日本国内運行
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「オリエント・エクスプレス '88」の記事における「日本国内運行」の解説
日本国内運行時に使用された行先標表記の駅名は主に一般公開が催されたところを示している箱根ラリック美術館にて展示 1988年10月17日午後6時15分、オリエント急行はEF65形電気機関車に牽引され、広島駅7番ホームに入線した。パリからの乗客17名 に加え、フジテレビから招待された広島からの乗客(報道陣とJRグループ、フジテレビ、日立製作所などの関係者約60名)がこの列車に乗り込んだが、出発当日はドレスコードにより「ブラックタイ着用」が指定されていた。午後6時36分、オリエント急行は広島駅を定刻に発車した。これが、オリエント急行にとっては初めての日本での営業運行であった。翌日の10月18日午前10時30分、パリから約15,494 kmを走り、オリエント急行は定刻通りに東京駅9番ホームに到着した。東京駅到着後には、地下コンコースにおいて「世界最長距離列車」としてギネスブックへの認定式が行われた。またパリからの全区間を乗車した乗客17人に記念証が贈られた。 10月19日には、招待客を乗せて東京駅から山手貨物線経由で大宮駅まで試乗会が行われた。 オリエント急行を利用した日本国内ツアーはJR東日本または西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)が主催し、合計70コースが設定された。10月24日からの日本一周ツアーは、9泊10日(うち車中4泊)で1人88万8千円という高額旅行商品であった が、ツアー定員74名に対して約13倍の951名の申し込みがあり、抽選となるほどの人気であった。このほかの69コースは2泊3日で片道のみオリエント急行に乗車するもので、東京・上野から函館や金沢、長崎、京都、神戸など、大阪から東京、横浜など、博多から熱海、鎌倉などへ往復した。定員は各々40名から80名で、費用は1人16万2千円から26万8千円と、国内旅行としては異例の高額であった が、平均で定員の5.2倍の申し込みがあり、すぐに満員となった。中高年の夫妻に人気があったという。最も高倍率となったのは、上野から函館を片道は寝台特急「北斗星」利用で往復するコース(「ロマンチック函館」、16万7千円)で、23倍に達した。ツアーの総定員は約2900名で、総売上は約6億7千万円となった。 日本一周ツアーでは、青函トンネルを通過して北海道を札幌駅まで走行した ほか、関門トンネルを抜けて九州の熊本駅まで、また瀬戸大橋を渡って四国の高松駅まで乗り入れた。各ツアーで乗客が観光のため下車している間には、駅でオリエント急行の客車の一般公開も行われた。 日本国内運行でのオリエント急行は、ダイヤ設定上は急行列車として扱われた が、これは日本国内で使用する台車では最高速度が95km/hに限られたためである。また、オリエント急行の車内サービスでは大量の水を消費するため、担当するイントラフルーク側からは運行途中での給水を要求されていた が、日本の鉄道では途中駅での給水は一般的ではなくなっていたため、給水設備のある駅での停車時間確保に苦労したという。客車の改造内容のうち、厨房用水タンクの容量増大が施工されたのはこうした理由もある。また、日本国内の運行においてはホーム有効長の関係から前後の控車を含めて13両編成とした ものの、編成重量は650t近くになるため、勾配の急な区間では機関車を重連運用にして対応した。 日本国内走行時は、NIOE固有の乗員は、列車長、技術者、清掃担当、各寝台車の乗客掛などイントラフルーク社所属の15名と、食堂やバーを担当するワゴン・リ社の11名の計26名である。ただし後半のシャトル走行時には23名程度となった。このほかJR各社からは通常の運転士、車掌に加え、火災対策のための保安要員1名、通訳1名、ツアー添乗員2名が乗り込んだ。列車運行の最終的な責任者はJRの車掌であるが、車内放送は緊急時を除き行わないことになっていた。 日本での運行中には小さなトラブルも続出した。部品の劣化によりブレーキが緩まなくなったり、乗客がトイレの便器にペーパータオルを投げ込んだために詰まりが生じたり する事象が発生した。また、車両基地での給水では水圧が強すぎて反対側の給水口から水が漏れてしまい、不完全な給水になってしまったりすることもあった。しかし、こうしたトラブルも、運行終了の頃には収まるようになっていた。 12月19日20時55分頃には、新潟県内の上越線上で、2両目と3両目の間の連結器が外れる事故が発生した。列車は5時間後に運転を再開し、目的地の京都には約35分遅れで到着した。 日本一周ツアーの運行経路 11月2日から14日までの運行経路 11月14日から24日までの運行経路 11月28日から12月25日までの運行経路 足掛け3ヶ月にわたったオリエント急行の日本国内運行の最後のツアーとなったのは、上野駅から京都駅へ往復するツアーであった が、このツアーの出発日である12月23日、上野駅を発車するオリエント急行の先頭には、この日が初の営業運行となるD51形蒸気機関車498号機が連結されていた。この蒸気機関車は、パリで山之内が「日本でも蒸気機関車がこの列車を引く」と発言して以来、突貫作業で復元工事が行われ、11月22日には復元作業の完成式が行われていた。D51形はオリエント急行を大宮駅まで牽引した。また、上野駅から水上駅までと、翌々日の水上駅から上野駅までは、「お召し列車」専用の電気機関車であるEF58形電気機関車61号機がオリエント急行を牽引した。この列車は同年12月25日午前10時45分に上野駅に到着し、オリエント急行の日本国内の営業運行は全て終了した。
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