山形県指定有形文化財
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「慈恩寺 (寒河江市)」の記事における「山形県指定有形文化財」の解説
山門 元文元年(1736年)築造。3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺(もと茅葺)。舞楽奏上の舞台とは山門から延びる渡り廊下によりつながり楽屋となる。 三重塔 当初、慶長13年(1608年)築造されるも、文政6年(1823年)焼失。文政13年(1830年)再建。本尊木造大日如来坐像。 宝蔵院表門 附 慶長十八年祈祷札 慶長年間(1596 - 1615年)築造。木造、1間1戸、四脚門、屋根は切妻造鉄板葺(もと茅葺)。 熊野神社本殿 延宝9年(1681年)築造。木造、一間社流造、梁間1間、屋根は鉄板葺(もと茅葺)。 木造聖観音立像 鎌倉時代の作。 木造阿弥陀如来立像 鎌倉前期の作。 木造菩薩坐像 平安後期(12世紀)の作。 木造如来及び両脇侍像 平安後期の作。 木造二天王立像 鎌倉前期の作。 木造力士立像 鎌倉時代の作。 木造如来立像 鎌倉時代の作。 木造軍荼利明王立像 鎌倉後期の作。 木造虚空蔵菩薩坐像 鎌倉後期の作。 木造弥勒菩薩坐像 鎌倉中期の作。宝冠は後世のものとみられる。 木造阿弥陀如来坐像 南北朝の作。 木造大日如来坐像 鎌倉後期の作。胎内納入経の奥書には弘長3年(1263年)常陸国小山寺の大旦那笠間時朝が納めたとある。小山寺に納めたという説と最初から慈恩寺に納めたという説がある。同時期に笠間時朝により作成された木造弥勒仏立像(宝治元年(1247年)銘、茨城県笠間市弥勒教会)、木造千手観音立像(建長4年(1252年)銘、茨城県笠間市楞厳寺)、木造薬師如来立像(建長5年(1253年)銘、茨城県笠間市岩谷寺)は重要文化財に指定されている。 木造不動明王及び二童子像 鎌倉中期の作。作風などから運慶、快慶らに代表される慶派の仏師によるものの可能性があるという。 銅製飲食器 嘉元3年(1305年)作。本堂の再建を祝い、僧・城仙が勧進によって納入した。 鋳鉄草木文透彫釣燈籠 天文24年(1555年)に鍛造された釣灯籠。刀工月山俊吉の作。 絹本著色弘法大師像 鎌倉後期の作。 絹本著色地蔵十王像 高麗王朝時代(918年~1392年)に描かれたもの。平成30年1月12日指定。慈恩寺華蔵院源蔵、東京国立博物館寄託。 鋳鉄仏餉鉢 慶長11年(1606年)奉納。口縁部と中央部・下部に、二条の陽鋳線をめぐらし、三脚は獅喰(ししかみ)によって支える。
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