沈没前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 23:52 UTC 版)
詳細は「ミッドウェー海戦」を参照 1942年5月27日、南雲忠一中将指揮のもと、第一航空艦隊(南雲機動部隊)第二航空戦隊旗艦としてミッドウェー海戦に参加すべく日本を出撃した。事前の作戦会議で近藤信竹中将/第二艦隊司令官が「ミッドウェー島占領後の補給維持は可能か」と質問すると、連合艦隊参謀長宇垣纏少将は「補給が不可能なら、守備隊はあらゆる施設を破壊して撤退する」と答え、山本五十六連合艦隊長官は何も言わなかった。 日本時間6月5日、南雲機動部隊(第一航空戦隊《赤城、加賀》、第二航空戦隊《飛龍、蒼龍》、第三戦隊第1小隊《榛名、霧島》、警戒隊《第十戦隊〔長良〕、第10駆逐隊〔夕雲、巻雲、風雲〕、第17駆逐隊〔谷風、浦風、浜風、磯風〕、第4駆逐隊〔嵐、野分、萩風、舞風〕》)はミッドウェー島北西海域に到達した。午前1時30分、南雲機動部隊からミッドウェー島への第一次攻撃隊が発進する。この時の出撃陣容は各空母共に零戦は稼働半数の9機、攻撃機は第一航空戦隊は九九艦爆の稼働全18機、第二航空戦隊は逆に九七艦攻の稼働全18機を出撃させている。このうち九七艦攻1機がエンジン不調で引き返し、5機(2機不時着)がアメリカ軍戦闘機と対空砲火の迎撃で撃墜された。帰艦した機も大なり小なり損傷しており、使用不能機艦攻4、零戦2、修理後使用可能艦攻9、零戦7という状況だった。友永丈市大尉隊長機も右翼のガソリンタンクを撃ち抜かれ、無線機はアメリカ軍戦闘機の12.7mm弾で破壊され、小型黒板を用いて二番機に通信代行を行わせている。アメリカ軍は日本軍の攻撃に備えてミッドウェー基地の防備を強化しており、一度の空襲では戦力を失わなかったのである。そこで友永大尉は南雲司令部に対し「陸上基地第二次攻撃の必要性あり」と連絡する。これを受け南雲司令部はアメリカ軍機動部隊出現に備えて待機させていた第一航空戦隊(赤城、加賀)の九七艦攻を魚雷から陸用爆弾に兵装転換することを命じた。艦攻搭乗員によれば、ネジの止めはずしに細心の注意を要するため、投下器の交換には通常3時間かかるという。また同様に第二航空戦隊に対しても九九艦爆の対艦爆弾を陸用爆弾に変更するよう命令している。 午前4時40分、利根の索敵機が「敵らしきもの10隻みゆ」と報告した。一航艦参謀長草鹿龍之介少将は、空母が付近にいると思うと同時に「敵らしき」だけでは命令の変更には不十分であり、「艦種知らせ」と利根機に指示した。利根からの電報を受ける直前、あるいは受けた後に、飛龍の山口司令官が掌航海長の田村士郎兵曹長に指示して「本朝来種々の敵機来襲にかんがみ、敵機動部隊出撃の算あり。考慮せられたし」という信号文を赤城に送ったという主張もある。午前5時20分、利根の偵察機4号機は敵空母の存在を伝えた。山口少将は、駆逐艦「野分」を中継し、準備を進めている陸用爆弾のままで攻撃隊を即時発進させるべきと第一航空艦隊司令部に意見具申したが、第一航空艦隊司令部は、戦闘機の掩護なしでの攻撃隊発進を躊躇し、さらに第一次攻撃隊の収容を優先したため、山口の進言を却下した。第二航空戦隊(飛龍、蒼龍)は雷装九七艦攻(友永隊)の出撃可能時刻を午前7時30分〜午前8時に準備可能と報告している。 その後、南雲機動部隊はミッドウェー基地から発進した大型爆撃機B-17、急降下爆撃機SB2Uビンジゲーター、SBDドーントレス、雷撃機TBFアベンジャーの波状攻撃を受けた。午前5時頃の空襲では、飛龍から戦死者4名を出した。