特急電車開発へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:32 UTC 版)
「長野電鉄2000系電車」の記事における「特急電車開発へ」の解説
戦後の復興と観光客増加を背景とした長野電鉄の輸送力不足は著しく、1947年には東武鉄道からの供出車両導入に続き、翌1948年(昭和23年)からは電車の新造を開始した。 この時期に増備されたのは初代1000系および1500系と呼ばれる17m級・2扉電車のグループで、1953年(昭和28年)までに(木造車の鋼体化改造も含めて)電動車と制御車の合計14両が日本車輌製造東京支店で製造された。初代1000系と1500系の違いは、1500系が発電ブレーキ装備車という点である。製造途上で順次改良を受けつつ増備されたため、形態と形式はかなり複雑である。 初代1000系と1500系は大量増備で輸送力増強には著しく寄与したが、保守的な設計で性能は低く、旅客サービス面でも必ずしも十分な車両ではなかった。これらは湯田中直通の急行列車にも使用されたが、通勤形のロングシート車であり、1時間から1時間半の乗車時間を強いられる観光客には快適とはいえない設備だった。また、戦前型電車との部品互換性(=部品の統一)を優先して、非力な旧型モーターを搭載した手動加速車であり、特に付随車連結時にはパワーの絶対的な不足に悩まされたのである。 このような状況を改善するため、長野電鉄は1956年(昭和31年)5月、ついに新型特急電車の導入を決断する。同社は長年にわたる車両発注先の日本車輌製造に協力を求め、同社の東京支店で新型電車の開発が行われることになった。
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