対潜群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:03 UTC 版)
「アーク・ロイヤル (空母・初代)」の記事における「対潜群」の解説
1939年9月3日開戦が通達された。第二次世界大戦の発生により、ドイツのUボート艦隊がイギリスの海岸を席巻し、イギリス海運を遮断する可能性があることが予見されていた。戦争開始から数時間以内に、旅客船アセニアはU-30によって雷撃され沈んだ。これは開戦の最初週におけるUボートによって沈められた65,000トン以上の船舶の一番目である。アーク・ロイヤルも、対潜群("hunter-killer" group)の一翼として本国艦隊の北西近海に配備された。この対潜群はカレイジャス、ハーミスまたはアーク・ロイヤルの空母と周囲の駆逐艦その他の対潜水艦で構成される。艦載機はUボートの探索域を広げたが、同時に空母を魅力的な標的にした。9月14日、アーク・ロイヤルはファナド・ヘッド(Fanad Head)から救難信号を受けたが、これは浮上したU-30の追跡によるもので200 海里(230 mi; 370 km)離れた場所であった。アーク・ロイヤルは商船を救援するために艦載機を放ったが、発見されたのはU-39で、アーク・ロイヤルに魚雷を2本発射した。見張りは魚雷の航跡を発見し、アーク・ロイヤルは攻撃方向に向くことで衝突断面積を縮小して魚雷は命中せず、無害に後方で爆発した。三隻のF級駆逐艦は空母を護衛し、爆雷攻撃でU-39を強制浮上させた。ドイツの乗組員は、U-39が沈没する前に船を放棄した-これが戦争中に失われた最初のU-ボートである。アーク・ロイヤルの艦載機が到達したファナド・ヘッドはドイツの搭乗員の手に落ちており、スクア艦爆はU-30の攻撃に失敗した。2機は自身の爆撃に巻き込まれて墜落した。Uボートは自身の搭乗員と、墜落したパイロットを救助した(両方の見張りが溺死していた)、そしてファナド・ヘッドを撃沈した。アーク・ロイヤルは拠点のユー湖(スコットランド北西の入り江)に戻り、艦と乗組員はウィンストン・チャーチルの査察を受けた。U-39の沈没は士気にとって重要であると賞賛された。しかしアーク・ロイヤルへの雷撃は失敗したものの、9月17日のカレイジャスへの雷撃が成功したため、海軍本部は空母を危険にさらす危険性が高いと確信し、空母中心の対潜群は放棄された。
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