植物のウイルス
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詳細は「植物ウイルス」を参照 20世紀の間に、植物の多くの「古い」病気がウイルスによって引き起こされていることが判明した。その中には、トウモロコシ条斑ウイルス(英語版)やキャッサバモザイクウイルスなどが含まれる。ヒトと同様、植物が近接して繁殖すると、そのウイルスも増殖し、その結果甚大な経済的損失と人類の悲劇が引き起こされる。1970年代を通じてヨルダンではトマトとウリ科植物 (キュウリ、メロン、ヒョウタンなど) が広く栽培されていたが、その全域がウイルスに感染した。同様にコートジボワールでは、30種類のウイルスが豆類や野菜に感染した。ケニアでは、キャッサバモザイクウイルス、トウモロコシ条斑ウイルス、ラッカセイのウイルス病によって、作物の最大70%が失われた。キャッサバは東アフリカで最も多く栽培されている作物で、2億人以上の人々の主食となっている。キャッサバは南アメリカからアフリカに持ち込まれ、貧しい土壌でも良く生育する。キャッサバの最も重要な病気は、ジェミニウイルスの1種キャッサバモザイクウイルスによって引き起こされ、シルバーリーフコナジラミを介して植物間に伝染する。この病気は1894年に最初に記録され、20世紀を通じて東アフリカでアウトブレイクが起こり、しばしば飢饉をもたらした。 1920年代にアメリカ西部のテンサイ農家は、ヨコバイに媒介されるビートカーリートップウイルス(英語版)の害による甚大な経済的損失に苦しんだ。1956年には、キューバとベネズエラの米の収穫高の25%から50%が稲葉枯れウイルス(英語版)によって壊滅した。1958年にはコロンビアでも多くの水田で損害が生じた。アウトブレイクは1981年に再発し、最大で100%の損失となった。ガーナでは、1936年と1977年にコナカイガラムシ(英語版)に媒介されるカカオ膨梢ウイルス(英語版)は1億6200万本のカカオの木に損害が生じ、その後も毎年1500万本の割合で失われていった。1948年アメリカのカンザス州では小麦の収穫高の7%が、チューリップサビダニ Aceria tulipae によって拡散されるコムギ条斑モザイクウイルス(英語版)によって壊滅した。1950年代にはポティウイルス(英語版)の1種パパイア輪点ウイルス(英語版)がハワイ・オアフ島のソロ種のパパイアに甚大な損害を引き起こした。ソロ種は前世紀に島へ持ち込まれたが、病気は1940年代以前には島では見られなかった。 このような災害は、人間の介入によって作物が新たな媒介者やウイルスと出会い、生態学的変化が引き起こされたことによって発生した。カカオは南アメリカ原産であり、19世紀後半に西アフリカに移入された。1936年に、コナカイガラムシによって自生樹木からプランテーションの樹木へカカオ膨梢病が伝染した。新たな生息地が植物のウイルス病のアウトブレイクを起こすこともある。1970年以前には rice yellow mottle virus はケニアのキスム地区でのみ見られたが、灌漑によって東アフリカの多くの地域で稲の耕作がなされるようになると、ウイルスは東アフリカ中に拡散した。人間の活動が、現地の作物に植物ウイルスをもたらすこともある。カンキツトリステザウイルス (CTV) は、1926年から1930年の間にアフリカから南アメリカへ持ち込まれた。同時期にミカンクロアブラムシ(英語版)がアジアから南アメリカへ移入し、ウイルスの伝染は加速された。ブラジルのサンパウロでは1950年までに、600万本以上の柑橘類の樹木がウイルスによって枯死した。CTVと柑橘類の樹木は、原産地では何世紀にわたって共進化してきたと考えらえる。CTVが他の地域へ移入され柑橘類の新たな変種と出会ったことで、植物病による壊滅的なアウトブレイクが引き起こされた。人間による植物ウイルスの移入によって引き起こされる問題のため、多くの国家は、危険な植物ウイルスや昆虫媒介者を含む可能性のある、いかなる物品に対しても厳しい輸入規制を敷いている。
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植物のウイルス
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1882年にマイヤーは、彼が「モザイク病」と名付けたタバコの病気について記載した。病気にかかった植物は、斑紋状のの斑入りの葉を持っていた。彼は菌類による感染の可能性を除外し、またいかなる微生物も検出することができず、この病気には「水溶性の、酵素のような感染原因が関与している」と推測した。彼は自分のアイデアをそれ以上追究することはなかったが、イワノフスキーとベイエリンクはこれまでに認識されていない感染因子が原因となっていることを示唆した。タバコモザイク病がウイルス病であると認識された後、他の多くの植物にもウイルスによる感染が発見された。 ウイルスの歴史において、タバコモザイクウイルスの重要性が強調されすぎることはない。それは発見された最初のウイルスであり、結晶化されて構造が詳細に解明された最初のウイルスでもある。結晶化されたウイルスのX線回折像は、ジョン・デスモンド・バナール (1901–1971) と Isidor Fankuchen (1905–1964) によって1941年に初めて得られた。1955年、ロザリンド・フランクリン (1920–1958) は彼女の回折像に基づいて、ウイルスの全体構造を解明した。同年、ハインツ・フレンケル=コンラート(英語版) (1910–1999) とロブリー・C・ウィリアムズ(英語版) (1908–1995) は、精製されたタバコモザイクウイルスのRNAとその外被タンパク質が自発的に集合し、機能的なウイルスを形成するを示した。おそらくこの単純なメカニズムによって、宿主細胞内でウイルスは作られている。 1935年までに、多くの植物の病気がウイルスが原因である考えられるようになった。1922年、John Kunkel Small (1869–1938) は、昆虫がウイルスを植物へ伝染する媒介者となることを発見した。その後の10年で、多くの植物の病気が昆虫が運ぶウイルスによって引き起こされていることが示された。1939年、植物ウイルス学の先駆者である Francis Oliver Holmes (1899–1990)は、植物の病気の原因となる129のウイルスについて記載した。現代の集約的な農業は、多くの植物ウイルスに豊かな環境を提供している。1948年にアメリカのカンザス州では、小麦の収穫高の7%がコムギ条斑モザイクウイルス(英語版)によって壊滅した。このウイルスはチューリップサビダニ Aceria tulipae によって媒介される。 1970年、ロシアの植物ウイルス学者 Joseph Atabekov は、植物ウイルスの多くが1種の宿主植物にしか感染しないことを発見した。国際ウイルス分類委員会は、現在では900以上の植物ウイルスを承認している。
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