準特急車時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 23:05 UTC 版)
「小田急2300形電車」の記事における「準特急車時」の解説
前述のとおり特急列車の輸送力は増強されていたが、需要増はそれを上回っており、1953年の春秋の行楽期の週末には定員制・ノンストップのサービス急行が運行され、1956年4月のダイヤ改正では下りは休前日3本、上りは休日3本が設定されて特急列車と同様に需要に応じ月ごとに運転本数が決められていた。その後1959年4月1日のダイヤ改正での特急全列車SE車化に合わせて、このサービス急行を座席指定制の準特急とすることとなり、特急運用から外された本形式4両1編成を2扉セミクロスシート車に改造したものと、新造した同じく2扉セミクロスシートの2320形4両2編成の計3編成をこの準特急として運用することになった。この3編成の設計条件は以下の通り。 2300形と2320形は座席指定列車で共通運用とするため、座席配置を合わせる。 通常の急行列車にも使用するため、乗降扉は幅1300 mmの両開扉とする。 クロスシート部は1500 mmピッチの固定クロスシート24席とする。 2320形は座席配置に関連する部分以外は2220形と合わせ、窓枠も同じものを使用する。 上記設計条件を基にした本形式の改造内容は以下の通り。 各車両に1300 mm幅の両開き扉を増設し、窓と扉の配置は先頭車のデハ2301・デハ2304がd1(1)D(1)6(1)D(1)2(d:乗務員扉、D:客用扉、():戸袋窓)、中間車のデハ2302・デハ2303は2(1)D(1)6(1)D(1)2とする(デハ2302の洗面所部は狭窓)。 座席は扉間に3ボックス6組の固定式クロスシートとロングシートを、車端部にロングシートを配置する。 デハ2303の放送室・喫茶スタンドを撤去。 室内壁面を浅黄色から淡緑色に変更し、室内灯、荷棚、吊り手、扇風機などは2220形と同一仕様に改造もしくは新設。 正面は下部中央に電照式方向幕を設置し、塗り分けも2200形と同様の直線パターンとしたほか、尾灯は窓上の種別灯と兼用として下部のものを撤去、前照灯下部の汽笛を撤去し床下に移設、前面窓ワイパーを2200形と同様のものに交換。 1959年4月のダイヤ改正より、2300形1編成と2320形2編成の共通運用を主体とした準特急の運転が開始され、下りは休前日3本、上りは休日3本が設定されて新宿 - 箱根湯本間95分で運転され、平日は主に急行などの料金不要列車に使用された。なお、場合によっては特急列車に充当されることもあったほか、当時は2両単位で車両検査が行われていたため、変則的な編成として4両編成の2300形および2320形それぞれ2両に分割したものを連結した4両編成で運行されることもあった。1960年3月25日ダイヤ改正における各列車は以下の通り。 下り2501(休前日):新宿13:21発→箱根湯本14:59着 2503(休前日):新宿14:21発→箱根湯本15:51着 2505(休前日):新宿15:21発→箱根湯本16:51着 上り2502(休日):箱根湯本16:05発→新宿17:39着 2504(休日):箱根湯本17:05発→新宿18:39着 2506(休日):箱根湯本17:35発→新宿19:04着 その後休日に新宿発9:50(2507列車)と箱根湯本発11:36(2508列車)が設定されたが、1963年4月1日ダイヤ改正より3100形(NSE車)2編成が導入され、同年11月4日にさらに2編成が導入されて特急の30分ヘッドでの運転が行われ、これに合わせて1963年4月1日ダイヤ改正で準特急という種別が廃止されることとなり、本形式はこれに先立つ2月に、2320形は5月に運用を外された。
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