特急誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:11 UTC 版)
「東海道本線優等列車沿革」の記事における「特急誕生」の解説
1912年(明治45年)6月 新橋駅 - 下関駅間に日本初となる「特別急行」(特急)1・2列車が運転を開始。前述した最急行を格上げ・区間延長する形で運行された。特急1・2列車は一・二等車のみで構成され、最後尾には一等展望車を連結したが、大衆が多く利用していた三等車は連結されなかった。 また、当時行われていた東京からパリ・ロンドンに至るまでの国際連絡運輸の一環を担っていた。 そのような豪華列車であり要人や外国人も多く利用したことから、この列車の業務を取り仕切った列車長(シェフ・ド・トラン)は英語が話せた。 この列車は日露戦争に勝利して列強(五大国)の仲間入りした日本の威信を象徴するものでもあり、設備・装飾なども相当豪華なものとなっていた。 同時に新橋駅 - 神戸駅間に二・三等急行9・10列車(和食堂車連結)、一・二等不定期急行11・12列車(一等・二等寝台車、洋食堂車連結)が新設された。 1914年(大正3年)12月 新橋駅に変わる東京のターミナル駅として、1908年(明治41年)3月から建設が進められていた「東京駅」が開業。特急列車などの東海道本線の列車は全て東京駅始発となった。 1921年(大正10年)8月 それまでの東海道本線は、大津駅(現在の膳所駅) - 京都駅間で南回りの遠回り経路をとっていたが、この時現在のルートが新逢坂山トンネル (2325.5m) の開削によって開通し、距離がそれまでと比べて4.5km短縮された他、同区間に存在していた急勾配も解消され、列車の大幅なスピードアップに貢献した。 1923年(大正12年)7月 東京駅 - 下関駅間に、それまで唯一の特急列車であった1・2列車に加え、特急3・4列車が設定される。1・2列車は一等車・二等車のみの編成だったのに対して、3・4列車は三等車のみで編成され、食堂車も1・2列車が洋食堂車だったのに対して、3・4列車は和食堂車だった。 なお、1・2列車と3・4列車は数十分の間隔を置いて運行(続行運転という)された。 1923年(大正12年)9月 関東大震災が発生し、東海道本線は甚大な被害を受け約2か月間不通、開通後も1926年ごろまで列車は減速運転を行った。
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