特急車の冷房化から鴨東線開業まで
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「京阪特急」の記事における「特急車の冷房化から鴨東線開業まで」の解説
1971年(昭和46年):守口付近の複々線化工事の進捗、樟葉駅の移転改良工事、新門真駅(現:門真市駅)の完成による運転間隔の15分ヘッドへの変更に伴い、冷房装置およびカラーテレビを搭載した3000系 (初代)が登場。特急増発の一方で、三条駅発の時刻は毎時7、22、37、52分ときりの良い時刻でなくなり、最終特急が淀屋橋・三条発とも23:30に繰り上げられた。3000系特急への乗客集中や、阪急2800系電車の冷房化、国鉄の新快速登場もあって、特急は3000系への統一が決定、1900系は順次一般車へ格下げ改造される。 1973年(昭和48年):全ての特急が3000系となり、特急車の予備編成も1本から2本に増えた。一方で1900系は定期特急運用を完全に失った。 1975年(昭和50年):この頃、最終特急が30分繰り上げられ、淀屋橋・三条発とも23:00となった。 1987年(昭和62年)6月1日:七条駅 - 三条駅間地下化工事完成(同年5月24日)に伴うダイヤ改正で、早朝と深夜に運転されていた3 - 4両編成の特急が全て6 - 7両編成となる。 1989年(平成元年)9月27日:鴨東線開業に伴うダイヤ改正で、運用増加分の補充と3000系の7両編成への統一のために8000系が登場。淀屋橋駅23:20発の最終特急を増発。当初8000系は7両1編成と3000系6両編成への増結中間車が投入されたが、8000系への反響が大きかったことや、鴨東線開業による乗客増が予想以上であったために3000系の置き換えへと至り、同系列は大半がそのまま廃車となり、先頭車は富山地方鉄道や大井川鉄道(現:大井川鐵道)に譲渡される。その後の時代情勢の変化や寝屋川市駅高架化工事による運用増加に合わせて同系列は7両1編成と2両の予備車が残存することになった。
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