木造二天王立像とは? わかりやすく解説

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木造二天王立像〈/(本堂安置)〉

主名称: 木造二天王立像〈/(本堂安置)〉
指定番号 3474
枝番 02
指定年月日 1998.06.30(平成10.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  本寺本堂国宝)の内陣宮殿内秘仏として安置される尊像で、半丈六薬師如来坐像五尺弱の脇侍立像左右に配した薬師三尊とその左右五尺ほどの多聞持国天像が固める。
 中尊は、頭体幹部を大略カヤの縦一材から彫出し、像底から頭部内に至る内刳施し、左体側材、右膝奥三角材、両足部(横一材)をそれぞれ矧ぐ両脇侍はともにカヤの縦一材から髻頂から蓮肉までの頭体幹部を彫出し、これに肩・手等を矧ぐものと思われる中尊の負う光背は、ヒノキ材製で頭光が縦四材製、身光部は縦五材からなる。さらに、二天王像は、両像とも邪鬼までを含む頭体幹部をカヤ材の左右二材から彫出し持国天には内刳施される
 現在、薬師三尊二天王像とも表面後世漆箔彩色覆われ、また薬師如来像には像内胸腹部や地付廻りなどに補材が補われる。
 中尊像の、大きめ頭部肩を張った幅広の上体が支える様や、両足部の着衣に弧を重ねた太い衣文明瞭に刻むところなどは、貞元二年(九七七)ころの作とする説がある京都六波羅蜜寺薬師如来坐像重文)や、同じ播州古刹円教寺伝えられる永延二年(九八八)ころの釈迦如来坐像重文)を想起させ、本三尊像の製作時期一〇世紀後半ころと考えられる。なお、中尊像に付属する光背は、現状では光脚が亡失するなど、多少原状損なわれているが、唐草文等の文様浅く浮き彫りした古様なものである大きさも像によく釣り合い、像本体同時期に造られたものとみられ、半丈六上の大作遺品恵まれない当代遺例として貴重である。
 一方二天王像は、頭部太造りの造形や、ともに片手をあげ、片足踏み出すものの、動勢抑えられ落ち着き認められるころなどは、薬師三尊像作風通じる。大振り目鼻立ち穏健な彫り口で刻んだ顔立ちや、右手おろして戟を執る多聞天像の形姿は、正暦年中九九〇-九九四)ころの法隆寺講堂四天王像類似し、本二天王像は薬師三尊像とほぼ同じころに造られたとみて誤りなく、本二天王像は、六波羅蜜寺とともに寄木造技法造られ初期作例とみられ、平安時代彫像技法の展開を考えるうえでも重要である。
 現在、五体とも表面後世修理の手入っているものの、いずれの像も大幅な改変はないとみられる現状安置状況宮殿建立され応永四年(一三九七)以前さかのぼることは明らかであるが、半丈六如来坐像中心に平安時代一〇世紀後半ころの重厚な作風をみせる古仏五体一括して伝来してきたことは推賞される。

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 3032
枝番 09
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 同 右安置
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像(所在三門)

主名称: 木造二天王立像(所在三門
指定番号 3315
枝番 00
指定年月日 1976.06.05(昭和51.06.05)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文:  もと塔頭三聖寺の二天門にあった伝えられるもので、いずれも頭・体部別材製、それぞれ一定の角材数本組み合わせたブロック躯幹材として彫成し各支脚は足〓までをこの主要材から彫出する。
 その動的な姿態鎌倉時代スタイル受け継いだものとみられるが、躍動感力強さにおいてやや隔たりがある。忿怒表わす顔面筋肉描写大まかで、革甲の彫り口にも固さ目につくあたり、やはり室町時代入って造像考えるべきであろう。しかし、当代天部像としては鈍重感や過度装飾化もなく、破綻なくまとめ上げられ大作として、その価値は高い。

木造二天王立像(所在楼門)

主名称: 木造二天王立像(所在楼門
指定番号 3459
枝番 00
指定年月日 1996.06.27(平成8.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 各像内に弘安二年、大仏師法橋正快等の銘がある
員数 2躯
時代区分 鎌倉
年代 1279
検索年代
解説文:  楼門重要文化財)に正面向き安置される半丈六二天王像である。片手振り上げて武器執り邪鬼を踏む姿が対称的に表されている。平成三年から五年にかけて行われた解体修理に際して像内から発見され墨書銘により、弘安二年(一二七九)、大仏師法橋正快等により造立され、本寺学頭賢念らの僧侶が関わっていることが判明した。銘には両像の尊名をあらわす種子・真言記され持国増長天像であることも明らかになった。
 各像とも頭体幹部を通して大略前後トチの二材より造る構造になる。玉眼嵌入表面彩色仕上げとするが現状はほとんど剥落している。
 仏師名のうち僧定喜は正安四年(一三〇二)に京都神護寺板彫弘法大師像重要文化財)を造った法眼定喜と同一人物である可能性がある。他については知られるところがないが、三メートル近い巨像破綻なくまとめ上げた造形力には、正快の当代仏師としての高い技量示されている。
 本像を安置する楼門鎌倉後期建立とされ、本一具はここに安置されるべく門と同時に造られたものであろう寺院の門に二天王像を置く例は記録には奈良時代以来多く知られるが、その現存例はあまりなく、本像は門を守護するために造られ二天像としては唯一の確証のある例といってよい。その基準作例として、また二天尊名確かめられる稀有遺品としても重要な存在いえよう長年風雨さらされる環境ありながら、ともに邪鬼足許一部補作代わるほかは原容がほとんどそこなわれることなく伝えられているのも貴重である。

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 7
枝番 00
指定年月日 1929.04.06(昭和4.04.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 20
枝番 00
指定年月日 1920.08.16(大正9.08.16)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 706
枝番 00
指定年月日 1912.02.08(明治45.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 707
枝番 00
指定年月日 1912.02.08(明治45.02.08)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 727
枝番 00
指定年月日 1926.08.30(大正15.08.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 1464
枝番 00
指定年月日 1902.04.17(明治35.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 3032
枝番 03
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 金色堂中壇安置
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造二天王立像

主名称: 木造二天王立像
指定番号 3032
枝番 06
指定年月日 1956.06.28(昭和31.06.28)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書 同 左安置
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
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