで、イゼルローン要塞に接近を続け、数時間後、ガイエスブルク要塞の主砲ガイエス・ハーケンとイゼルローン要塞の主砲トゥールハンマーの撃ち合いという派手な砲撃戦によって開戦の火蓋が切られた。 次に、帝国軍は強襲揚陸艦を進行させて装甲擲弾兵による要塞の占領を試みるが、要塞外壁にてシェーンコップ率いるローゼンリッター連隊の迎撃にあい、揚陸作戦は失敗した。しかし、ケンプにとってはこれは序の口に過ぎず、帝国軍は数日の膠着期間を挟んで次の作戦を開始した。ケンプは駐留していたミュラー艦隊を出撃させ、要塞後方に配置したうえで、ガイエスブルク要塞をさらにイゼルローンへと接近させた。再び要塞主砲による撃ち合いが始まったが、やがて引力によって両要塞の流体金属層が前面に引き寄せられて厚みを増したことで、イゼルローン要塞の側はトゥールハンマーが流体金属に没して使用不可となってしまうと同時に後方の流体金属層が干上がり、外壁が露出し、そこにミュラー艦隊が猛攻を仕掛け、史上初めて艦砲によってイゼルローン要塞の外壁が破られた(イゼルローン要塞の流体金属層はOVA独自の設定であり、これを利用した戦法も同様にOVA独自のものである)。 ミュラーは外壁に開いた穴からワルキューレと強襲揚陸艦を突入させ、要塞内部の制圧を図るも、要塞から緊急発進した戦闘機隊によって防がれた。その最中、メルカッツ客員提督が駐留艦隊の指揮を提案し、キャゼルヌもそれを承認した。要塞より出撃した艦隊はミュラーの裏をかいて敵艦隊を各分艦隊と浮遊砲台のクロスファイアポイントに誘導し、包囲攻撃をかけた。ミュラーの必死の防戦と要塞のケンプがアイヘンドルフ/パトリッケン両少将に予備兵力5,000隻を与え救援に向かわせたため、ミュラー艦隊はかろうじて脱出に成功した。しかし、帰還したミュラーはケンプから叱責を受け、後方に下がるよう命令されている。これを受けミュラーは今回の任務に際して功を焦った様子が見られるケンプが功を独占するつもりではと疑念を抱き、帝国軍内部に不協和音が生じることとなった。 同盟軍はキャゼルヌ司令官に実戦指揮の経験が少ない事と、彼がヤンの到着を待つという戦略を採ったため、常に後手に回る展開となった。しかし、幕僚の努力に加えて客員提督であるメルカッツの助言や艦隊指揮を得て、帝国軍をよく防いだ。また、ヤンの不在が帝国軍には知られず、前遭遇戦のアイヘンドルフ同様ケンプが自重した事もあって、攻略されるには至らなかった。ミュラーは後方に回されると同時期に捕虜からの情報と相手の様子からヤン不在とイゼルローンへの援軍を予測し、約3000隻を索敵と警戒の網として回廊全体に張り巡らしたが、ケンプが意見を却下したため確認と待ち伏せが出来なかった。 その後は膠着状態が続き、5月に帝国の偵察部隊が同盟の援軍を発見した。ケンプは時間差による各個撃破を立案したが、ユリアンがその作戦を見抜いて逆手に取る事を提案した。これにより、帝国軍は挟撃されて殲滅されかかったが、窮地に追い込まれたケンプがガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけて破壊する事を思いついた。そもそもラインハルトとヤンはいずれもガイエスブルク要塞による特攻を考慮しており、もし最初にその戦術を採られれば対処のしようがないとヤンは述べている。しかしヤンはガイエスブルク要塞が動き出す瞬間を狙って16基の移動用エンジンの1基を艦隊全体のピンポイント砲撃で破壊した。結果、ガイエスブルク要塞はバランスを崩して艦隊を巻き込みながらスピンを始め、そこをイゼルローン要塞がトゥールハンマーで砲撃し、ガイエスブルクは爆発・崩壊に至った。ケンプは要塞内で死亡。要塞内及び周辺宙域の帝国軍残存部隊のほとんどが爆発に巻き込まれる形で損害を被り、ミュラーは旗艦リューベックの艦橋で肋骨4本(OVAでは、肋骨が数本と診断されている)の骨折を含む全治3ヶ月の重傷を負いながらも、艦橋に医療ベッドを据え付けさせて敗残兵を纏めて撤退の指揮を執り続けた。こうして、ジークフリード・キルヒアイス終焉の場でもあるガイエスブルク要塞は、宇宙から消え失せた。 その後援軍の一隊であるアラルコン少将と駐留分艦隊のグエン少将以下約5,000隻がヤンの意思に反して追撃に向ったが、援軍として途中まで来ていたミッターマイヤー上級大将とロイエンタール上級大将の両艦隊に逆撃され全滅。それを知ったヤンは撤退し、帝国側も引き上げたため、戦いは終了した。 帝国軍は15000隻以上の艦艇と180万人の将兵を失ったが、ケンプは敗死しながらも上級大将に特進。ミュラーも罰は受けなかった。シャフトは敗戦の責任こそ問われなかったものの、用済みと判断したフェザーン側の密告により汚職が暴露され、ケスラー率いる憲兵隊に逮捕された。 OVA版では、この戦いの裏には「アムリッツァ、クーデターで同盟が傷ついたのに合わせ、今度は帝国に傷ついてもらってパワーバランスを維持しよう」というルビンスキーの意図があった、という設定が付け加えられ、移動要塞の技術もシャフトが開発したのではなく、フェザーンからの横流しということになっている。 しかし、ラインハルトの改革によって立ち直った帝国と、アスターテ会戦・アムリッツァ会戦・クーデターの傷が癒えぬ同盟との国力差は、すでに「調整不能」なまでに開いてしまっていた。それを知ったルビンスキーは、フェザーン伝統の勢力均衡策を放棄。同盟を切り捨てて「勝ち馬」ラインハルトに全面的に乗り換える、そしてフェザーンではなくルビンスキー個人が「馬」を御して銀河を制することを決意する。 なお、道原版コミックではこの戦闘とヤンの査問会は全面カットされ、ケンプは明確な描写もなくいつの間にか登場しなくなっている。
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