荒天と過積載による沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 03:36 UTC 版)
「紀州 (フェリー)」の記事における「荒天と過積載による沈没」の解説
1999年12月22日、5時ごろ、セブ島のマンダウエからパナイ島のイロイロへ向かっていた本船は、荒天によりバンタヤン島沖で大波を受け、船内の電力が失われて航行不能となり、サンゴ礁に接触した後、沈没した。 付近を航行していた貨物船、ジョン・デクスター(MV Jon Dexter)は、右舷に照明が失われた沈没前の本船を発見して通報した。船上では救命胴衣が配布され、ラフトが展開された。ジョン・デクスターおよびフェリーSt. Peter the Apostle(元第三十二阪九)により救助活動が行われ、フィリピン海軍の艦艇やヘリコプターが現場に到着するまでに多くの生存者を救出した。 本船は、出港前の沿岸警備隊の検査で過積載が発見され、出港が差し止められていた。出港の許可は、過剰な乗客を降ろすことで与えられた。沿岸警備隊は乗客614名、乗員58名の定員を承認しており、トランスアジア・シッピングラインは事故発生当時、乗客606名、乗員52名が乗船していたと発表したが、捜索救助に当たった現地の軍当局は、755名が乗船していたと推定した。死亡者の数は錯綜しており、Philippine Daily Inquirerは死者を42名と報道したが、民間防衛局では45名としていた。また、国際海事機関の2008年の海上安全報告書では56名と報告されている。 2000年、船長および一等航海士は安全な航海に失敗し、人的損害および物理的損害を引き起こしたことで有罪となった。
※この「荒天と過積載による沈没」の解説は、「紀州 (フェリー)」の解説の一部です。
「荒天と過積載による沈没」を含む「紀州 (フェリー)」の記事については、「紀州 (フェリー)」の概要を参照ください。
- 荒天と過積載による沈没のページへのリンク