第8次ピブーン内閣
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「プレーク・ピブーンソンクラーム」の記事における「第8次ピブーン内閣」の解説
1957年3月21日 - 1957年9月16日 第8次ピブーン内閣が発足した年の9月から、ピブーンソンクラームの政権を揺るがす事件が勃発した。まず12日にサリット・タナラット陸軍元帥、タノーム・キッティカチョーン陸軍中将らが軒並み自由マナンカシラー党を離脱。翌日にはサリット・タナラットが、ピブーンソンクラーム首相とパオ・シーヤーノン警察局長の解任を迫った。15日には王宮広場のハイド・パーク運動により、ピブーン政権が批判された。サリットは時機が熟したと判断し、組織しておいた兵団を用いて、翌日の16日にクーデターを行った。これによりポット・サーラシン(英語版)が新たに首相として就任した。
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