赤城では「飛龍被弾」と誤認している。各空母が直衛零戦の発進と兵装転換に追われ、特に第一航空戦隊(赤城、加賀)は時間の掛る爆弾から魚雷への兵装転換なので、格納庫には多数の爆弾が乱雑に転がっている状態となり。蒼龍でも帰艦した第一次攻撃隊の九七艦攻に搭載する為に格納庫に揚げられていた魚雷18本があった。アメリカ軍機動部隊攻撃隊は南雲機動部隊に接近した。午前7時30分頃、赤城、加賀、蒼龍の3空母はSBDドーントレス急降下爆撃機の奇襲により被弾、格納庫内の魚雷・爆弾に誘爆して一挙に戦闘不能となった。 飛龍はアメリカ軍機動部隊の雷撃隊の攻撃を受け、三空母(赤城、加賀、蒼龍)から離れていった。これは左舷艦橋故の航行序列が幸いし、雷撃隊の来襲方向とその退避行動により他の母艦から左舷方向へ離れる進路をとる事となる、そしてその進路方向にあるスコールへ逃れようと移動した為に更に距離が大きく開き、後の急降下爆撃隊の攻撃を南雲機動部隊空母4隻中1隻だけ免れる事となった。山口多聞少将は飛龍乗組員に対し「飛龍を除く三艦は被害を受け、とくに蒼龍は激しく炎上中である。帝国の栄光のため戦いを続けるのは、一に飛龍にかかっている」と宣言した。午前8時、小林道雄大尉指揮のもと、九九艦爆18機(250kg通常爆弾12、陸用爆弾8)、零戦5又は6機が発進し(5又は6機なのは文献及びそのページによって記載数が違う)米空母ヨークタウンを攻撃する。爆弾3発命中(日本軍記録6発命中)により中破させるが、小林隊長を含む艦爆13機、零戦4機(不時着1)を失う。被弾による使用不能艦爆1、修理後使用可能艦爆2、零戦1だった。午前11時30分に発進した飛龍第三次攻撃隊は加来艦長より「お前たちだけ死なせやせん」と訓示を受け、友永大尉指揮のもと九七艦攻10機・零戦6機が出撃。再びヨークタウンを攻撃し、魚雷3本の命中を記録(アメリカ軍記録2本)して航行不能とした。そのかわり、友永隊長を含む艦攻5、零戦3(不時着1)が撃墜され、使用不能艦攻4、修理後使用可能艦攻1、零戦3という損害を出す。飛龍上空の直衛戦闘でも零戦5機(不時着1)を失い、被弾した三空母から零戦や艦攻を受け入れたものの、飛龍の航空戦力は消耗しきっていた。 日本軍は、空母蒼龍から発進した十三試艦上爆撃機(艦上爆撃機「彗星」試作機を偵察機に改造した機体)の偵察結果や、第4駆逐隊(司令有賀幸作大佐)の駆逐艦嵐捕虜尋問結果報告から、アメリカ軍の空母戦力が空母3隻(エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン)であることを知った。さらに飛龍攻撃隊が二度ヨークタウンを攻撃した事に気づかず、別の空母を撃沈・撃破したと錯覚したため、残る米空母は1隻と判断している。山口少将は飛龍第三次攻撃隊を準備させたが、残存戦力は零戦10、艦爆5、艦攻4しかなかった。昼間強襲をあきらめた山口少将は薄暮攻撃を決定し、前述の十三試艦爆が索敵のため飛龍の飛行甲板で発進準備にとりかかった。周囲を第三戦隊(榛名、霧島)、第八戦隊(重巡洋艦筑摩《第八戦隊旗艦》、利根)、軽巡洋艦長良(第十戦隊旗艦、南雲忠一中将、草鹿龍之介参謀長乗艦)が囲み、防御を固めた。これに対し、空母ヨークタウンの偵察機は「空母1、戦艦1、重巡2、駆逐艦4」の艦隊発見と位置情報を打電し、アメリカ軍攻撃隊の誘導を行った。
※この「沈没前」の解説は、「飛龍 (空母)」の解説の一部です。
「沈没前」を含む「飛龍 (空母)」の記事については、「飛龍 (空母)」の概要を参照ください。
- 沈没前のページへのリンク