特急車時
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「小田急1700形電車」の記事における「特急車時」の解説
第1編成は東急車輛製造で製造され、保土ケ谷まで輸送されたが、当時の相模鉄道の貨物列車は蒸気機関車が牽引しており、運用の都合で海老名に到着するのは保土ケ谷到着の翌日とされていた。しかし、1日でも早く営業運行を開始したいという小田急の意向から、当日の貨物列車の最後尾に連結し、相模国分駅(当時)で切り離しを行い、そこから自力回送を行なうことで海老名から入線している。 1951年2月に箱根特急として運用を開始し、同年7月には新宿到着後に片瀬江ノ島まで往復する「納涼ビール列車」にも使用された。第1編成の好評を受け、同年8月には第1編成と同様に台枠や走行機器などは流用品とした第2編成が日本車輌製造東京支店で製造された。第2編成では小田急ロマンスカーのシンボルである「ヤマユリ」のアルミ製エンブレムが車体中央腰部に取付られ、追って1953年7月に第1編成にも取付けられた。 1951年2月の第1編成の使用開始時の特急は毎日運行3往復、休前日運行0.5往復、休日運行0.5往復、休前日・休日運行0.5往復が設定され、新宿 - 小田原間を80分で運転するダイヤであり、各列車は以下の通りであった。なお、特急列車はダイヤ改正時に最大運転時の列車を設定し、需要および車両運用に応じて月ごとに運転列車を決定する方式となっており、箱根湯本到着後に折返し上り列車とするまで時間がある場合には一旦足柄に回送して留置していた。 下り1(あしがら、毎日):新宿8:00発→箱根湯本9:35 4001(明神、休日):新宿9:00発→箱根湯本10:35 4003(明神、休前日):新宿13:00発→箱根湯本13:35 3(はこね、毎日):新宿14:00発→箱根湯本15:35 5(乙女、毎日):新宿17:00発→箱根湯本18:35 上り2(あしがら、毎日):箱根湯本10:00発→新宿11:35 4002(明神、休前日・休日):箱根湯本15:00発→新宿16:35 4(はこね、毎日):箱根湯本17:00発→新宿18:35 6(乙女、毎日):箱根湯本19:00発→新宿20:35 第1編成の好評を受け、1951年8月には第1編成とほぼ同仕様で、同様に台枠や走行機器などは流用品とした第2編成が日本車輌製造東京支店で製造された。第2編成の使用開始に伴い座席指定制が開始され、同年10月1日ダイヤ改正では新宿 - 小田原間78分、毎日3往復、休前日0.5往復、休日1.5往復、休前日・休日0.5往復となった。また、1952年7月からは新宿到着後に江ノ島線の片瀬江ノ島まで往復する「納涼ビール列車」にも使用され、1954年からは夏期臨時特急に本形式が使用されるようになり、特急料金が必要となった。これらの列車の列車名は箱根特急が「あしがら」「明神」「乙女」「はこね」「あしのこ」「はつはな」「神山」「金時」、江ノ島線が「かもめ」「ちどり」であった。 しばらくは2編成で運用されており、検査時や増発時には引き続き1910形(2000形)も使用されていたが、設備面の格差が大きいことによる苦情もあった。また、その時期には特急の営業成績も良好であり、1700形の営業的な成功は明確になっていたことから、第3編成は外観が若干変更された完全な新造車両となった。1952年8月の第3編成使用開始により特急を1700形だけで賄うことができるようになり、12月のダイヤ改正では下りのみ新宿 - 小田原間76分、新宿 - 箱根湯本間90分運転となり、翌1953年4月21日の改正ではさらに1往復が増発されており、1953年5月における箱根特急および同年夏季ダイヤにおける江ノ島特急・納涼電車の各列車は以下の通りであった。 箱根特急:下り4001(あしのこ、毎日):新宿7:00発→箱根湯本 1(あしがら、毎日):新宿8:00発→箱根湯本 4005(明神、毎日):新宿9:00発→箱根湯本 4007(はつはな、休前日):新宿12:00発→箱根湯本 3(はこね、毎日):新宿14:00発→箱根湯本 4003(神山、休前日):新宿15:00発→箱根湯本 5(乙女、毎日):新宿16:00発→箱根湯本 箱根特急:上り2(あしがら、毎日):箱根湯本10:00発→新宿 4006(明神、毎日):箱根湯本14:00発→新宿 4(はこね、毎日):箱根湯本16:00発→新宿 4002(明神):箱根湯本17:00発→新宿 6(乙女、毎日):箱根湯本18:00発→新宿 4004(明神、毎日):箱根湯本19:00発→新宿 江ノ島特急:下り67(かもめ、除休日):新宿7:00発→片瀬江ノ島 83(ちどり、除休日):新宿10:00発→片瀬江ノ島 江ノ島特急:上り68(かもめ、除休日):片瀬江ノ島16:05発→新宿 80(ちどり、除休日):片瀬江ノ島19:10発→新宿 納涼電車:下り4051(すずかぜ、毎日):新宿17:50発→片瀬江ノ島 4053(いそかぜ、除休日):新宿18:50発→片瀬江ノ島 納涼電車:上り4052(すずかぜ、除休日):片瀬江ノ島21:20発→新宿 4054(いそかぜ、毎日):片瀬江ノ島22:00発→新宿 その後も特急の利用者数は増加の一途をたどり、さらなる増備が要望されていたため、当時開発・設計が進められていた画期的な高性能新型特急車両の導入が1954年9月11日の常勤役員会において決定されるのと同時に暫定的な特急車両として2300形の導入も決定され、1955年4月1日より本形式とともに特急車として使用された。 