特急運用上の特色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:09 UTC 版)
1986年頃以降、1997年までは特急車は定期ダイヤでは特急以外の列車に使用されることはなく、突発的な車両交換や、競馬開催時や夏季の祭事時の臨時列車、正月ダイヤで急行以下の列車に使用される場合を除き、車両基地への出入庫は全て回送列車で行っていた。なお、2018年9月改定以降はプレミアムカー専属アテンダントの拠点が京橋駅であることから、再び車両基地への出入庫は全て回送列車としている。 2000年以降、通勤車運用による特急が特急車運用の急行以下の列車を追い抜くという光景が見られたこともあった。 快速特急「洛楽」・ライナー・特急・通勤快急・快速急行の始発・終着駅(淀屋橋・中之島・出町柳駅)でのドア扱いは、独特の手順を践んで行われる。乗客の降車を確認後、一旦扉を閉めて車内整理(簡易清掃のほか、車両によっては転換クロスシートの方向転換および補助椅子の施錠)の後、扉を開けて乗車を促すアナウンスを行う。折り返し時間に余裕がない場合や、回送で到着した場合は、車内整理とその前後のドア開閉は省略される。2017年2月25日のダイヤ改定前日までは、一旦手前の停止位置に停車し、降車・車内整理の後、正規の停止位置に移動してから扉を開けていた。 長らく特急は臨時列車であっても大阪側は淀屋橋駅発着を原則としていた。祇園祭や五山送り火に合わせて平日夕方ラッシュ時に臨時特急を運転する際には、運転時刻が接近する区間急行や普通を淀屋橋駅発着から天満橋駅発着に変更していた。1998年5月から1999年にかけては、一部が京橋始発で運転され、増備されたダブルデッカーへの着席チャンスを提供した。2000年正月以降は淀屋橋駅発着とし、同年7月1日のダイヤ改正より祇園祭および大文字五山送り火の臨時特急のみ天満橋駅発となった。特急が10分ヘッドとなった2003年以降は天満橋駅発着が増加した。2008年の中之島線開業後、臨時特急は原則中之島駅発着となったが、2011年3月より上りのみ原則淀屋橋駅発に戻るとともに、臨時快速特急(中書島・丹波橋駅停車)の運転を開始した。なお、中之島線開業後には枚方市駅始発の臨時特急出町柳行きが突発で運転された実績がある。 2005年10月23日には競馬客対応のため特急淀屋橋行き4本が急遽、淀駅に臨時停車。2009年5月3日にも競馬客対応のため特急の淀駅臨時停車を実施した。 中之島線開業後、競馬開催時には特急停車駅ではない淀駅始発の臨時特急淀屋橋行きが運転される場合がある。2011年5月28日ダイヤ改定前日までは通常の枚方市駅始発特急の延長運転で、それ以降は全区間臨時列車として設定される。 京阪間ノンストップ(京橋駅 - 七条駅間無停車)時代には、上り・下りとも一定区間に達したところで、おおよその残り時間を見きわめつつ「ご案内いたします。京橋(七条)には、ただいまから約30分で到着いたします。」とアナウンスされていた。 同様に、特急が停車する各駅での案内が下記のように行われていた。当時は現在と異なり、停車駅の案内には終着駅を含んでいなかった。大阪市内の各駅(淀屋橋駅 - 京橋駅間)ではこう放送された。(例:淀屋橋駅の場合)「途中の停車駅は、北浜・天満橋・京橋と、京都の七条・四条(現在の祇園四条)・三条です。」 京都市内の停車駅(出町柳・三条・四条・七条の各駅)ではこう放送された。(例:出町柳駅の場合)「途中の停車駅は、三条・四条・七条と、大阪の京橋・天満橋・北浜です。」放送の出典は京阪電気鉄道が以前発売していたCD『旧3000系特急車引退記念 大伴英嗣氏懐かしのアナウンスCD』である(同CDには昭和50年代の放送と鴨東線開業当時の放送の2種類が収録されている)。 ひらかたパークでイベント(夏期のプールも含む)が開催される場合、昼間時の特急において、枚方公園駅付近を通過する際に車内CMが放送される。
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