列車内のシートサービスの「走る喫茶室」の運営は、1910形(1910形)に引続き、箱根特急は日東紅茶(三井農林)が担当した一方、納涼電車は新宿ライオン(日本麦酒(現サッポロビール)が運営していたビアホール)が担当していた。 1957年7月に3000形SE車が使用開始となり、これが第3編成まで揃った時点で本形式の特急での運用が終了することとなり、同年夏の江ノ島特急の運用が最後となった。 なお、特急列車として使用されていた間の第1編成の改造履歴は以下の通り 1952年10月:各車の台車および主電動機を第3編成と同じ、新規に購入されたFS-108台車とMB-146-CF主電動機に変更、もとのKS-33-L台車とMB-146-CF主電動機はデハ1600形に戻され、MD-5台車はサハ2051に戻された。 1953年7月:室内灯の蛍光灯化、車体側面の紋章を第2編成以降と同じヤマユリの紋章に変更。 同じく第2編成の改造履歴は以下の通り 1953年3月:各車の台車および主電動機を第3編成と同じ、新規に購入されたFS-108台車とMB-146-CF主電動機に変更、もとのKS-33-L台車とMB-146-CF主電動機はデハ1600形に戻され、TR23台車は予備台車とされた。 時期不明:室内灯の蛍光灯化。 同じく第3編成の改造履歴は以下の通り 1955年頃:標識灯を第1編成、第2編成と同じ外付け式のものに交換、前面窓上部と前面車体裾部に手すりを追加。
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特急車時
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「小田急2300形電車」の記事における「特急車時」の解説
1955年4月1日より特急列車として運用を開始しており、これに先立つ3月25日のダイヤ改正で、箱根特急はそれまでの1700形3編成による最大7往復から、1700形3編成と2300形1編成による最大9往復に増発されている。1700形の編成定員が3両編成で186人であったのに対して、本形式では4両編成で240人と増加して特急ロマンスカーの輸送力増強に貢献しており、利用客の多い時間帯の「あしがら」「はこね」での運用でよく用いられていた。このダイヤにおける4月時点での箱根特急の各列車は以下の通りで、新宿 - 小田原間は76分の運転であったほか、夏季の江ノ島特急および納涼電車でも運用されていた。なお、特急列車はダイヤ改正時に最大運転時の列車を設定し、需要および車両運用に応じて月ごとに運転列車を決定する方式となっていた。 下り4003(あしのこ、休日):新宿8:00発→箱根湯本 4005(明星、毎日):新宿8:30発→箱根湯本 4007(あしがら、毎日):新宿9:00発→箱根湯本 4009(さがみ、毎日):新宿9:30発→箱根湯本 4011(初花、休前日):新宿12:00発→箱根湯本 4013(明神、毎日):新宿13:00発→箱根湯本 4015(はこね、毎日):新宿14:00発→箱根湯本 4017(乙女、毎日):新宿15:00発→箱根湯本 4019(神山、休日・休前日):新宿16:00発→箱根湯本 上り4002(あしのこ、運転無し):箱根湯本10:00発→新宿 4004(あしがら、毎日):箱根湯本11:00発→新宿 4005(明星、毎日):箱根湯本12:00発→新宿 4006(さがみ、毎日):箱根湯本13:00発→新宿 4010(初花、休前日):箱根湯本14:00発→新宿 4012(明神、毎日):箱根湯本15:00発→新宿 4014(はこね、毎日):箱根湯本16:00発→新宿 4016(乙女、毎日):箱根湯本17:00発→新宿 4018(神山、休日・休前日):箱根湯本18:00発→新宿 1956年4月にはさらに1往復(金時、新宿発17:00、箱根湯本発19:00)が増発された。その後、1957年7月にSE車が運用を開始し、同年夏の江ノ島特急をもって1700形が特急列車の運用から外された後はSE車3編成と本形式1編成で特急列車が運行され、1958年4月のダイヤ改正では新宿 - 小田原間70分運転となっていたが、SE車の第4編成の導入に伴う1959年4月1日のダイヤ改正で箱根特急の全列車がSE車による新宿 - 小田原間の67分運転となったため、当初より「SE車が導入するまでのつなぎ役」という目的で製造された本形式は特急車両の運用から外された。
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